つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

論理上のやわらかさ

2013-01-27 20:10:11 | 日記
ヒロトのインタビューが載っている、ヒロトが表紙の「Rollong Stone」が届いた。
「あと4分50秒以内の注文であれば本日の発送となります」というのは私の見間違いだったようで、「あと4分50秒以内の注文であれば本日のお届けです」が正しかった。
当日注文した商品が、当日に届く。
まさかそんなこととは思っていなかったので私はポストを見なかったのだが、確かにそれは当日の配送がなされていた。

欲しいものがその欲しい感情がとても高ぶっているうちに届く。
欲しいものを待っている時間もまた云々・・と言い換えることもできなくはないけれど、今欲しい、というものを、しかも消費者の期待を上回るスピードで本当に届けることができるアマゾンはすごい。
クロネコヤマトもすごい。
それが当たり前になってしまうとおそらく人は待てなくなると思うから、サービスの提供者側はある程度最速の限りを尽くすことをコントロールしてもいいようにも思う。
いつでも消費者の期待を上回る他のサービスが提供されるのであればまた別だけれど。

最速の驚きを提供することの皺寄せを食らっているのはおそらく物流関係の人たちで、どんなにオートメーション化されていても多くの部分は人の目や人の手が加えられて消費者のもとに物が届く。
そんなことを今の仕事から色々と想像したりしつつも、最速という便利さをすんなりと享受もする。

ヒロトが話すことはだいたいいつも同じようなことを言っていたりする。
この人は本当に自分の言葉で話している。
自分で感じたことを、自分の解釈で、自分の言葉で。
だから同じような内容のことを話していたとしても肉付けにバリエーションがあったり、その時の気分が上乗せされていたりして読んでいても聴いていても本当に私は飽きない。

私は、おこがましいことを承知の上で、甲本ヒロトがロックにブルブル震えたというManfred Mann「Do Wah Diddy」が私にとってのブルーハーツの「リンダリンダ」である、と言いたい。
およそ男子中学生に向けられているような彼らのロックンロールは、26歳の私に降ってきたのだ。
それは女子高生がアイドルグループに熱を上げるのとは全然違っていて、私はヒロトにもマーシーにも、例えば付き合えたらいいのに、とかは全く思わない。
ふとあるときに人から言われるまでそんな発想もなかったことを知った。

しかしながら私が感じるロックにはセックス・ジェンダーにおけるセックス要素も多分に含んでいることもまた事実で、私はロックは男性にやってもらいたい。
むしろ最近は音楽全般、男性のものしか聴かないといってもいいほど。
それは女性がそういう表現をする絶対的人数が少ないということもあるだろうし、それに感化される人数というのはもしかすると男性より少ないということかもしれない。

ヒロトはManfred Mannとのセッション経験があるらしい。
ものすごく恐縮もしたけれど、畳何畳か分のスペースで演奏することはただ単純に仲間として楽しいんだ、というようなことを言っている。
自分の中のロックンロールを目覚めさせたまさにその人たちと一緒に演奏するだなんて、私のなけなしの想像力で想像したって恐ろしいくらいの興奮だったろうと思う。
それを結果楽しめたということは、ヒロトと彼らの間には本物のロックンロールが存在したということだろう。

私もヒロトとマーシーに直に会えたらいいのに、とは思うけれど、ライブで生を観られるだけでもいいのかもしれないとも思う。
直に会うなんてことは、まさに「恐縮」という言葉にしかならなくて、それに耐え得るだけのものを私は持ち合わせていない。

でも、会いたいけれど。
そんな飛んだ想像が楽しい。

アマゾンの戦略にまんまと乗ってついでに買った「ロックンロールが降ってきた日」という本。
現在活躍するロックミュージシャンのロックとの初めての出会いを、モノローグで綴られた本。

一人ひとりのテンションがそのまま溢れて伝わってくる。
言っている内容は、ロックンロールというものが根底にあって、それぞれの経験をものすごくマニアックなことを話している。
アーティストとしての彼らではなく、一人のリスナーとして。

別に文章として面白いわけではまったくない。
それに私はロックミュージックに詳しいわけでも全然ないからそれぞれから溢れ出てくるとてもたくさんのバンド名や曲名については宇宙語のように扱うしかないけれど、誰かが何かを心から好きであることを、相手が口を挟む隙もないくらい一生懸命話すその様は本当に美しいと思う。
内容を本当に理解することや自分の考えと合致することは置いておいて、そうでなくとも、そういう姿を楽しく嬉しく頷いて聴くことはできる。

人は本当に好きなものを話している時はとても饒舌になる。
「な、すごいだろ?いいだろ?すごいんだよこれ。」と最終的にはそういうところに落ち着くのだけれど。

一貫してたぶん彼らは人よりもエネルギー量が多い方の人間であると思う。
それを消化・昇華させる何かを見つけて、その何かにとことん興ずることはなんて素敵なことなんだろう。

書道も、ギターも、先生にそういうところを垣間見ることができるから私は好きなんだなと思う。