つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

カラーアソート

2012-05-15 22:33:32 | 日記
気分のいいときに気分の悪い人の気持ちが想像が難しいのと同じように、気分の悪いときに気分のいい人の気持ちは想像しがたい。
それは自分自身に対しても言うことができる。
気持ちというのは、その気持ちでなくなってしまったときには、自分でさえも本当に正しく思い出すことはできないものだ。
移ろってしまったあとは、本当に嬉しかったのか、本当に悲しかったのか、その瞬間の大きさと重さでは再現できない。

確かに嬉しかったことや、確かに悲しかったこと。
でも今嬉しいことや今悲しいことには勝てない。

あの音楽はいつどういうタイミングで聞きたくなるのだろうと思うものがあって、調子のいい時にそんなことを考えていた。
状態に関係なく否応なしに入り込まれて、極めて前を向いているときにでも、水面に墨を落とした時のようにさーっと黒いものに表面を覆われる。
でも、曲調が暗いだの明るいだのに関わらず何の影響も及ぼさない音楽もあることを思うと、確かに私の内部のある部分をつつかれているような気がして、それ以来身体から遠退けていた。
あまり気にしないふりをして、つつかれていることも分かっていたので、そのとき1回だけは私は自身を黒く染めてアルバム全部を聞いたのだった。

それが一転、無性にその音楽が聴きたくなった。
どちらかというと歌い手の声が聴きたくなった、といったほうが近いかもしれない。
寝る前のyoutubeサーフィンの代わりに、いつもの大音量ではなく、極めて小さな音で、電気を消して流す。
こういうタイミングで聞きたくなるのか、と合点がいった。
励まされもしない、かと言って、調子のいい時に凹まされた音ではあったが、突き落としもしない。
あからさまに優しくもない、でも、ちょっとだけ優しい。
そして、一緒に静寂になってくれる。

自分の状態を揺さぶりもせず、一緒に静寂を作ってくれたその音楽は、強烈にロックなヒロトの音楽と共に寝ていたときと同じくらい、安眠をもたらした。
無音よりも静寂。

無理をしないフィット感は、陰でも陽でも、気持ちのいいものなんだと知る。

音楽っていいね、って、真顔で言う。