久しぶりに派手に道に迷った。
行きは15分弱、帰りに1時間。
お酒を飲んでいたとか飲んでいなかったとかに関わらず、迷うときは迷うけれど、「六義園」と見えてきたとき、もう本当に帰れないのではないかと思った。
坂道を避けて、とかそんなことも言っている場合でもなく、急な坂道を登れど私の行きたい方向の表示は見えてこず、知っている道の名前も現れない。
15分で帰れる道をなぜ自転車で1時間も走らなければならないのか、私にも理解はできないのだが、行けばいくほどに自分がどこにいるのかが全くわからなくなり、帰巣本能のなさに息を切らしながらため息をつく。
しかし、耳には「日曜日よりの使者」とか「夏の地図」とか「よろこびの歌」とかそんなハイロウズの歌が流れていて、私は楽観さを持ち続けていた。
コンビニで道を聞こうか、自転車を置いて電車に乗ろうか、交番には立ち寄れない、などと色々と思考を巡らして10数分、後楽園の観覧車が見えた。
ああ、もう大丈夫、と思った。
家の近くのローソンで麦茶を買って帰る。
ぐったりした体でそのまま寝てしまうと、夜の11時くらいに二日酔いのような状態になった。
迷って通った道は同じ道を何度か通っているのかもしれないし、そうではないかもしれない。
あれだけ走った道も、私の中の地図を明確にした事実は一つもない。
今進んでいる右と左が、曲がってしまうとさっきの右と左と違ってしまうことが私の居場所を混乱させる。
ということを人に一生懸命説明しても、誰もわかってくれない。
富良野で買ったラベンダーの石鹸を開ける。
生えているラベンダーや摘みたてのラベンダーは温かくて湿った艶めかしい匂いがする。
ドライフラワーや石鹸になると、乾燥することによって発せられる独特の香ばしい香りが先に立つ。
ただ、石鹸は固形脂の匂いの中に香ばしいラベンダーの匂いが混じっている。
精油は摘みたてのラベンダーをたくさん押し込めた強さのある香りを放つ。
匂いを纏うのも四六時中焚いているのも好きではないけれど、時々欲しくなる。
タスマニアン・ラベンダーの精油もゼラニウムの精油もなくなってしまって、イランイランと柚子の精油だけがある。
明るいことが勝ちと知っていながら、なぜ明るくないものを持ち続けようとするのだろう。
それは自分がそんなブランディングをしたいということに他ならない。
でも、震えるくらいの暗さが本当にあったとしたら、それはそれで一度はその闇の深さを覗いてみないといけない。
そんな闇は、単なる虚であるかもしれない。
しょうもないことを、どうか怒らずに聞いてほしい、と人に不躾なお願いをする。
ちゃんと秋がやってきている。
彼岸花の群生が見たい。
不吉ないわれの多い花だけれど、絵的にとても様になる気がする。
行きは15分弱、帰りに1時間。
お酒を飲んでいたとか飲んでいなかったとかに関わらず、迷うときは迷うけれど、「六義園」と見えてきたとき、もう本当に帰れないのではないかと思った。
坂道を避けて、とかそんなことも言っている場合でもなく、急な坂道を登れど私の行きたい方向の表示は見えてこず、知っている道の名前も現れない。
15分で帰れる道をなぜ自転車で1時間も走らなければならないのか、私にも理解はできないのだが、行けばいくほどに自分がどこにいるのかが全くわからなくなり、帰巣本能のなさに息を切らしながらため息をつく。
しかし、耳には「日曜日よりの使者」とか「夏の地図」とか「よろこびの歌」とかそんなハイロウズの歌が流れていて、私は楽観さを持ち続けていた。
コンビニで道を聞こうか、自転車を置いて電車に乗ろうか、交番には立ち寄れない、などと色々と思考を巡らして10数分、後楽園の観覧車が見えた。
ああ、もう大丈夫、と思った。
家の近くのローソンで麦茶を買って帰る。
ぐったりした体でそのまま寝てしまうと、夜の11時くらいに二日酔いのような状態になった。
迷って通った道は同じ道を何度か通っているのかもしれないし、そうではないかもしれない。
あれだけ走った道も、私の中の地図を明確にした事実は一つもない。
今進んでいる右と左が、曲がってしまうとさっきの右と左と違ってしまうことが私の居場所を混乱させる。
ということを人に一生懸命説明しても、誰もわかってくれない。
富良野で買ったラベンダーの石鹸を開ける。
生えているラベンダーや摘みたてのラベンダーは温かくて湿った艶めかしい匂いがする。
ドライフラワーや石鹸になると、乾燥することによって発せられる独特の香ばしい香りが先に立つ。
ただ、石鹸は固形脂の匂いの中に香ばしいラベンダーの匂いが混じっている。
精油は摘みたてのラベンダーをたくさん押し込めた強さのある香りを放つ。
匂いを纏うのも四六時中焚いているのも好きではないけれど、時々欲しくなる。
タスマニアン・ラベンダーの精油もゼラニウムの精油もなくなってしまって、イランイランと柚子の精油だけがある。
明るいことが勝ちと知っていながら、なぜ明るくないものを持ち続けようとするのだろう。
それは自分がそんなブランディングをしたいということに他ならない。
でも、震えるくらいの暗さが本当にあったとしたら、それはそれで一度はその闇の深さを覗いてみないといけない。
そんな闇は、単なる虚であるかもしれない。
しょうもないことを、どうか怒らずに聞いてほしい、と人に不躾なお願いをする。
ちゃんと秋がやってきている。
彼岸花の群生が見たい。
不吉ないわれの多い花だけれど、絵的にとても様になる気がする。
