つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

安易な妄想

2012-05-20 22:30:17 | 日記
芍薬の季節。
出掛ける先々で花屋を覗き、大きな芍薬の花を見るたびいつ連れて帰ろうかとそればかり考えていた。
一番好きな花は?と聞かれて迷った末に私は今は芍薬、と答える。

芍薬の蕾が好き。
まんまるでぎゅっとしていて、緑の蕾から花びらが顔を出してピンクの蕾に変わる。

愛らしいその丸さは、次第に緩みはじめて、一枚いちまいの花びらの間に空気を取り込みはじめる。
中には蕾の大きさからは想像できないくらい驚くほど花びらが詰まっていて、蕾の5倍ほどの大きさの花となる。

柔らかくて、繊細で、大きいのにどこか控えめ。
チューリップが、にこにこ、だとすると、芍薬は、うふふ。
ちなみにパンジーは、がはは。

バックに難しい名前の緑の縦長の葉っぱと、こちらも季節のショウブの花と一緒に生ける。
ショウブの紫の蕾は幼い子供か和服を着ているみたいだ。
これもびっくりするほどおおっぴろげに開いて、空を羽ばたく紫のトキのようになった。

先日買った新緑の枝から挽いた胡椒の粒のような黒い点々がたくさん落ちるものだから何だろうと思っていたら新緑が虫に食われていた。
よく見ると1.5センチほどの青虫がいて、お食事中であった。
私は本当にああいう類いのものが生理的に大嫌いで、それでもゴミとして捨てることができなくて、鳥肌が立つのを押して新緑の枝ごとマンションの裏の植え込みにそっと置いた。


早朝6時の白金高輪。
5月の早朝。
空はかろうじて水色、ほとんど白。

大事な友人が東京を離れることになった。
一緒に暮らしたり、お互いの家族になるわけでもない、友人、という関係は、私にとって人格の一部の形成に関わるくらいの大事なことだ。
寂しい、と簡潔な言葉をなかなか言えずに、婉曲的な会話。
私も一度東京を離れたことがあるから、思う以上に、今みたいに気軽に会えなくなるだろうことはわかる。
離れる側も離れられる側も、同じくらいに寂しい。

でもその人の人生を最大限応援したい、その人の最終決断を最大に祝福したい、そう思えるから今後のことは努力でどうにかする。
きれいにまとめると、幸せにいてくれることが、それが一番いい。

誰も他人の人生の幸せの全部なんて請け負えない。
恋人も家族でさえも。
誰かの幸せの一端を担うことができたのなら、願わくはお互いに、それ以上の関係なんてないのではと思う。

ちゃんと話を聞いて、ちゃんと伝えようと思っていたのに結局私は少々外れたところで感じ入ってしまって、また肩を貸してもらう始末。
挙げ句、ベッドまで占領して話の続きもせずに酔いに寝潰れてしまった。

頼ることと頼られること。
素直でいたいと思うことと迷惑になりたくないと思うこと。

そんなに儚くもない人生において、今の理解できないほど過剰さ。
ただ大きな確かさの中には、決定的な不確かさが含まれている。
最近の私はいつも他人の憂いを自分の憂いにすり替えてしまう。

PUSHIM の「I pray 」やサナカナクションの「enough」、「さや侍」にまで泣かされる。
私は多少の危うさや面倒を増やしてしまったようだが、それでも今の方がいいとしか言えない。
人間臭くなった、たぶんそんなようなこと。