つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

ケチャップ野郎と裏返しの一張羅

2013-01-20 01:02:18 | 日記
最近結婚して、戸建を買ったという友人の家に行く。
首都圏で戸建を買ったという話は身近では初めて聞いた。
そこは首都圏特有の住宅の密集具合だけれど、小高い丘の上に立っていて風が良く通る気持ちの良い場所だった。
大きな冷蔵庫や、炬燵にダイニングテーブル、吹き抜けや客間があったりして、「家」という感じがする。
犬や猫がいるようなそんな。
新居特有の資材の匂いと、木の香ばしい香りは、なぜだか私を切ない気分にさせた。

私は田舎の一戸建て育ちだけれど、戸建願望が全くない。
できればマンションに住みたいし、賃貸でいいとさえ思っている。
お金のことを詳しく計算をしたことはないからどちらの方がお得かということはさておき、たぶん飽きてしまったり気分を刷新したくなったりするだろうことが容易に想像できるからだ。
身を固める、みたいなことのときに考えを改めるのかもしれないけれど、そうなったとしても私は「仮住まい」でいいように思っている。

ただ、人の「家」は時々すごく居心地が良くて、大きなソファに座って炬燵に足を突っ込んでいると腰は途端に重くなる。
絵みたいに炬燵テーブルの上にはみかんがあったりして、実家の今を思い出したりする。

この動画が良かった、とYouTubeをお互いにひとしきり見せ合う。
彼女はアニメソングが主に好きで、私にはそれはよくはわからないのだけど、「異文化交流会」と称して次々に観ていく。
お互いのひどく熱い解説付きで。

聴き手になっている方は何を見聞きしているかって、その動画の音や映像は二の次に、聴き手の嬉々としているその様だったりする。
他人の興味の在り処というのは、めったに被らないから被った時は爆発するのだけれども、被らなくても単純にその嬉々としている様の見せ合いだけでも楽しかったりする。

今のところ私はアニソンを漁ったりする気は起きなかったけれど、確かに私にとって新しいから面白い。
一緒にそんなことをして、笑っちゃったり、泣いちゃったり、感心したり、わからない!とずばっと言っちゃったり。
安心してそういうことができる関係は、毎度毎度、ありがたいと思わずにいられない。

家に帰ってひとり、「チェインギャング」がゆっくりだしパワーコードでできるからとギターを弾いていると不意に目が潤む。
変革期の終末と思っているけれど、どうにもこうにも、こういう現象だけはなくならないかもしれない。

ヒヤシンスを買った。
ヒヤシンスと言えば、もう小学校の教室の異様に温かな陽だまりしか思い出せない。
球根から根が生えていて、植物園の温室の中みたいな湿り気を帯びて温く甘ったるい香りがする。

ヒヤシンスだけでもなくて、鉄の味のする給食のスプーンや黄ばんだプラスチックの食器、乾燥した雑巾の臭いや、先生が板書する黒板から落ちるチョークの粉、などは、私にとってとても奇妙で心地悪い。
私のこのあたりの感覚が、小川洋子の作品を読むとなんだか近しい感じがよくするものだ。

ヒヤシンスを買ったのは、葉っぱがあまりに黄緑色で艶々としているから、だった。
太くて美味しそうな茎。
私は、美味しそう、という観点で時々花を買う。

ただ、小川洋子のことを思い出していたら、茶色の薬瓶にそれを生けたくなって、家にあったサプリメントの瓶を空けてそれに生ける。
サイズが少し小さかったけれど、雰囲気は私のイメージするところになった。

ちょっと不気味な具合ができあがったら、急にそれが滑稽に思えた。
Don't Look Back In Anger をもう一回聴いてみる。
長い時をかけて、すうっと抜けていく、かつてすごく重たかったもの。