嬉しい、東京は嬉しい。
実家であまりにも時間を持て余したので、美容院に行って何年かぶりに髪を染めた。
色味が明るくなって軽くなったら、存在感が薄れたような感じがした。
地震で花瓶が倒れいているのではないかと随分心配していたが、部屋は何事もなかったかのように固まったままだった。
実家でよく眠れなかったので4時間ほど一人掛けのソファでものすごい体勢で寝て、その後ベッドでまた寝た。
依頼された書を渡しに行く。
都内を自転車で走るのが好きだ。
人や車が多くて走りづらい道も多いけれど、自転車ひとつで、自分の力で、あちこち行けるのは楽しいことだ。
最近よく大学の付近に行くので、大学が懐かしいと思うことは薄れた。
しかしキャンパスの増改築で大きくて立派なプレハブで視界が抜けないのには慣れない。
人に差し上げる書は、やはりそれなりに苦心する。
課題として教室に出すのもそれなりに頑張るけれど、先生が評価するのは私が良いと思うものと違ったりするのであれもこれも持っていく。
しかし差し上げる書は自分で一つに決めなければいけない。
要は基準は私、ということになる。
それなりに気に入るもの、収まりの良いもの、自己満足に及ぶものを出さねばならない。
誰も分からない勝手な満足だとしても、それなりの満足には到達せねばならない。
自分の句も1句入れて、今回5句を書いたのだが、実は全部で300枚くらい書いている。
決して嫌ではなくて、好きでやっていることだし、むしろ修行のような感じでありがたい。
がさっと半紙の束を取り、イメージ上の構成を書いていくのだが、どうにも収まりが悪く行ったり来たりで、何度もがさっと半紙の束を取り直して書き続けた。
所詮私の技術や想像力がそんなものであることは重々承知しているけれど、途中まとまりが見えないととても不安になる。
終われないかもしれない、差し上げることができないかもしれない、と思う。
血が出るほどの努力とは全く言えないけれど、結局その日は深夜3時くらいから始めて寝たのが朝8時だった。
なんとも清々しい朝だった。
すんなり出来てしまうこともあるし、そうでないこともある。
俳句を書くのは字数が少ないので、バランスの面で行くと短歌を書くより難しいように思う。
立派な額に入れていただくと、見栄えが良くなる。
表装までのイメージもあれこれ浮かぶ。
表装は面倒極まりないけれど、裏打ちして表装までやって完成という域もあるだろう。
もっと言えば、それを飾る空間までやって完成という域だってある。
ギターだって、ピックで弾くのもままならないうちから指でやるのはやめようと思っていたけれど、指で弾くのも全然違って楽しいかもしれないと、ほんの少しだけやってみて思う。
どこまでやるか、何をやるか。
は重要だし、決めるのは難しい。
「さて今日の お八つは 草餅桜餅」 たかじの句
私はこの句は「むふふ」という作者のひとりの楽しみのうきうきとした心情が伝わってきて好きである。
楽しみを目の前にする、楽しみなことがこれから起こる、という状態はとても好ましいことだ。
実家であまりにも時間を持て余したので、美容院に行って何年かぶりに髪を染めた。
色味が明るくなって軽くなったら、存在感が薄れたような感じがした。
地震で花瓶が倒れいているのではないかと随分心配していたが、部屋は何事もなかったかのように固まったままだった。
実家でよく眠れなかったので4時間ほど一人掛けのソファでものすごい体勢で寝て、その後ベッドでまた寝た。
依頼された書を渡しに行く。
都内を自転車で走るのが好きだ。
人や車が多くて走りづらい道も多いけれど、自転車ひとつで、自分の力で、あちこち行けるのは楽しいことだ。
最近よく大学の付近に行くので、大学が懐かしいと思うことは薄れた。
しかしキャンパスの増改築で大きくて立派なプレハブで視界が抜けないのには慣れない。
人に差し上げる書は、やはりそれなりに苦心する。
課題として教室に出すのもそれなりに頑張るけれど、先生が評価するのは私が良いと思うものと違ったりするのであれもこれも持っていく。
しかし差し上げる書は自分で一つに決めなければいけない。
要は基準は私、ということになる。
それなりに気に入るもの、収まりの良いもの、自己満足に及ぶものを出さねばならない。
誰も分からない勝手な満足だとしても、それなりの満足には到達せねばならない。
自分の句も1句入れて、今回5句を書いたのだが、実は全部で300枚くらい書いている。
決して嫌ではなくて、好きでやっていることだし、むしろ修行のような感じでありがたい。
がさっと半紙の束を取り、イメージ上の構成を書いていくのだが、どうにも収まりが悪く行ったり来たりで、何度もがさっと半紙の束を取り直して書き続けた。
所詮私の技術や想像力がそんなものであることは重々承知しているけれど、途中まとまりが見えないととても不安になる。
終われないかもしれない、差し上げることができないかもしれない、と思う。
血が出るほどの努力とは全く言えないけれど、結局その日は深夜3時くらいから始めて寝たのが朝8時だった。
なんとも清々しい朝だった。
すんなり出来てしまうこともあるし、そうでないこともある。
俳句を書くのは字数が少ないので、バランスの面で行くと短歌を書くより難しいように思う。
立派な額に入れていただくと、見栄えが良くなる。
表装までのイメージもあれこれ浮かぶ。
表装は面倒極まりないけれど、裏打ちして表装までやって完成という域もあるだろう。
もっと言えば、それを飾る空間までやって完成という域だってある。
ギターだって、ピックで弾くのもままならないうちから指でやるのはやめようと思っていたけれど、指で弾くのも全然違って楽しいかもしれないと、ほんの少しだけやってみて思う。
どこまでやるか、何をやるか。
は重要だし、決めるのは難しい。
「さて今日の お八つは 草餅桜餅」 たかじの句
私はこの句は「むふふ」という作者のひとりの楽しみのうきうきとした心情が伝わってきて好きである。
楽しみを目の前にする、楽しみなことがこれから起こる、という状態はとても好ましいことだ。