つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

触れない明確で透明な膜

2014-04-28 16:29:52 | 日記
少し久しぶりに筆を取る。
毎月の課題もこなしつつ、私にとっての書道はやはり修行のようなものだなと思う。
思い切ってやっても思い切れていないこととか、最終的に怖がって尻すぼみになったりとか、意図せずお行儀よくなってしまったりとか。
そんな自分が滲み出てくる。

放っておくと慣れた方へ慣れた方へと流れてしまう。
なんとなく気持ちの良いところはもう知っているからそこに自然に向かってしまう。
留まって滞ってしまう古い自分が出てくる。
すると何とも面白くない物が出来上がって、最近はそのことに落ち込むようになった。

“破壊”には意志が要る。
いや破壊に意志は必要でない人もいるのだろうけれど、私は意志の下そうすることを良しとしているし、自覚的でありたいと思っている。
だから明確でないまでもある程度方向性の見える意志がない限りは破壊など起こせない。

ゲームで言うところの2面になったのか3面になったのか、私はそこをクリアする武器のようなものを得られずにいる。
波風を立てることは好まない、と断言してやってきたことは今や悪癖なのかもしれない。
バイオリズムが崩れることを酷く嫌っているし、できるだけ落ちないように傷つかないようにもしている。
ついでに、自分が暗くなることも、それを見せることも嫌だ。
しかし、その方法が本意ならばいいけれど、まだまだ見て見ぬふりをしている自分の存在を背後に感じているし、それを放置し続けることができないことも分かる。

何億年も昔、何かが星になって、こんなにインターネットが発達した情報社会でも、検索しても検索しても、検索しても見つからないもの。
“大事なことは言葉になんかできない”というのは、本当なのかもしれない。
それでも私はそういうことに近しいことを言っている言葉が大好きだし、まだそういうことを考えるだけで涙が出そうになる。
怖くて、切なくて、でもそれだけで満ちていて、美しいもの。

「銀河鉄道999」
良い詞だ。