つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

完璧なとき

2014-05-11 15:15:45 | 日記
はじめて自分で丸のままのごぼうを買った。
過去に、きんぴら用にカットされているごぼうは何度か買ったことがある。

別にごぼう自体は特別好きでも嫌いでもない。
ただ、土だらけのごぼうを見て、そういう食べ物を自分で料理してみたいなと思った。

シンクで、アルミホイルでこすって土と皮を落とす。
土の匂いが立ち込める。
たわしで洗う、とどこかに書いてあったけれど、たわしは持っていない。

細切りにして水にさらし、ついでに人参も細切りにする。
ごま油をで唐辛子と一緒に炒め、砂糖、醤油、みりん、最後にすりごまをぱらり。

砂糖は、醤油とみりんの前に入れて、そこでよく炒め合わせて甘味をぎゅっとごぼうと人参に入れることがポイントです、とどこかに書いてあったのでそうする。
調味料を入れる順番の、さしすせそ、には理由があって、砂糖は分子が大きいので素材に染み込みやすく、後の調味料も染み込みやすくなる、とどこかに書いてあった。
私の技術の身になっているかどうかはさておき、料理過程のポイントを知るのは結構好きだ。

未だに白菜が売っていると買ってしまうので、いつもの白菜の煮物も作る。
あと最近定番になりつつあるもやしのナムル。

ごはん、納豆、白菜の煮物、きんぴらごぼう、もやしのナムル。
鍋の関係で今日はお味噌汁はない。
それにしてもなんだこの健康的な副菜ばかりの献立は。
きんぴらごぼうは随分と歯ごたえがあって少々甘みがぎゅっとなり過ぎていたけれど、武骨な感じが美味しかった。

自分が喜んでくれるものを自分で作れる、というのは料理はてっとり早い。

しかしごぼうも人参も細切りにするのは面倒だった。
ピーラーでささがきでも歯ごたえがそれなりならば次回からそっちにしたい。


グレイズアナトミーのシーズン9は少し面白味に欠けるものだった。
もう既に主要登場人物全員が何らかで命の危機に2度くらいずつさらされているし、中には死んでいる人も何人もいるし、体内から爆弾は見つかるし、無差別発砲事件は発生するし、飛行機は墜落するし、正体不明のウイルスは出てくるしで、さすがにネタが切れてきたのだろう。
アクションドラマではないのにも関わらずこんなにもどんちゃんやられると、観客が刺激に慣れてしまって、ちょっとやそっとのことでは驚かなくなる。

主人公たちはそもそもで持っているトラウマに、新たなトラウマを上塗り上塗りに重ねていき、それを友達や恋人、家族と一緒に乗り越えていく、というのがこのドラマの基本筋だ。
加えて、舞台は病院であるから、当然ながら命に関わるテーマも基本筋だ。

喚き散らす、怒鳴り散らす、という場面がよく出てくるのは国民性の違いだろうし、「自分が最も大事である、そしてできれば君と一緒にいたい」という人間関係のあり方は、見ていて苦しさと美しさの両方がある。
相手のすべてを受け入れる姿勢で、それでも自分の核の部分と違うのであれば、それはたとえ擦れ合ったとしても自分を折らない。

最終話、クリスティーナがオーウェンに言った言葉はとても印象的だった。
「あんたは本当に私だけで満足?」

子どもが欲しくないクリスティーナは、オペをすることが自分の本物の生きがいであると感じている。
過去に既に二人の間にできた子どもを堕ろしていて、そのことで危機的な状況に陥ってもいる。

それを乗り越えたように見えた二人であったが、しかしながら暫く経ってさまざまなことを通じて、オーウェンは子どもが欲しいと心底で願っていることにクリスティーナは気づく。
オーウェンはそのことを口には出さないし、本人も気付いていないかもしれないが、その根源的な欲求は行動として滲み出てしまっている。
しかし、クリスティーナは自分はオペをする度に、生きがいという興奮を得る人間であることも自覚している。

二人は確信的に愛し合っている。

「本当はどうしたい?」「本当に満足している?」
という究極の質問は、他人に問いかけることはできても、その答えは本人しか持ち得ない。
愛していることが本当で、奇跡的に紛れもないことだとしても、「自分がどうしたいか」ということは愛する人でさえなしにして考えるようなことだ。
それがずっと過去に置き去りにされて風化しているようなことでも、叶わないかもしれないことでも。
強い気持ちで、独立して目指さないと“本当の満足”など訪れない。
そんな自分の欲求に気が付くことは、死ぬほど幸せなことであり、死ぬほど怖いことでもある。

全ては、自分が“本当の満足”行きつくため。


「そして父になる」
「ゼロ・グラビティ」

「ゼロ・グラビティ」を観ている途中で寝てしまって、ふと起きたら宇宙でもがいていたはずの主人公が湖に上がっていて驚く。
寝てしまったところに巻き戻して再度観る。

考えることはほとんどない。
絶対に「生きる、地球に還る」という執念を、宇宙空間という壮大な非日常世界で貫く。
これは是非大きなスクリーンで観たかった。


久しぶりに開いた酒井若菜さんのブログが更新されていた。
彼女の心は、私とはかけ離れているように思うけれど、とても興味深い。
そしてその文章表現は本当に頭が下がる。
発想力において出色の表現というよりかは、気持ちや情景や真理的事柄の表現がとても微細である。

ファンが読んでいるブログであって、「心がおぼつかない夜に」というブログの総集本も出ているくらい、そういう辛い状況にある人が読んでどこかの方向から元気づけられるように、というコンセプトの下に書かれているものだ。
それは真っ向から相手を励ますという体ではなくて、彼女自身の辛いことを、核の部分を隠したままある程度まとまった形でさらけ出す、という方法で行われる。

内容は現実よりもずっとライトになっているだろうけれど、彼女本人がここにいます、という一種の主張が文章の基盤として存在している。
共感という感じは私は全然持てないけれど、その個人の露出を叶えている表現力、努力といってもいい、に私は少し気持ちを奪われる。