つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

亜細亜の希望

2013-01-15 02:34:11 | 日記
私は単に友人に会うためだけにまた京都に向かう。
お酒を飲みに行くようなものだけれども、その翌日に友人はいつも気持ちの良い寺院に連れて行ってくれる。

どこか行きたいところないの、と聞かれて、寺院や京都そのものに興味のない私はいつも「人があまりいなくて気持ちの良いところ」と答える。
明確な何かを持っていた方が迷惑でないことも知っているけれど、ピンポイントに京都で行きたいところが今の私には思い浮かばない。
それでも友人はまた気持ちの良いところ、今回は法然院に連れて行ってくれた。

会いたい人に会うためなら、今月は新しい服だって我慢しようではないか。
何かを使って、何かを減らして、何かを犠牲にして、それでも、と思えるものがあることのありがたさや、そもそもそれ以外に何か欲しいものはあっただろうかとシンプルな問いに立ち戻る。

色を増してくれる出会いを、近しい人が運んでくれることがある。
それはただの居酒屋のおじさんで、素性は全然知らない。

私自身の脱皮の話と、脱皮後期の今現在の話を簡単にすると、おじさんは私に拍手した。
加えて、私が「今まで殻を被っていたからもっと柔らかく生きたい」と言うと、「まだ若いやねんからもう一回固くしたらええねん。尖がっていったらええねん。きちんと生きてたら固くなった殻をまた割ってくれる奴が出てくる。そしたらもっと成長できるやんか。俺だってまだ割れるで」と言った。

なんてすごい人だろう。

自分がバリンバリンに割れたのは良かったけれど、非常にエネルギーの要ることなので、私はどこかでそれを遠ざけたかったという思いがあったのだ。
柔らかく生きていけば、それを回避できるのではないかと。
出会って数十分のこんな短い時間で、見破られたというか、見透かされたというか、そんなことは初めてだった。

他にもいくつかロックなことを言っていて、それらは私の脳にフラッシュを当てられて焼き付けられた。
一瞬で的を射ることができる人がいるものなのかと、お酒でふわふわする脳の中で強く思った。

おじさんが出してくれた長芋と軟骨の梅和えがとても美味しかった。
ワインじゃなくて、日本酒っていいねって翌朝に体でも実感する。

いつしか私は「お酒が弱い人」から「お酒が好きな人」に変わってしまった。
言うほど強くはないけれど。


世界は二つ 宇宙は二つ
大きな壁でまっぷたつ
何かと何か 誰かと誰か
扉のない壁でまっぷたつ
人間らしくありたいだなんて
それは人間のセリフじゃないだろ
僕らしくなくても僕は僕なんだ
君らしくなくても君は君なんだ


ヒロトとマーシーに出会ってもう1年くらいになるけれど、未だ不意に彼らに引っ付かまれて震えて泣いてしまうことがある。
出会えて良かった、って苦しいほどに思う。
本当に、ありがとうございます、と思う。

次回の書道の展覧会に私はブルーハーツかハイロウズの歌詞を書きたいと、先生に告げた。
歌詞は著作権の問題があるけれど、没後50年でない作品については詩も同様で、前回に私が書いた谷川俊太郎の詩についても同じことなのだそうだ。
営利目的ではないので書きたいものを書いたらいいわ、せっかくだから、と先生は仰った。

いよいよ選ばないといけないけれど、それを選ぶことがまず非常に困難である。
好きな曲があり過ぎて。
同じくヒロトとマーシーが大好きなあの子が結婚式で使う曲を考えるのと同じように、彼らの曲は何の気なしに聞くと誤解を招いてしまう場合もある。
その場として相応しくないものもある。

ものすごいWANTと、いつもの怠慢、の狭間、私は最近になって頻繁に思い出すことがある。