2年ほど前にたくさん映画を観ていた。
DMMで月に8本、ギンレイホールで月に4本、足りない分をGEOBOXと新作は映画館で。
状況は変わって今は、DMMで月4本、ギンレイホールの年間パスは切れ、GEOBOXは数か月前に撤去された。
新作は時々、映画館で。
それ以前は、日本のテレビドラマや海外ドラマ以外はそれほど見なかったし、特に好きでもなかった。
今でも2時間とか2時間半を続けて観ることはあまりなく、やっぱり途中で寝てしまうけど。
2年前に観て、観返したいと思う作品を、「カーネーション」の新作が来ないから、立て続けに借りる。
あれほど「カーネーション、カーネーション」と言っていた私だが、最近はすっかり忘れていた。
脳梗塞気味のPCを買い換えたらfuluに加入しようと思っているものの、PCを新調する予定が立たない。
「17歳のカルテ」
「あの頃ペニー・レインと」
音楽も青いものが好きなら、今は映画も青いものが観たい。
先日の「グッドウィルハンティング」に続き。
ただ、音は正を求めるけれど、映画はそんな感じでもなく寧ろ響くところに触られたい。
というか、映画の場合、その長さゆえにストーリーには起伏がないと成り立たないから、青くて且つずっと正の物語というのは逆に難しい。
2回目だからか、感覚が変わったからか、とても共感というか登場人物の痛みやもどかしさが入ってくる。
ウィノナ・ライダーの怖いくらいに透明で底なしに思える存在感や、それを食うアンジェリーナ・ジョリーの頽廃した存在感。
浮き彫りになるのは、他の理由は在れど、愛情不足。
青年期までの子ども時代というのは、感情優位でいいときはいいが、抑圧されることも多くまたそれを打破したり流したり攻略したりする術も知らない。
本当に大変だなあと思う。
「子どもの頃に戻りたい」とは時々聞くセリフであるが、私はたぶん一度も言ったことはない。
今なら、以前どうしてもよく分からなかったペドロ・アルモドバル監督の作品も何かが見えるだろうか。
携帯カメラにもセピアやモノクロで撮ることが可能なことは知っていた。
しかし、私は色を写したいのでモノクロでは撮らない、となんとなく決めていた。
でもスプレー薔薇のマットな花びらの質感が、モノクロにすると際立ちそうな気がして、なんの意味もない自分ルールを破った。
目に映る色ではないけれど、白も黒も、色だ、という言い訳の下。
モノクロの影はいつもの影よりも色濃くて闇深い。
それに、私の撮る写真はもうマンネリだし、新しさを簡単に取り入れたいという思いもあった。
花を接写できて、コントラストが強く映るようなカメラのことを友人に聞いた。
パソコンの新調する前に、私はカメラの方が欲しい。
フローリングやテレビや布団などが写り込んでしまうことを嫌い、書道用紙を敷いて撮ってみたりする。
「私の今までは“WANT”で成り立ってきました」
と自己紹介で言っていた人のことを思い出す。
「WANT」は、一画一画異なる色で書かれていた。
印象的だった。
私の小さな「WANT」に誰の許可も要らない。
やればいいじゃん、と一言に尽きる。
前にも増して、ヒロトの声が響く、マーシーの声が響く。
ブルーハーツとハイロウズを行き来しながら、そればかりを欲する。
8月の終わりの予定が入ったりして、もう夏の終わりが見える。
夜7時の暗さに、季節の進みを思う。
昨日は読むもの 明日は書くもの
6月と9月にはさまれたのが夏じゃない
宝物の地図 胸のポケットに入ったなら
DMMで月に8本、ギンレイホールで月に4本、足りない分をGEOBOXと新作は映画館で。
状況は変わって今は、DMMで月4本、ギンレイホールの年間パスは切れ、GEOBOXは数か月前に撤去された。
新作は時々、映画館で。
それ以前は、日本のテレビドラマや海外ドラマ以外はそれほど見なかったし、特に好きでもなかった。
今でも2時間とか2時間半を続けて観ることはあまりなく、やっぱり途中で寝てしまうけど。
2年前に観て、観返したいと思う作品を、「カーネーション」の新作が来ないから、立て続けに借りる。
あれほど「カーネーション、カーネーション」と言っていた私だが、最近はすっかり忘れていた。
脳梗塞気味のPCを買い換えたらfuluに加入しようと思っているものの、PCを新調する予定が立たない。
「17歳のカルテ」
「あの頃ペニー・レインと」
音楽も青いものが好きなら、今は映画も青いものが観たい。
先日の「グッドウィルハンティング」に続き。
ただ、音は正を求めるけれど、映画はそんな感じでもなく寧ろ響くところに触られたい。
というか、映画の場合、その長さゆえにストーリーには起伏がないと成り立たないから、青くて且つずっと正の物語というのは逆に難しい。
2回目だからか、感覚が変わったからか、とても共感というか登場人物の痛みやもどかしさが入ってくる。
ウィノナ・ライダーの怖いくらいに透明で底なしに思える存在感や、それを食うアンジェリーナ・ジョリーの頽廃した存在感。
浮き彫りになるのは、他の理由は在れど、愛情不足。
青年期までの子ども時代というのは、感情優位でいいときはいいが、抑圧されることも多くまたそれを打破したり流したり攻略したりする術も知らない。
本当に大変だなあと思う。
「子どもの頃に戻りたい」とは時々聞くセリフであるが、私はたぶん一度も言ったことはない。
今なら、以前どうしてもよく分からなかったペドロ・アルモドバル監督の作品も何かが見えるだろうか。
携帯カメラにもセピアやモノクロで撮ることが可能なことは知っていた。
しかし、私は色を写したいのでモノクロでは撮らない、となんとなく決めていた。
でもスプレー薔薇のマットな花びらの質感が、モノクロにすると際立ちそうな気がして、なんの意味もない自分ルールを破った。
目に映る色ではないけれど、白も黒も、色だ、という言い訳の下。
モノクロの影はいつもの影よりも色濃くて闇深い。
それに、私の撮る写真はもうマンネリだし、新しさを簡単に取り入れたいという思いもあった。
花を接写できて、コントラストが強く映るようなカメラのことを友人に聞いた。
パソコンの新調する前に、私はカメラの方が欲しい。
フローリングやテレビや布団などが写り込んでしまうことを嫌い、書道用紙を敷いて撮ってみたりする。
「私の今までは“WANT”で成り立ってきました」
と自己紹介で言っていた人のことを思い出す。
「WANT」は、一画一画異なる色で書かれていた。
印象的だった。
私の小さな「WANT」に誰の許可も要らない。
やればいいじゃん、と一言に尽きる。
前にも増して、ヒロトの声が響く、マーシーの声が響く。
ブルーハーツとハイロウズを行き来しながら、そればかりを欲する。
8月の終わりの予定が入ったりして、もう夏の終わりが見える。
夜7時の暗さに、季節の進みを思う。
昨日は読むもの 明日は書くもの
6月と9月にはさまれたのが夏じゃない
宝物の地図 胸のポケットに入ったなら
