つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

とりあえず、比べないで

2014-04-05 03:26:14 | 日記
三宅伸治プロデュースのライブから1日半くらいが経過して、あまり鮮明に思い出せないことにはっとする。
石ちゃんの清志郎と、大竹しのぶの舞台感と、木村さんの圧倒的存在感と、そのくらいしか思い出せない。

RCサクセションの「君が僕を知っている」という曲はとても印象的だった。
私はこれを高らかに言うことは、誰に対しても、本当に、口が裂けてもできないな、と思う。

あとは友人と帰りに食べたサフランライスがとてもサフラン感がしておいしかったこと。
渋谷AXの敷地内に咲いていた一本の桜がとてもきれいだったこと。
それらはとても良かった。

ロックの生演奏は結構どんなでも楽しめるし、実際その場は大いに楽しんだけれど、私のどんぴしゃの探し物はそこにはありませんでした、もしくは私が見つけることはできませんでした、という感じなのだろう。
ただその場の生音というのは、ただその時間だけでもそこに行きたい、そこにいたい、と思えるほど私は音楽が楽しめるようになった。
バンドの誰がその音を出しているのだろうと、それを見ているだけでも楽しい。


久しぶりの高校の友人から連絡をもらう。
東京に引っ越してきたらごはんでも行こうという誘いだった。
「行こう行こう」と何度かやり取りをしているうちに、友人が越してきた場所が、私の前に住んでいた場所の程近くであることを知って驚く。

駅名に始まり、およその場所を聞いて、そうしたらなんと新宿区○○町まで一緒であった。
もしかしてと思ってマンション名を聞いてみるけれどそれはさすがに違ったが。
こんなこともあるものなのか。

もう何年も会っていないので、今何の仕事をしているのか、結婚しているのかすらも知らないのだけれど、この年になって初めて上京してくる気分とはどんなだろう。
その友人は学生時代、単身南アフリカ共和国に留学していたようなフットワークの軽い人だから何の問題もないようにも思うし、いやしかし、これまで何度も上京を考えることはできただろうに、30歳を目前にして住み慣れた地元を離れて大都会東京に出てくるとは何事なのだろう。

東京歴10年の私が、まさに住んでいたその辺りの住環境の説明を含め、大いに先輩風を吹かしてこようかと思う。
ここからなら「東京ドームまで自転車で行けるんだから」と、地方者の大都会東京の自慢ネタも伝授してこよう。
小石川植物園もぜひ勧めよう。

私は、大病でもしない限りはおそらくずっと東京にいたいと思っている。
東京が好きで、地元が好きではないからだ。
おばあちゃんの言うところの、「あんたは東京の子になっちゃったねえ」

友人の上京がどんな事情であれ、「東京は楽しいよ」と話そう。


先日、別の友人と会ったときに、「もし自分が突然死んだら、その連絡はあなたにはうまく伝わらないかもしれない。もしかしたらお葬式にも間に合わないくらいに。」という話をしていた。
確かにそうかもしれない。

私の密な人間関係はほとんど1対1でできていて、ネットワークになっていない。
そして当然今や東京にいる友人の方が多いわけで、お互いの友人について話はして知っていたとしても、友人の友人と連絡が取れるということもなければ、家族筋を伝って伝わることもほぼ不可能であろう。

例えば私が交通事故に遭って死んで、まず家族に連絡が行って、いもうとを経由して地元の人たちにはそれは伝わるだろう。
しかし、大学の友人にも、他でできた友人にも、それがお互いにとってどんなに密で大切な人間関係であっても、私の死が伝わるのに結構なタイムラグが生じるだろうと思う。
そしていもうとはそのほとんどの友人たちの連絡先を知らないはずだ。

しかも今の私はひとり暮らしで、自由業ともなれば毎日決まって顔を出すところもないわけで、「たまたま連絡したのに返ってこない」とか「ブログが長らく更新されない」とか、そんなことから何かを知る人がいるかいないか、と言ったところだろう。
それに、少しおかしいなと感じた人も、1日や2日返信がないだけで慌てて誰かに連絡を取ることもないだろう。
また私の友人にはソーシャルネットワークサービスを頻繁に利用している人が少ないので、伝手として有効そうなそういったものも当てにはならない。

私の人生にとても関わった人に私の死が迅速に伝わらない、それは完全な孤独死なのかもしれないなとも思う。
そういうふうに成り立っている人間関係に私がいるということだ。
かと言って何か対策を取ろうということもないけれど。