グループ魂とクロマニヨンズの対バンライブ。
グループ魂の音楽ジャンルは「パンクコントバンド」らしい。
宮藤官九郎や阿部サダヲをが織り成すほぼ下ネタのコントとパンクミュージックは、愉快でありとてもかっこよかった。
彼らの芸が低俗であるのか高尚であるのか、グループ魂やそのメンバーの他の作品を思うと舌を巻く以外にはなく、高度な技術を持っている大人が遊んでいるのはとても面白い。
今回、クロマニヨンズのライブは私にとって少し記念すべきものになった。
最前列に行きたいと突っ込むこともなく、私はとても穏やかで優しい気持ちで見ていた。
さほどリズムに乗ることもせず、彼らを凝視していたのはいつもと変わらないけれど、いつもと違う明らかな気持ちの変化があった。
そうだ、私は少し、飽きている。
いつかそういう日が来るだろうと、私をそのことをとてもとても恐ろしく思っていた節があって、そうなったら私は何を糧に生きていくのだろうと想像するだけで絶望に近い気持ちがしていた。
しかし実際に昨日、生ライブの彼らを見て、私はすごく優しい気持ちでそれを迎えた。
確かにそれはここ数週間感じていたことでもあった。
お酒を飲んでヘロヘロの状態で朝7時の帰途、私の耳にはブルーハーツが流れていて、どんな曲も子守唄みたいに優しく聴こえてきた。
今までぎゅうっとさせられていた気持ちが、体に同化したような感じがしていた。
私はこれまで、彼らに自分の中のある問題について慰められていたのかもしれない。
考えたくて考えたくない私の中のある問題は、彼らの音楽と言葉を借りることによって徐々にさらけ出された。
その問題を解体していく作業は、紛れもなく“自分と向き合う”ということであって、私は彼らの作品をそのツールとして使い切ったのかもしれない。
問題が解決されたわけではない、完全に解決される類のものでもない。
問題そのものを知る深度が進んだだけだ。
変わらない彼らのパフォーマンスは、本当の意味で尊敬に変わったのかもしれない。
ある価値観が、私の中の土壌として固まって、それについては安定したのかもしれない。
ある価値観が“殿堂入り”したと言ってもいい。
しかし一方で、その価値観の存在そのものはいつだって不安定で不確かだ。
なりふり構わず彼らのことを追ってきたのは、何と比較もできない格別な喜びであり興奮だった。
ロックンロールへの入り口としては申し分ないことで、私は自分のことがなんて幸せな人間だろうと思う。
誰かにする感謝ということを、身を持って知ることができた気がする。
ただ私の中で変わらないのは、ロックンロールへの敬愛だ。
ロックンロールに飽きてしまったわけでは毛頭ない。
私の中のある問題についても、他の何かによって掘り進めていくことも変わらない。
優しい気持ちで彼らのライブを観たり、曲を聴いたりすることも変わらない。
後付けだけれど、今回展覧会に出品する「月の爆撃機」はそういう意味でとても良いテーマであった。
清々しさと、この上ない深謝と、空虚感への恐怖と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/4c/507897b6ff6a7cf6468ac482ead1a00e.jpg)
グループ魂の音楽ジャンルは「パンクコントバンド」らしい。
宮藤官九郎や阿部サダヲをが織り成すほぼ下ネタのコントとパンクミュージックは、愉快でありとてもかっこよかった。
彼らの芸が低俗であるのか高尚であるのか、グループ魂やそのメンバーの他の作品を思うと舌を巻く以外にはなく、高度な技術を持っている大人が遊んでいるのはとても面白い。
今回、クロマニヨンズのライブは私にとって少し記念すべきものになった。
最前列に行きたいと突っ込むこともなく、私はとても穏やかで優しい気持ちで見ていた。
さほどリズムに乗ることもせず、彼らを凝視していたのはいつもと変わらないけれど、いつもと違う明らかな気持ちの変化があった。
そうだ、私は少し、飽きている。
いつかそういう日が来るだろうと、私をそのことをとてもとても恐ろしく思っていた節があって、そうなったら私は何を糧に生きていくのだろうと想像するだけで絶望に近い気持ちがしていた。
しかし実際に昨日、生ライブの彼らを見て、私はすごく優しい気持ちでそれを迎えた。
確かにそれはここ数週間感じていたことでもあった。
お酒を飲んでヘロヘロの状態で朝7時の帰途、私の耳にはブルーハーツが流れていて、どんな曲も子守唄みたいに優しく聴こえてきた。
今までぎゅうっとさせられていた気持ちが、体に同化したような感じがしていた。
私はこれまで、彼らに自分の中のある問題について慰められていたのかもしれない。
考えたくて考えたくない私の中のある問題は、彼らの音楽と言葉を借りることによって徐々にさらけ出された。
その問題を解体していく作業は、紛れもなく“自分と向き合う”ということであって、私は彼らの作品をそのツールとして使い切ったのかもしれない。
問題が解決されたわけではない、完全に解決される類のものでもない。
問題そのものを知る深度が進んだだけだ。
変わらない彼らのパフォーマンスは、本当の意味で尊敬に変わったのかもしれない。
ある価値観が、私の中の土壌として固まって、それについては安定したのかもしれない。
ある価値観が“殿堂入り”したと言ってもいい。
しかし一方で、その価値観の存在そのものはいつだって不安定で不確かだ。
なりふり構わず彼らのことを追ってきたのは、何と比較もできない格別な喜びであり興奮だった。
ロックンロールへの入り口としては申し分ないことで、私は自分のことがなんて幸せな人間だろうと思う。
誰かにする感謝ということを、身を持って知ることができた気がする。
ただ私の中で変わらないのは、ロックンロールへの敬愛だ。
ロックンロールに飽きてしまったわけでは毛頭ない。
私の中のある問題についても、他の何かによって掘り進めていくことも変わらない。
優しい気持ちで彼らのライブを観たり、曲を聴いたりすることも変わらない。
後付けだけれど、今回展覧会に出品する「月の爆撃機」はそういう意味でとても良いテーマであった。
清々しさと、この上ない深謝と、空虚感への恐怖と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/4c/507897b6ff6a7cf6468ac482ead1a00e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/ea/0b019ce544a4bc5c4c42e316b341fefd.jpg)