つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

強風波浪注意報

2012-05-29 13:39:28 | 日記
家にいる芍薬の花がかわいくてかわいくて。
どう考えてもあの蕾にしまわれているとは思えない花びらの量で、うそみたいだけれど、疑いようのないほんとのことで。
これがうそであっても私はもうどちらでもいいのだけど、ほんとみたいなうそ、よりも、うそみたいなほんと、の方が断然いい。

それぞれ種類の違う3つの芍薬。
カメリアやプルメリアのように均整の取れた芍薬が咲いた。
それがあまりにも見事で、愛おしくて、できれば私をこの中に入れてほしいけれど。

「日曜日よりの使者」を聴きながら帰ってきて、それを流したまま30分、私は携帯電話のカメラで写真を撮り続けた。
私は何か文章を書いているときも時々周りの音が聞こえなくなるのだが、花の写真を撮っているときもそれに近い。
夢中、ってゆめの中なんだなと思う。

熱帯魚を飼うのとか、犬を飼うのとか、子どもを産むのとか、植物と動物を比べるのは、また、動物と人間を比べるのは、やっぱり重さや意味は全然決定的に違うのだけれど、私の花に対する想いというのは何かを「愛でる」という点においてそれらと似ているところがある。
生きている長さや移ろうスピードが、長かったり短かったり早かったり遅かったりするけれど、この場合の「愛でる」は「育てる」に近しくて、「育てる」ということは「育ててあげる」という力関係がある。
しかし、育てる側の思う美しさやかわいさなどの見返りに反したり、意図しないことをされたり、期待を上回ったり下回ったり、いつもコントローラブルとはいかない。
でもだから面白くて、愛おしくて、見方はいつも自分側にしかないことを知りつつ、あなたが思う最高の状態になってねと願う。

意志なきものを擬人化してしまうのは、私の癖だ。


髪の毛が重たくなってきた。
そういえば前回1年ぶりに美容院に行ったとき、染めただけで切らなかった。
確かに私は、外人さんみたいなおでこの生え際からみっちり生えたたくさんの毛量のソバージュヘアに憧れがあって、あえて梳かないようにはしているものの、もう1年半くらい鋏を入れていないことになるからさすがに重たい。

「引っ越しました」という写真付きのハガキが届いていた。
ポストの前でそれを手にして、もうしばらく会っていない方々だけど、私はずっとこの人たちのことが好きなんだなと思った。

今日もヒロトの声がiPodから流れている。
これが生の声だったという、うそみたいなほんと。