フジロックの渋さ知らズオーケストラがあまりに良くて、調べていたら年越しをした新宿PIT INNでライブがある。
これは行かなくてはと、こんなに短期間で、彼らも私も苗場から東京に戻って間もなく、再会した。
彼らのライブは「創る・魅せる」ことと、本人たちと観客が「楽しむ」ことが一体となっている。
取りまとめている不破さんは、くたっとしたTシャツに生成りのズボン、お酒を飲んでタバコを吸っている。
メンバーも自分が演奏しないときは観客と同じ場所でお酒を買って飲む。
彼らの服装にも統一感はなく、おしゃれな人もいるし家からそのまま出てきたような格好の人もいる。
白塗りのダンサーは観客に触るか触らないかの位置まで近づいてきて太極拳のような辛そうなダンスをずっとしている。
「やりたいようにやればいい」という奔放さが見えるけれど、大人数で成す音楽が個々人が全くの意識合わせされずにひとつを奏でられるはずもない。
昨日のは特にパーカッションの女の人が素晴らしかった。
突っ切れるって本当にすごい。
色んなものがごちゃまぜになっているのに、不思議な一体感がある。
「やりたいことをやっているぜ」というカッコよさが溢れていて、それはすごく健康的なことであって、でもアンダーグラウンドな匂いと影を持っていて、ちょっとだけ不健康でもある。
表出の仕方は、とても「正」
私は楽器の演奏が巧いか否かはよくわからないけど、音が何層にも重なり合い統合し、うるさく響くのが好きだ。
だから、屋根のない野外フェスはまた別の良さとして、ジャズは音の行き場のない小さな密室でやってほしい。
気持ちいい音楽には身体が動く。
でも、本当に入ってしまったときは身体は固まる。
このまま、果てたい、と思う。
結果同義にだとしても、死にたい、とは違う。
彼らの魅力はそのパフォーマンスにもあるのだが、本当に身体を音で満たしたいときには耳以外の五感を閉ざす。
食べない、飲まない、見ない、触れない。
匂いはさすがに閉ざせないけど。
久しぶりに夢に父が出てきた。
夢に出てくる父はいつも病気でやせ細っていて、でも笑っている。
そして、抱きしめてくれる。
今日の夢の父はなぜか若い頃の父だった。
抱きしめられた記憶なんて、ごく幼い頃、1度しかないのに。
若い頃の父なんて、知るはずもないのに。
憂いが醸し出す美しさがあるとしても、たとえそれが否定できない美しさだとしても、私は汚いくらいの前向きな突飛感に更なる美しさを見出したい。
ヒロトが言っている「ドブネズミみたいに美しくなりたい」というのはこういうことだろうか。
アーティストにとって、負の感情は創作意欲になるものだと思うし満たされると良いものが作れないとよく言われるけれど、本当にそうだろうか。
悲しいことを悲しいと知り、満たされることの貴さを知り、その上での表現はあるのではないかと思う。
それが、ヒロトとマーシーの類まれなお茶目さなのではないかと思う。
遠くからは大きく見える 近づけばそれほどじゃない
からっぽに見えるけれど きれいに澄んだ水がある
これは行かなくてはと、こんなに短期間で、彼らも私も苗場から東京に戻って間もなく、再会した。
彼らのライブは「創る・魅せる」ことと、本人たちと観客が「楽しむ」ことが一体となっている。
取りまとめている不破さんは、くたっとしたTシャツに生成りのズボン、お酒を飲んでタバコを吸っている。
メンバーも自分が演奏しないときは観客と同じ場所でお酒を買って飲む。
彼らの服装にも統一感はなく、おしゃれな人もいるし家からそのまま出てきたような格好の人もいる。
白塗りのダンサーは観客に触るか触らないかの位置まで近づいてきて太極拳のような辛そうなダンスをずっとしている。
「やりたいようにやればいい」という奔放さが見えるけれど、大人数で成す音楽が個々人が全くの意識合わせされずにひとつを奏でられるはずもない。
昨日のは特にパーカッションの女の人が素晴らしかった。
突っ切れるって本当にすごい。
色んなものがごちゃまぜになっているのに、不思議な一体感がある。
「やりたいことをやっているぜ」というカッコよさが溢れていて、それはすごく健康的なことであって、でもアンダーグラウンドな匂いと影を持っていて、ちょっとだけ不健康でもある。
表出の仕方は、とても「正」
私は楽器の演奏が巧いか否かはよくわからないけど、音が何層にも重なり合い統合し、うるさく響くのが好きだ。
だから、屋根のない野外フェスはまた別の良さとして、ジャズは音の行き場のない小さな密室でやってほしい。
気持ちいい音楽には身体が動く。
でも、本当に入ってしまったときは身体は固まる。
このまま、果てたい、と思う。
結果同義にだとしても、死にたい、とは違う。
彼らの魅力はそのパフォーマンスにもあるのだが、本当に身体を音で満たしたいときには耳以外の五感を閉ざす。
食べない、飲まない、見ない、触れない。
匂いはさすがに閉ざせないけど。
久しぶりに夢に父が出てきた。
夢に出てくる父はいつも病気でやせ細っていて、でも笑っている。
そして、抱きしめてくれる。
今日の夢の父はなぜか若い頃の父だった。
抱きしめられた記憶なんて、ごく幼い頃、1度しかないのに。
若い頃の父なんて、知るはずもないのに。
憂いが醸し出す美しさがあるとしても、たとえそれが否定できない美しさだとしても、私は汚いくらいの前向きな突飛感に更なる美しさを見出したい。
ヒロトが言っている「ドブネズミみたいに美しくなりたい」というのはこういうことだろうか。
アーティストにとって、負の感情は創作意欲になるものだと思うし満たされると良いものが作れないとよく言われるけれど、本当にそうだろうか。
悲しいことを悲しいと知り、満たされることの貴さを知り、その上での表現はあるのではないかと思う。
それが、ヒロトとマーシーの類まれなお茶目さなのではないかと思う。
遠くからは大きく見える 近づけばそれほどじゃない
からっぽに見えるけれど きれいに澄んだ水がある
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