つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

はてるまの星空

2012-09-07 14:45:09 | 日記
一昨日のライブのツケが今頃になってやってきていて、むち打ちみたいに首が痛い。
自分の体を必死に守っていた腕も痛い。
今日に至っては、もげた爪よりも首と腕が痛い。

昨日はずっと酔っているみたいで、一滴もお酒を飲まなかったというのに、午前中はずっと二日酔いみたいだった。
観覧車の真下のコンクリートの温かさは今でも背中に思い出すことができる。

友人がアップしてくれた写真をFacebookで見た昔から私を知っている同僚が、少々唖然としていた。
確かに、汗まみれで乱れた写真ではあるけれど、私はどこが唖然とするポイントなのかわからなかった。
以前の私ではしそうにない、ということが唖然のポイントだったようだが。

人はいつでも「今」しか生きられないから、「昔」どんなに強く長く思っていたことも、「今」短く強く思っていることにはかなわない。
特に気持ちの記憶というのは、「昔」思っていたことさえも「今」の自分によって塗り替えることも容易い。
というより、おそらく記憶の書き換えは頻繁に起こっているのだと思う。

また新しく届いたDVDを観る。
1987年、まだ若い時のむき出し感のある顔をした彼らがいる。

中途半端な気持ちじゃなくて
本当に心から好きなんだ
僕 パンク・ロックが好きだ



葉っぱで売っていたモンステラ。
緑だからいいものの、これが黒でこの照りだったらおぞましい感じがするだろう。
おもちゃみたいなこの葉っぱは、不思議と見た目に「生きている」感がない。
ただおもちゃみたいなその葉っぱを触ると思ったよりもずっと柔らかくて、水分が感じられる。
生きている葉っぱに埃が似合わな過ぎて、ティッシュを濡らしてそっと撫でるように拭く。

モンステラの葉っぱの穴は、重なっている下の葉っぱにも光が当たるように開く、と言われている。
たぶんこの葉っぱは茎の下の方の葉っぱだろう。
このように1枚だけ切り取られた葉っぱはもう穴が開いたり、切れ込みが入ったりしないのだろうか。