およそ3年に一回のスパンで訪れることがある。
これにある条件を加えるとそのスパンは7年に一度、となる。
それは人生で最も喜ばしいことのうちのひとつで、美しいことのひとつだ。
たぶん、このスパンはこれからもう少し縮まるのではないかと期待している。
往々にして、それらはしっとりと湿っていて捻れていて熱苦しくて透明な部分を持っている。
それらが私の人生に変化をもたらし、豊潤にしたり、色を添えたりする。
生ものだからまた、時に腐ったりもする。
私は自分の言葉で話す人が好きだ。
私がそう思うのは私にそう聞こえるだけのことかもしれないけれど。
そういう人はたいていボキャブラリーが豊富でその組み合わせ方や並べ方も巧い。
言葉を扱うということは、そこに思慮がある。
だからその思慮が練られていたり味わい深かったりすると、その人から発せられた言葉は、聴き手に厚みを感じさせる。
言葉の世界も、人それぞれ認識が違うものだから非常に曖昧なものではあるし、その上コミュニケーションにおいては「間」であったり「表情」であったりとまた複雑なものが入るから話し手と聴き手の理解が全く同じであることはない。
それでも、直接的に何かを伝えようとするとき、私は言葉の影響力を信じるし、優しかったり巧かったりする言葉の世界を信じている。
と言って、本の世界をほとんど知らないことはなんと情けないことだろうと自分を恥じる。
以前はジャスミン茶が嫌いだった。
風味も気に食わなかったのだろうが、単に「緑茶じゃないウーロン茶じゃない」と毛嫌いしていただけのことも多分にある。
なんとなく都会化されたとか、なんとなく品位がありそうとか、ロハスとかリュクスとか、ほとんど意味はないそんなで最初は手を付けた。
本当にようやく、何年も経て、様々なカッコつけを取り除いて、ジャスミン茶が選べるようになった。
甜茶やルイボスティーは好きではない。
自分の好きなものを選びなさい、ただし本当の好きなこと。
それをすることに、それを選ぶことに、それがわかることに、随分と時間を要した。
赤ちゃんがハイハイするようになったり歩けるようになったり、そういうことと本当は一緒のことで、ただそれができることはただ喜ばしいことだと思う。
悲しみで花が咲くものか
(サンボマスター 「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」)
そう、咲かない。
蕾は、愉しみ、だから。
咲くは、笑う、だから。
たとえ短い時間で枯れることを知っていても、花はそれを憂えて咲くわけではない。
咲くことに、ただそれだけに一生懸命なだけだ。
今日も私の部屋で花が咲いた。
花瓶の水の減りで、その花の蒸散量を知る。
香らない花が、静かに大きく、呼吸をしている。
期が熟し過ぎている。
急がなければ。
これにある条件を加えるとそのスパンは7年に一度、となる。
それは人生で最も喜ばしいことのうちのひとつで、美しいことのひとつだ。
たぶん、このスパンはこれからもう少し縮まるのではないかと期待している。
往々にして、それらはしっとりと湿っていて捻れていて熱苦しくて透明な部分を持っている。
それらが私の人生に変化をもたらし、豊潤にしたり、色を添えたりする。
生ものだからまた、時に腐ったりもする。
私は自分の言葉で話す人が好きだ。
私がそう思うのは私にそう聞こえるだけのことかもしれないけれど。
そういう人はたいていボキャブラリーが豊富でその組み合わせ方や並べ方も巧い。
言葉を扱うということは、そこに思慮がある。
だからその思慮が練られていたり味わい深かったりすると、その人から発せられた言葉は、聴き手に厚みを感じさせる。
言葉の世界も、人それぞれ認識が違うものだから非常に曖昧なものではあるし、その上コミュニケーションにおいては「間」であったり「表情」であったりとまた複雑なものが入るから話し手と聴き手の理解が全く同じであることはない。
それでも、直接的に何かを伝えようとするとき、私は言葉の影響力を信じるし、優しかったり巧かったりする言葉の世界を信じている。
と言って、本の世界をほとんど知らないことはなんと情けないことだろうと自分を恥じる。
以前はジャスミン茶が嫌いだった。
風味も気に食わなかったのだろうが、単に「緑茶じゃないウーロン茶じゃない」と毛嫌いしていただけのことも多分にある。
なんとなく都会化されたとか、なんとなく品位がありそうとか、ロハスとかリュクスとか、ほとんど意味はないそんなで最初は手を付けた。
本当にようやく、何年も経て、様々なカッコつけを取り除いて、ジャスミン茶が選べるようになった。
甜茶やルイボスティーは好きではない。
自分の好きなものを選びなさい、ただし本当の好きなこと。
それをすることに、それを選ぶことに、それがわかることに、随分と時間を要した。
赤ちゃんがハイハイするようになったり歩けるようになったり、そういうことと本当は一緒のことで、ただそれができることはただ喜ばしいことだと思う。
悲しみで花が咲くものか
(サンボマスター 「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」)
そう、咲かない。
蕾は、愉しみ、だから。
咲くは、笑う、だから。
たとえ短い時間で枯れることを知っていても、花はそれを憂えて咲くわけではない。
咲くことに、ただそれだけに一生懸命なだけだ。
今日も私の部屋で花が咲いた。
花瓶の水の減りで、その花の蒸散量を知る。
香らない花が、静かに大きく、呼吸をしている。
期が熟し過ぎている。
急がなければ。