つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

千種類のレシピ

2014-04-21 16:48:22 | 日記
第二回の句会に参加する。
「いろは句会」という名前が付いた。

“昼下がりの大人のお喋り会”ではないところが良い。
何かについて真剣に考えることは面白い。
好きの中にも面倒は必ず含まれるけれど、面倒を取らずに面白いことなんてないのかもしれない。

今回思ったのは、俳句の世界は実に技巧的であり、その素養がないと本当には楽しめないということである。
韻を踏むこと、破調、語感、言葉の掛け合わせ、句の中のコントラスト、物事の射抜き方、書いた時の字面、さまざまな言葉の意味や文学的背景、俳句的表現。
そしてさらに、洒落やお茶目さも取り込みたい。
しかしまた、裏を返すと技巧的になりすぎるのはかえって趣がなくなってしまうこともある。

五・七・五の短い言葉の世界から、飛躍的な意味の世界が広がる。
意味の想像は各人の自由であるが、小さな句会であれば作り手の意図を確かめることができる。

芽吹き頃 姪の言の葉 あどけなし

今回、私の作った句で得点を頂いたのがこの句。
新緑の溌剌と沸き出でてくる生命力、しかしその新芽は柔らかくてあどけなさを感じる、それはまるでどんどんと言葉を吸収して喋り始める幼い姪の言葉のようである、というような意味。
「芽吹き頃」と「姪の」で韻を踏んでいること、「芽吹く葉っぱ」と「言の葉」の掛け合わせ、新芽も姪の喋り始めの言葉も稚くて可愛らしいという意を掛けて「あどけない」を使った。
批評として、前半部分に感じが多いので柔らかさを出すためには「頃」を「ごろ」とひらがなにしたら良かったのでは、ということがあった。
なるほど、私は今回作るときに字面について全く意識を向けていなかった。

狙撃手の 銃に止まれる 蝶一匹

私が最も高い得点を付けたのがこの句。
春の句だから柔らかな感じのするものが多い中で、戦場写真のような一句で、全くもって私の発想では描けない世界観である。
温かな春の草原の中、鼓動さえ聞こえてきそうな緊迫感、春の陽射しを浴びて黒光りしたライフル銃、そこへ音もなくひらひらと舞ってきた黄色い蝶。
蝶がいることによって春の空気が漂って、蝶が銃に止まって緊迫が一瞬解かれたのか、はたまた最初から緊迫の中に春の緩さがあったのか。
句として切り取られたのはその一瞬で、一時停止を解除された次の瞬間に動き出す“to be continued”感。
というのが、私が最初に読んで浮かんだこの句のイメージ。
作者は小説の編集などをやられている方で、こういった題材を扱うところから発想しているとのことだった。

私が作った後の二首は、
春の星 見上げて潤む 遠き星
眼鏡して マスクして見る 曇り桜

春の星の句は、先日Mちゃんが亡くなったことを受けて作ったもの。
歳時記を読んでいて、「春の星」という季語は春の霞がかった空気に「潤む」という意味合いが含まれるようで、それが頭を上げて涙をこらえることに通じている。
「遠き星」で死んでしまったことを表しているが、説明なしには想像しづらいかもしれない。
眼鏡しての句は、花粉の季節で眼鏡もマスクもして出かけたら自分の息で眼鏡が曇ってしまって桜が曇ってしまったよ、ついでに空も曇り空だ、という気軽な句。


いもうとから姪と花の写真が送られてきた。
「この花は何でしょう?」と言われて、私は即座に「チューリップ」と答える。
私の花歴をなめてもらっては困る。