つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

塗り壁

2013-01-07 22:15:35 | 日記
3日もあれば時差ボケも治るだろうと思っていたのだが、見事にそういう生活をしてしまって、昼夜がひっくり返ったまま仕事始めを迎えてしまった。
今日寝たのは朝6時である。

重たい体にどんと積まれた業務の山。
跳ね返りがない血の通わない業務の山を扱っているのなら、確かにそれを徐々に崩していくのは一種の楽しみがある。
しかし、血と温度のあるものに対しその一つひとつを崩し倒していくとなると、気を張るし思いもよらぬ跳ね返りにあったりする。

ただの無機質な山を崩すこと以外に、私は未だかつて仕事において高度な快感を得られたことはない。
仕事というのは、対価の発生するという点においてそれに尽くさなければならない面も大いにある。
しかし、費やす時間があまりに多いものだから、高度な快感だって求めてはいいのではないかと思う。

でも問題なのは、私がただの無機質な山を崩す以外に仕事のおける何に高度な快感を得られるかが自分で分からないことだ。
そして、それがそこにない可能性だった多分にあることだ。
では他に何のためにそれをするのか、と言われれば明確な回答も持ち合わせてはいるものの、それはあまり自分自身で負える類のものではなかったりする。

働くということが食い扶持を得る、ことが最も底層、しかも基盤としてあることは自明だけれども、引き換えているもののが何かを考えたりすると必ずしも均衡が取れているとは限らない。
いっそ鮮やかに翻したり、それまでにあり得なかった巨大な空中ブランコみたいなものに飛び乗ったりできるのではないかと、そのリスクそのものに突っ込んでみたいなんていう発想をする。

なんとなく、新しさを私はいつものように外から手に入れて、去年あんなにもばりんばりんになったくせに、案外そんなに時も経たずにまたばりんばりんになるのかもしれないなあと思う。

今日の私が強気なことも、明らかに言い過ぎていることも、そんな気分であるから。
明日その気分ではなかったとしても、今日私が文章を描くとこうなる。
ものすごく練られた強い意志、以外にふっと決意なきことを思うがままに呟いてみることは、案外心地よいサラサラの砂のようなものかもしれない。
深みもない、味もない、残らない。
もちろん考察だってしない、正否を裁いたりもしない、責任だって持たない。

それでもやっぱり好きなのは、鉄が溶けてしまうくらいの本当のことだったり。

虹色の多面体、といつかにある人のことを書いた。
私も、自分がそんなでいいかなと、今日は、思う。