つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

ボーダーに住まう

2013-01-22 22:08:01 | 日記
書道の文字考というゼミを取った。
文字の成り立ちを知り、それゆえの草書体への崩し方を学ぶ。
1か月半にもわたって土曜日の午前10時だなんて、とても意志の要ることであるが、普段の授業の中でもこういった話も少しはあるもののまとまった話が聴けるのは稀なことだから楽しみにしていた。

しかし案の定、第1回目の土曜の前日、私は朝まで起きていて、するりと10時を寝過ごした。
ありがたいことに火曜にも振替が可能とのことで、出社を遅らせて出席する。

「書はデザインではない。だからたとえその文字が読めた(認識できた)としても間違いというのはある」
と私の通う教室ではよく言われる。
最終的には個人の創作活動を支援するところに目的があるように思う教室であるが、創作の際に字をアクロバティックに動かしたりすることを良しとする。
しかしながら、読めなければいけないことも前提に、ルールもあってそれを逸脱してはいけない。
ひらがなも、字源となった漢字からすると、「す」は「寸」という字から来ているから、最後のはらいをとても長くすることは間違っている、とかそのようなこと。

書道のある生活にももうだいぶ慣れていて、さっぱり努力もせずにぬるぬると続けているのだが、こういった話はとても興味深い。
生活に役に立つのか、という問いには答える余地もない、単純な知的好奇心の充足感。

このために久しぶりにノートを買った。
私は書道をやるけれども、実際の作品や勉強したものについて紙で持っていることを好まない。
仕事のメモはほとんどデータ化してしまうし、データすらも溜めたくはない。
ただこれは創作のときに何度も見るだろうから、ノートを取る必要がある。

罫線があるノートなのだが、この罫線が非常に邪魔で使いづらい。
というか、勉強としてノートを取るということが久しぶりすぎて、どうまとめたらいいのかわからない。
きれいに書く必要もないし、別に誰かに見せるわけでもないけれど、自分として納得のいかない雑さになってしまった。
罫線のせいにして、罫線のない新しいノートを買おうかと思う。

私はそんなにストイックな人間ではない。
緩い、適当、怠慢、それゆえ何かが成し得なかったとしても自分がだめになるほど圧迫することもない。
何かを「成す」ことに対して目標が低いし、意識も高くない。
興味のあることでさえそれなのだから、興味のないことなど聞いても聞かなかった同然くらいになってしまう。
今さら双子のせいにするけれど、幼い頃から他人からの比較から逃れたくて、スポットライトの当たるリングに上がることを拒む癖があるのだろうと思う。
そのくせ見栄っ張りに負けず嫌いなものだから、地道なことは人知れずにしたりもする。

何かについて「許せない」という感情は何かをする原動力になり得る。
自分自身について考えてみると、「許せない」というような対象もあるはあるものの、それほどの怒りを抱けない、もしくは抱くことまたその表現を無意識に拒否しているのだろうなあと思う。

笑っていたい、というのは紛れもなく本当のことで、議論は嫌いではないけれど、自分も他人も、底が見えない感じで怒っている人は好きではない。
というより、怖い。

ヒヤシンスの小さな花の群集が開いた。
色といい、葉っぱといい、様相がかわいくてたまらない。