重たいスプーンをずっと探していた。
100円ショップに売っているようなペラペラのスプーンでなくて、ずっしりと重いステンレスのスプーン。
100円ショップのものは、スプーンにしてもフォークにしてもフライ返しにしても、ペラペラで薄い。
ペラペラでも問題ないコーヒーフィルターとか、床掃除用のシートなどの消耗品は十分だけれど。
重たいスプーンをずっと探していた、と言っても、ペラペラのスプーンを使うたびにそのことを思い出し、そういうキッチン用品がある売り場に出向くときにはすっかり忘れているのが常だった。
先日無印良品に寄った際に、偶然重たいスプーンを見かけて、偶然重たいスプーンが欲しかったことを思い出した。
重たいスプーンが欲しいと思い始めてかれこれ1年くらいだろうか。
やっと私は重たいスプーンを買うことができた。
ペラペラのスプーンは容易にスプーン曲げができるけれど、この重たいスプーンは本物の超能力がないとスプーン曲げはできない。
1本800円。
生活の質はこのようにじわじわと染め物をするように上げていけたらいい。
そう言えば、以前タオルの質を上げようと思って2枚のタオルを買ったのに、未だ“バシバシ”のタオルが捨てられずそっちを使っている。
質の向上に馴染まないものもある。
重たいスプーンを使うために、久しぶりにカレーでも作ろうか。
第2回句会の締め切りぎりぎりに投句を行う。
春の歳時記をぱらぱらと眺めて、掲載されている句たちのその巧さに時々心を奪われながら。
私は元々の言葉数が多いので、俳句のような短い言葉の中に当てはめるのは苦心する。
ここ数日、日常に俳句のことを持ち込んで考えていたのだけれど、やはり“ながら”でできるものではない。
日常に持ち込んだ上で、腰を据えないと作れない。
PCかスマートフォンと歳時記とで、あれこれの言葉の意味を確かめながら、微細な表現を探す。
生みの苦しみ、とまではいかないけれど、ぬるぬるっと言葉が生まれてくる瞬間と言うのは面白く楽しく気持ちの良いものである。
これを書きながら、エリッククラプトンのアンプラグドを小さい音で流しているのだが、小さい音でもやっぱりだめだ。
つい、引っ張られてしまう。
そしてそちらに対する考え事を始めてしまう。
書き物は生活雑音くらいの無音状態でないとできない。
春も進んで、夜明けが早い。
朝5時過ぎにごみを出しに行くと、白んだ曇り空に春の匂いがした。
しっとりと、微かに甘い霞の匂い。
“がんばる”という言葉が程遠過ぎて逆に浮かんでくる。
意識も体も溶け出でて、すべてをうやむやにしてしまうような芯のない空気。
思い出の中のようなぼんやりとしたその光景に、かつて行ったベトナムのハノイを思い出す。
ハノイの空気もちょうどそんなで、可愛げのある洋風のゲストハウスの白い階段が同時に思い出されたけれど、そこでした会話が何一つ思い出せない。
家の前の街路樹の脇に、白いフリージアが咲いている。
マインド、ソウル、ハート、スピリット、こころ。
もう一度、どこかの大学で英語の先生をしているあのおじさんに会いたい。

100円ショップに売っているようなペラペラのスプーンでなくて、ずっしりと重いステンレスのスプーン。
100円ショップのものは、スプーンにしてもフォークにしてもフライ返しにしても、ペラペラで薄い。
ペラペラでも問題ないコーヒーフィルターとか、床掃除用のシートなどの消耗品は十分だけれど。
重たいスプーンをずっと探していた、と言っても、ペラペラのスプーンを使うたびにそのことを思い出し、そういうキッチン用品がある売り場に出向くときにはすっかり忘れているのが常だった。
先日無印良品に寄った際に、偶然重たいスプーンを見かけて、偶然重たいスプーンが欲しかったことを思い出した。
重たいスプーンが欲しいと思い始めてかれこれ1年くらいだろうか。
やっと私は重たいスプーンを買うことができた。
ペラペラのスプーンは容易にスプーン曲げができるけれど、この重たいスプーンは本物の超能力がないとスプーン曲げはできない。
1本800円。
生活の質はこのようにじわじわと染め物をするように上げていけたらいい。
そう言えば、以前タオルの質を上げようと思って2枚のタオルを買ったのに、未だ“バシバシ”のタオルが捨てられずそっちを使っている。
質の向上に馴染まないものもある。
重たいスプーンを使うために、久しぶりにカレーでも作ろうか。
第2回句会の締め切りぎりぎりに投句を行う。
春の歳時記をぱらぱらと眺めて、掲載されている句たちのその巧さに時々心を奪われながら。
私は元々の言葉数が多いので、俳句のような短い言葉の中に当てはめるのは苦心する。
ここ数日、日常に俳句のことを持ち込んで考えていたのだけれど、やはり“ながら”でできるものではない。
日常に持ち込んだ上で、腰を据えないと作れない。
PCかスマートフォンと歳時記とで、あれこれの言葉の意味を確かめながら、微細な表現を探す。
生みの苦しみ、とまではいかないけれど、ぬるぬるっと言葉が生まれてくる瞬間と言うのは面白く楽しく気持ちの良いものである。
これを書きながら、エリッククラプトンのアンプラグドを小さい音で流しているのだが、小さい音でもやっぱりだめだ。
つい、引っ張られてしまう。
そしてそちらに対する考え事を始めてしまう。
書き物は生活雑音くらいの無音状態でないとできない。
春も進んで、夜明けが早い。
朝5時過ぎにごみを出しに行くと、白んだ曇り空に春の匂いがした。
しっとりと、微かに甘い霞の匂い。
“がんばる”という言葉が程遠過ぎて逆に浮かんでくる。
意識も体も溶け出でて、すべてをうやむやにしてしまうような芯のない空気。
思い出の中のようなぼんやりとしたその光景に、かつて行ったベトナムのハノイを思い出す。
ハノイの空気もちょうどそんなで、可愛げのある洋風のゲストハウスの白い階段が同時に思い出されたけれど、そこでした会話が何一つ思い出せない。
家の前の街路樹の脇に、白いフリージアが咲いている。
マインド、ソウル、ハート、スピリット、こころ。
もう一度、どこかの大学で英語の先生をしているあのおじさんに会いたい。

