大幅に寝坊した。
起きたら10時40分だった。
起きたきっかけは社長からのメールの通知音だった。
どうやら目覚ましのスヌーズモードを1回で切ってしまったらしい。
「寝坊」という言葉の音がなんだか情けなくて私は寝坊してもしなくても通常に使わないのだが、今回はその音のイメージそのものだったので甘んじて使うことにする。
私はよく寝坊する人のことをだらしがないとか、起きる決意が足りないとか思っていた。
時間にルーズなのは嫌いだし、おそらくタイトな時間感覚を生きている方だと思う。
でも、一度大きな「寝坊」をしてしまったら、もうそんなこと言ってはいけない気がして、私のアイデンティティの一部が欠け落ちてしまった気さえする。
社会人になってからも、幼い頃からの学校生活でも、私は朝寝坊で遅刻したことはほとんどない。
起き遅れてしまって、でも持ち前の朝の準備の早さで切り抜けたことは数回あるけれども。
それでも、数回だ、10回はない。
なぜかということもなく、夜12時過ぎに帰宅したにも関わらずそこからギターを練習し始めてしまって寝たのが3時半になってしまったというだけだ。
でも、私はたいていこういうことがあったとしても、重たい体をなんとか目覚めさせることくらいはできていた。
最近私は自分の身体が肉体的にも精神的にも、開放的になっているのが本当にありありと感じられる。
様々なアクションや立ち振る舞いがとても大胆でアバウトになっているように思うし、今まで気にしていた色々な些細なことが気にならなくなった。
もちろん良いことであるのだが、行き過ぎてしまうことが生じてしまうだろう懸念を抱き始めている。
「開」の2012年、社会的生活において失態を犯さないように、2013年には解放量を調節する術を身に付けなければならない。
少し前まで一番のお気に入りだった真っ青の地でで色とりどりの花のプリントされたフレアスカートをはいた。
花のプリントがあまりに気に入って、私はこのスカートのグレーの地のものも色違いで持っている。
今でもとてもお気に入りのものだけれども、どうもフレアスカートがしっくりこない。
パンク音楽が所謂パンクファッションとさほど繋がりがないようだが、なんだかふんわりした質感や形、デザインのものを好まなくなった。
以前は持ってもいなかったショートパンツや少しだけメンズライクなシャツなども着るようになった。
また、去年まで履いていたヒール10cm程度の靴も履かなくなった。
足が痛かったり、歩きづらかったり、無理をして履いていた。
でも痛くない方がいいし、歩きやすい方がいい、ということが最近になってようやく腹落ちしたのだと思う。
単なる好みの変化はこれまでにも幾度も体感してきたけれど、メイクもピアスも減少傾向にあることも含めると、もうそのままでいいではないかという解放のメッセージを受け取らざるを得ない。
ただこれも、行き過ぎることは気を付けなければと思う。
今週末、大事な友人に久しぶりに会える。
地理的な距離はやはり難しい問題ではあるけれど、私は本当に楽しみだ。
彼女は私の「開」の一手を担った人物でもある。
起きたら10時40分だった。
起きたきっかけは社長からのメールの通知音だった。
どうやら目覚ましのスヌーズモードを1回で切ってしまったらしい。
「寝坊」という言葉の音がなんだか情けなくて私は寝坊してもしなくても通常に使わないのだが、今回はその音のイメージそのものだったので甘んじて使うことにする。
私はよく寝坊する人のことをだらしがないとか、起きる決意が足りないとか思っていた。
時間にルーズなのは嫌いだし、おそらくタイトな時間感覚を生きている方だと思う。
でも、一度大きな「寝坊」をしてしまったら、もうそんなこと言ってはいけない気がして、私のアイデンティティの一部が欠け落ちてしまった気さえする。
社会人になってからも、幼い頃からの学校生活でも、私は朝寝坊で遅刻したことはほとんどない。
起き遅れてしまって、でも持ち前の朝の準備の早さで切り抜けたことは数回あるけれども。
それでも、数回だ、10回はない。
なぜかということもなく、夜12時過ぎに帰宅したにも関わらずそこからギターを練習し始めてしまって寝たのが3時半になってしまったというだけだ。
でも、私はたいていこういうことがあったとしても、重たい体をなんとか目覚めさせることくらいはできていた。
最近私は自分の身体が肉体的にも精神的にも、開放的になっているのが本当にありありと感じられる。
様々なアクションや立ち振る舞いがとても大胆でアバウトになっているように思うし、今まで気にしていた色々な些細なことが気にならなくなった。
もちろん良いことであるのだが、行き過ぎてしまうことが生じてしまうだろう懸念を抱き始めている。
「開」の2012年、社会的生活において失態を犯さないように、2013年には解放量を調節する術を身に付けなければならない。
少し前まで一番のお気に入りだった真っ青の地でで色とりどりの花のプリントされたフレアスカートをはいた。
花のプリントがあまりに気に入って、私はこのスカートのグレーの地のものも色違いで持っている。
今でもとてもお気に入りのものだけれども、どうもフレアスカートがしっくりこない。
パンク音楽が所謂パンクファッションとさほど繋がりがないようだが、なんだかふんわりした質感や形、デザインのものを好まなくなった。
以前は持ってもいなかったショートパンツや少しだけメンズライクなシャツなども着るようになった。
また、去年まで履いていたヒール10cm程度の靴も履かなくなった。
足が痛かったり、歩きづらかったり、無理をして履いていた。
でも痛くない方がいいし、歩きやすい方がいい、ということが最近になってようやく腹落ちしたのだと思う。
単なる好みの変化はこれまでにも幾度も体感してきたけれど、メイクもピアスも減少傾向にあることも含めると、もうそのままでいいではないかという解放のメッセージを受け取らざるを得ない。
ただこれも、行き過ぎることは気を付けなければと思う。
今週末、大事な友人に久しぶりに会える。
地理的な距離はやはり難しい問題ではあるけれど、私は本当に楽しみだ。
彼女は私の「開」の一手を担った人物でもある。
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