ハーゲンダッツから意図せず遠ざかっていた私だが、最近またハーゲンダッツが近づいてきている。
けいことハーゲンダッツを食べたあの日くらいからだろうか。
私はハーゲンダッツはもらうものだと思っているので、自分ではめったに買わない。
だからそのときの一つひとつのハーゲンダッツにはそれぞれエピソードが付いている。
不意に買ってきていただいたハーゲンダッツに満面の笑みを浮かべてありがたくいただく。
ハーゲンダッツエピソードがまたひとつ追加。
もう今年もあと半月で、「忘年会」という言葉が好きではない私は「年納め会」と称して友人とディナーに出かける。
今年の夏に私たちは7年ぶりに再会した。
7年間の空白をものともせず、高校生の頃持っていたファクターにさらに今の大事なファクターを追加して、一緒にいると高校生にも戻れるし、26歳としても話ができる。
お腹がよじれるくらい笑っていた次の瞬間、一転場面転換をするようにシリアスな話だってできる。
自分の子ども時代が好きではなく自分という存在が気持ち良くなかった私が、初めて心地よさを覚えたのが高校生のときだった。
それは「話す」という行為であって、ときにそれは一種のエクスタシーだったことを私は後から知る。
しかしあのとき私には「ロック」というファクターを持ち合わせてはいなかった。
年末になって急激にロックやらジャズやらレゲエやらに心掴まれる機会に恵まれ、やっと私は音楽に触れ始めた。
彼女はもうずっと前からロックが大好きだったようで、私の今さらの目覚めで彼女との話にもまた一つの厚みがもたらされた。
私は今ここで、一年を振り返りたくなってしまったが、それはあと2週間余りを過ごしてからにしようと思う。
まだ駆け込むように新しいものを仕入れているし、まだ今年の一大事になるくらい心が動くようなことがあるのかもしれない。
死んだ人を蘇らせてもいいものか。
そんな文章が成り立つ時点で、本当に死なせてはいなかった。
けいことハーゲンダッツを食べたあの日くらいからだろうか。
私はハーゲンダッツはもらうものだと思っているので、自分ではめったに買わない。
だからそのときの一つひとつのハーゲンダッツにはそれぞれエピソードが付いている。
不意に買ってきていただいたハーゲンダッツに満面の笑みを浮かべてありがたくいただく。
ハーゲンダッツエピソードがまたひとつ追加。
もう今年もあと半月で、「忘年会」という言葉が好きではない私は「年納め会」と称して友人とディナーに出かける。
今年の夏に私たちは7年ぶりに再会した。
7年間の空白をものともせず、高校生の頃持っていたファクターにさらに今の大事なファクターを追加して、一緒にいると高校生にも戻れるし、26歳としても話ができる。
お腹がよじれるくらい笑っていた次の瞬間、一転場面転換をするようにシリアスな話だってできる。
自分の子ども時代が好きではなく自分という存在が気持ち良くなかった私が、初めて心地よさを覚えたのが高校生のときだった。
それは「話す」という行為であって、ときにそれは一種のエクスタシーだったことを私は後から知る。
しかしあのとき私には「ロック」というファクターを持ち合わせてはいなかった。
年末になって急激にロックやらジャズやらレゲエやらに心掴まれる機会に恵まれ、やっと私は音楽に触れ始めた。
彼女はもうずっと前からロックが大好きだったようで、私の今さらの目覚めで彼女との話にもまた一つの厚みがもたらされた。
私は今ここで、一年を振り返りたくなってしまったが、それはあと2週間余りを過ごしてからにしようと思う。
まだ駆け込むように新しいものを仕入れているし、まだ今年の一大事になるくらい心が動くようなことがあるのかもしれない。
死んだ人を蘇らせてもいいものか。
そんな文章が成り立つ時点で、本当に死なせてはいなかった。
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