つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

KKK

2011-12-11 16:39:09 | 日記
予定の前に、久しぶりに上野以外で買い物をしようと早めに家を出たもののなぜか異様に疲れてしまって、近くのカフェに入った。

カフェヴェローチェの飯田橋店。
神楽坂のこじゃれたカフェは混んでいて入れなかった。
店舗にもよると思うがここのヴェローチェは広い。
そして、なんだかとても居心地が良い。
本が読みたいのだが、生憎バッグを替えて読みかけの本を置いてきてしまった。

勉強している人、たぶん学生ではなくて資格を取ろうとしている社会人。
子どもを連れてお喋りに興じる奥さま方、これ以上にないほど笑い転げている少女二人。
ジャンパーを着たまま談笑するおじいさま達。
何かバイトの面接か説明をしている40代くらいの男性と10代だろう女の子。
東野圭吾の『白夜行』を読み耽っている小柄な女性。

バックに流れている音楽が聞こえないほど声は結構なボリュームがあるのだが、いい具合に全体に響いて分散しているから一つひとつの会話はわからない。
オレンジ色の証明は、温かみをもたらすと同時に全体をぼんやりさせている。
真ん中で大きな地球儀がゆっくりと回っている。

散る直前の、一点でかろうじて枝に繋がっている黄色い木の葉。
それまで幹や枝と同様、「自分」の一部としての存在たったのだが、来る厳しい冬に備えて本体の存続のために末端は栄養を止められて切り落とされていく。
これは単なる私の勝手な見方であって葉っぱの気持ちなんて到底わかるはずもない、
人間でいう、髪の毛や爪みたいなものだとしたら気持ちも痛みもない。
それに私はまた葉が芽吹く季節には、そんなことは忘れて、力強さや生命力を感じずにはいられないのだ。

自然の摂理と自然の営み。
意味は人間が与える。
その意味は与えた人間にのみ適用される。


ドラマ曜日と決めた日曜日。
途中からどうにも面白くなくなった『南極大陸』
代わりに『蜜の味』は帰るとちょうどやっていることが多いので飛ばすことなく観ている。



真夜中の晴れ

2011-12-11 01:34:36 | 日記
自分にとって都合の良いものが、特に自分にとってだけ一方的に都合の良いものが、いつまでも変わらずに自分に都合よくあると思っていてはいけない。
一方的に都合が良くて、相互関係をあまり持たないものだと、感謝はほとんど生まれないしその都合の良さが当たり前のようになってしまう。

私の通っている書道教室の一人の先生が退職をされるらしく、次回が教場最後の勤務だという。
その先生の書く字はとても独特の流れと雰囲気とリズムがある。
私が書道を始めてから、どうしてもその先生の字は真似ることすらできなかったし、私自信好みではなかった。
しかし、最近になってようやく先生の凄味が分かるようになって、特に先生の書く楷書を見るときゅんとするようになった。

背の高い女の先生で、65歳とは思えないパワフルさを持ちながらも品も高い。
真っ赤なマニキュアをして、いつもお洒落な感じで、私はいつも先生を見て孔雀を想像するのだった。

私は教室では物静かな生徒なので、顔と名前はさすがに一致しているだろうが、先生にとって印象のない生徒のうちの一人だと思う。
そんなに会話を交わしたこともないけれど、私は先生の言う一言の言葉で何がいけないのか理解をすることが多かった。
一瞥しただけで、本当に的確なアドバイスをしてくれた。

「もうちょっときゅっとするのよ、一文字を」
「しなやかさ、あと、たおやかさ」
「気脈がずれてるのね」

あるときに私の号をいろんなバリエーションで書いてくれた。
「ほら~、こんなにかわいい」
と自分で書いた字をかわいいと形容した。
私もすごくかわいいと思ったから、女の子が光り物を見た時のように、「かわいい~」と目をとろんとさせて言った覚えがある。

退職の理由は定年ということで、詳しくは知らないが、それなりにゆっくりされるのだろう。
来週、ちゃんと「ありがとうございました」と言おう。

大事な人がみんな、明日いなくなってしまうわけではないけれど、その可能性というのは決してゼロではなくて、一緒に時間を過ごすことや感謝を伝えることをしたい。
距離とか深度を図ってしまうものだけど、堂々巡りはもうやめて。