真夜中、というか明け方に、部屋の模様替えをした。
Mr.BIGは体にちょうど良いなと思いながら、アルバムを2回リピートする。
火照るくらいに動くにはちょうど良い季節だ。
私はパズルみたいに物を空間に当てはめて片付けていくのが得意なので、黙々と机やらテレビやらをそうして移動させていたら、部屋があまりにも広くなりすぎて驚く。
確かに今の部屋は元々広い。
加えて、細長く広いので物を寄せると相当なスペースになる。
基本的にはシンプルにすっきりとしていたいので余分なものは増やしたくない。
清々しいまでの何もないスペース。
懸念していたパキラの虫入りの土も無事にゴミに出し、ブーツに新聞を詰めてしまったり、花や小物の位置も少しだけ移動させる。
小さな掛け時計の位置を変えたら、前にあった時計の場所を何度も何度も見てしまう。
私は時間を気にして生きているんだなあとハッとする。
そう言えば、私の部屋にはゴミ箱が一つもない。
置かない主義というわけでもなく、以前ゴミ箱に使っていた入れ物に他のものを入れているのでゴミ箱がなくなってしまったのだ。
買おう買おうと何度か探したけれどなかなかしっくりくるものが見つからず、そのうちに探すのも止めて、1か所にスーパーのゴミ袋を置いて全部のゴミをそこに集約させている。
ほとんど不便がないのでいいのだが、見栄えは悪い。
夏用の布団カバーと、メインのカーテンと、小窓のカーテンと、収納物を隠す布が欲しい。
それが揃えば一旦この模様替え熱は収まりそうだ。
今の部屋は朝日が眩しい部屋だ。
最近ではもう4時半くらいになると空は白み、早朝の空気が立ち込める。
季節が進んで、寝るときにはすっかり日が昇ってしまうことには既に慣れてしまったが、朝日が高くなって陽射しが強いのを感じると少し驚く。
このまま寝ないで一日が始められそうな気分にもなる。
しかしそうして2時間くらいいつもよりも変に起きていても、結局眠くなるので寝る。
“これが終わるまで寝られるか”のような頑張りを、仕事でも趣味でも時々する。
そうすると、それまで二進も三進も行かなかったことがふとスッと抜けることがある。
もう、安堵以外の何物でもない。
何事も思い通りに行かせたいけれど、“思い通り”がどこにあるのか分からなくなる時がある。
気持ちの良いところにばかり行っていては新しいものは見えない、とこの前言った気がするが、気持ちの良いことすら分からなくなる時がある。
我慢してがまんしてやり続けれることで抜けられる保証もないまま。
それはとても怖い。
諦めてはダメだ、は正しいと思うけれど、果たして何を諦めたらダメなのか。
今朝は、我慢してがまんして我慢してがまんして、そうして続けていたらやっと抜けられた。
それは新しい場所ではなくていつもの気持ちの良いところだったけれど。
それでも、安堵の気持ちでいっぱいだった。
ぐるぐる何周も回りまわって、再び出会ってしまうのは自分。
決して消せない、匂い立ってしまう軌跡。
Mr.BIGは体にちょうど良いなと思いながら、アルバムを2回リピートする。
火照るくらいに動くにはちょうど良い季節だ。
私はパズルみたいに物を空間に当てはめて片付けていくのが得意なので、黙々と机やらテレビやらをそうして移動させていたら、部屋があまりにも広くなりすぎて驚く。
確かに今の部屋は元々広い。
加えて、細長く広いので物を寄せると相当なスペースになる。
基本的にはシンプルにすっきりとしていたいので余分なものは増やしたくない。
清々しいまでの何もないスペース。
懸念していたパキラの虫入りの土も無事にゴミに出し、ブーツに新聞を詰めてしまったり、花や小物の位置も少しだけ移動させる。
小さな掛け時計の位置を変えたら、前にあった時計の場所を何度も何度も見てしまう。
私は時間を気にして生きているんだなあとハッとする。
そう言えば、私の部屋にはゴミ箱が一つもない。
置かない主義というわけでもなく、以前ゴミ箱に使っていた入れ物に他のものを入れているのでゴミ箱がなくなってしまったのだ。
買おう買おうと何度か探したけれどなかなかしっくりくるものが見つからず、そのうちに探すのも止めて、1か所にスーパーのゴミ袋を置いて全部のゴミをそこに集約させている。
ほとんど不便がないのでいいのだが、見栄えは悪い。
夏用の布団カバーと、メインのカーテンと、小窓のカーテンと、収納物を隠す布が欲しい。
それが揃えば一旦この模様替え熱は収まりそうだ。
今の部屋は朝日が眩しい部屋だ。
最近ではもう4時半くらいになると空は白み、早朝の空気が立ち込める。
季節が進んで、寝るときにはすっかり日が昇ってしまうことには既に慣れてしまったが、朝日が高くなって陽射しが強いのを感じると少し驚く。
このまま寝ないで一日が始められそうな気分にもなる。
しかしそうして2時間くらいいつもよりも変に起きていても、結局眠くなるので寝る。
“これが終わるまで寝られるか”のような頑張りを、仕事でも趣味でも時々する。
そうすると、それまで二進も三進も行かなかったことがふとスッと抜けることがある。
もう、安堵以外の何物でもない。
何事も思い通りに行かせたいけれど、“思い通り”がどこにあるのか分からなくなる時がある。
気持ちの良いところにばかり行っていては新しいものは見えない、とこの前言った気がするが、気持ちの良いことすら分からなくなる時がある。
我慢してがまんしてやり続けれることで抜けられる保証もないまま。
それはとても怖い。
諦めてはダメだ、は正しいと思うけれど、果たして何を諦めたらダメなのか。
今朝は、我慢してがまんして我慢してがまんして、そうして続けていたらやっと抜けられた。
それは新しい場所ではなくていつもの気持ちの良いところだったけれど。
それでも、安堵の気持ちでいっぱいだった。
ぐるぐる何周も回りまわって、再び出会ってしまうのは自分。
決して消せない、匂い立ってしまう軌跡。