つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

一緒に

2012-09-11 14:02:23 | 日記
ロックな方向に傾き過ぎて、持ち物や服装までも影響を及ぼしている。
今まで持っていたものには、そうとは考えずにロックなものも結構持っていたりもするのだが。

ひざ丈のフレアスカートを好んでよく着ていたが、今それがどうにもしっくりこない。
色でいえば、カーキやベージュの中間色を好んで着ていたが、最近はちょっとびっくりするくらいのビビットな色も着る。
黒や白は似合わない、と思っているのだが、黒や白が着たいと思うようになった。
それがロックテイストかどうかということは置いておいたとしても、聴く音楽や精神以外にもロックに影響されていることが多分にあるらしい。

そもそも「ロック」とは何だ、という話は、難しい。

確かに私は「パンクロック」というジャンルが好きなようだけれど、パンクロックというと世間のイメージが革パンツやモヒカン、鋲や男性の化粧などが先行してしまうようだ。
どういう風に説明すればいいのか的確には表せないのだが、私が言っているのは明らかにそうではない。
ガレージロックとかポップパンクとか、そういった言葉の方が近いのだけど、大きく分類すると「パンク」なのだから仕方がない。

音楽の分類というのはややこしくて、人に聞かれて、いつもは言葉で的確に説明したいくせにそれが面倒になってそういうときだけ、「良いと思うものがいいんだ」とか「良いと感じる以外にはない」とか「ブルーハーツを聞いてみて」とか言う。
でも、確かに好きなジャンルはあれど、それだけの括りで留まることもいいとは思わないからいいと言えばいい。
ただ、何をこんなに言っているのかというと、威圧的なパンク・ファッションのイメージと誤解されることが最近何度かあったので、それはあまりにも私の中にはなくてイメージ違いなので訂正したいということだ。

ファッションで表すものとはあまり関係がなく、その精神性や表現方法としての音楽パンクロックが好きなのだ。
「あぁやさしいから好きなんだ」と、ヒロトは「パンク・ロック」という曲の中で歌っている。
そうそう、と自分で表現を見つけられなかった私はヒロトの言葉を借りる。

また、ロックは他者を寄せ付けない狂暴なものであったり、完全なストイックなものでは決してない。
もちろん想いや核はあるし、彼らがアートとして何かを表現するその力というのはとてつもなく大きなものだけれど、人間としての緩さや適当さや弱さといったものも結構含まれているように思う。
音楽をやっていないときの彼らは、意外に謙虚なのではないかと思ってしまう。

時々、人の想いを生で聴くことがある。
生は瑞々しいけど、美しさだけでできているわけではない。
何かを成したいとき、他人に対して持つプライドは要らない。
盾みたいに、防護服みたいに、自分を守るプライドなら要らない。
だが破壊王であることが良しではない。
成したいことを邪魔するプライドなら自ら叩き壊せということ。


時に大いに心を揺さぶられ、時にすとんと心に納まる。
今後の私の人生において、甲本ヒロトや真島昌利のような影響力のある人や物や事がもう一つ見つけられたら、それはそれは、もう本当に、大快挙な嬉しいこと。
それは、奇跡の一歩手前の、ラッキーなこと。