緑は目に染みるし、食材はおいしいし、姪はかわいいし、髪の調子はいいけれど、つまらない、やはりつまらない。
世間に流されるがままに実家に帰ってきた。
これを思うのはいつものことだけれど。
本当に、一泊以上はいたらダメだ。
あらゆることを選べない、存在を気にされることなくひとりで居ることができない、なんて耐えられない。
つい先日、中学校の頃の同級生から電話をもらった。
いつかの同窓会か成人式か、それ以来会ってもいないし、そもそもちゃんと話したこともないような人。
東京に住んでいる別の友達を介して、私に連絡をしてきたのだった。
彼は、生粋のヤンキーだった。
学ランは変形のものだったし、金髪に染めていたし、バイクで学校に来ていたりしていたし、他にどんな悪さをしていたのかしれない。
私は彼らのことをあからさまに怖がることもなかったけれど、できれば関わりたくないと願っていた。
というか、私はその頃の思い出は断片的にしか思い出せないというか、まだあまり向き合っていないので詳しいことは自分でもわからない。
だから、彼の人間性についてもほとんど知らないし、かと言って激しく乱暴していたような記憶もないので、本当は悪さなどしていなかったのかもしれない。
別の友達は彼とずっと仲良しで、私はその友達から彼がとても良い奴で真面目に仕事をしていると何度か聞かされていた。
結婚して離婚して再婚して、いまの奥さんとの間に子どもがひとり、7年前から介護の仕事をしていて2、3年前には介護士の資格も取っている、話のできるあったかい奴だよと言っていた。
だからなんとなく私の中には、軽薄だけれど、彼に対する尊敬の念みたいなものが薄っすらと作られていた。
しかしながら、正直なところ、私は彼と話すのは少し緊張する。
ものすごく独りよがりだけれど、お互いどこか嘲笑ってしまうのではないかという私の勝手な想像で。
彼のヤンキーだった頃の本物の鬱憤みたいなものがあるのであれば是非に聞いてみたいし、今の彼の現状も興味がある。
でもあの頃の私は私なりに多分に“カッコつけて”いたし、勉強もそれなりにできた。
そういう人に対して「真面目腐っちゃって」と思われているのではないかとか、「東京気取っちゃって」とか。
私は私で「ヤンキーだったのに大人になって」というような何とも上からの視線をかけてしまいそうなのだ。
そんなものは今更なのだが、思い出すのさえ骨が折れるあの頃を、他人を介して潜り込むのはちょっと怖い。
彼は電話で、30歳を節目に皆で集まりたいと言っていた。
「こっちにおる奴らも未だにつんつんしとる奴らも多いもんでつまらんじゃん。そんなん今更だらぁ。今会ったらぜってぇおもしれーって。」
という彼の発言は、おっしゃる通り、という感じだけれど、彼の中のあの頃というのはどのような位置づけなのだろうか。
人と人との繋がりは、どちらかからの能動的なアプローチ以外には成り立たない、と私は強く思っていて、基本的に一体一の関係しか持たない私にはコミュニティの集まりは苦手である。
それはたぶん今後も変わらないように思うけれど、自分を知るという意味ではこれまで考えるのを避けていた居心地の悪かったあの頃にきっかけとして突っ込んで見るのは、もしかすると激しく何かが動くかもしれないなとも思う。
明日はけいこと一緒にギターを見に行く。
その後、側溝清掃を手伝えと言われている。
私の嫌いな種類の虫が出ませんように。


世間に流されるがままに実家に帰ってきた。
これを思うのはいつものことだけれど。
本当に、一泊以上はいたらダメだ。
あらゆることを選べない、存在を気にされることなくひとりで居ることができない、なんて耐えられない。
つい先日、中学校の頃の同級生から電話をもらった。
いつかの同窓会か成人式か、それ以来会ってもいないし、そもそもちゃんと話したこともないような人。
東京に住んでいる別の友達を介して、私に連絡をしてきたのだった。
彼は、生粋のヤンキーだった。
学ランは変形のものだったし、金髪に染めていたし、バイクで学校に来ていたりしていたし、他にどんな悪さをしていたのかしれない。
私は彼らのことをあからさまに怖がることもなかったけれど、できれば関わりたくないと願っていた。
というか、私はその頃の思い出は断片的にしか思い出せないというか、まだあまり向き合っていないので詳しいことは自分でもわからない。
だから、彼の人間性についてもほとんど知らないし、かと言って激しく乱暴していたような記憶もないので、本当は悪さなどしていなかったのかもしれない。
別の友達は彼とずっと仲良しで、私はその友達から彼がとても良い奴で真面目に仕事をしていると何度か聞かされていた。
結婚して離婚して再婚して、いまの奥さんとの間に子どもがひとり、7年前から介護の仕事をしていて2、3年前には介護士の資格も取っている、話のできるあったかい奴だよと言っていた。
だからなんとなく私の中には、軽薄だけれど、彼に対する尊敬の念みたいなものが薄っすらと作られていた。
しかしながら、正直なところ、私は彼と話すのは少し緊張する。
ものすごく独りよがりだけれど、お互いどこか嘲笑ってしまうのではないかという私の勝手な想像で。
彼のヤンキーだった頃の本物の鬱憤みたいなものがあるのであれば是非に聞いてみたいし、今の彼の現状も興味がある。
でもあの頃の私は私なりに多分に“カッコつけて”いたし、勉強もそれなりにできた。
そういう人に対して「真面目腐っちゃって」と思われているのではないかとか、「東京気取っちゃって」とか。
私は私で「ヤンキーだったのに大人になって」というような何とも上からの視線をかけてしまいそうなのだ。
そんなものは今更なのだが、思い出すのさえ骨が折れるあの頃を、他人を介して潜り込むのはちょっと怖い。
彼は電話で、30歳を節目に皆で集まりたいと言っていた。
「こっちにおる奴らも未だにつんつんしとる奴らも多いもんでつまらんじゃん。そんなん今更だらぁ。今会ったらぜってぇおもしれーって。」
という彼の発言は、おっしゃる通り、という感じだけれど、彼の中のあの頃というのはどのような位置づけなのだろうか。
人と人との繋がりは、どちらかからの能動的なアプローチ以外には成り立たない、と私は強く思っていて、基本的に一体一の関係しか持たない私にはコミュニティの集まりは苦手である。
それはたぶん今後も変わらないように思うけれど、自分を知るという意味ではこれまで考えるのを避けていた居心地の悪かったあの頃にきっかけとして突っ込んで見るのは、もしかすると激しく何かが動くかもしれないなとも思う。
明日はけいこと一緒にギターを見に行く。
その後、側溝清掃を手伝えと言われている。
私の嫌いな種類の虫が出ませんように。

