つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

青みで頬張る焼うどん

2014-05-22 16:24:50 | 日記
撮った花を加工しない、というのことを自分でも不可解なポリシーの下に今までやってきた。
不可解なポリシーというのは、浅い上での「生がいい」「自然に手を加えてはだめだ」ということ。

しかし、そもそもカメラのデフォルト設定や癖、光の調節などを撮る前にしているわけだし、写真というのは撮り手の目線なわけだからすでに被写体そのものであるわけでは全然ない。
それに被写体そのものを切ったり整えたりしているわけであって、手はもう加えられまくっている。

まあでも撮ってからの加工はまた別もので、それをやり始めたらきりがないので、撮る時点でなるべく良いショットを納めたい、ということはある。

今はアイフォンのカメラアプリで手軽に様々なことがワンタッチでできる。
モノクロ写真専用のカメラアプリなんてものもあるらしい。
今のアプリを見ていたら、ふとその機能が手に止まってモノクロにしてみたり霞がかったようにモードを変えてみる。

彩度を変えると、「おお」という少しの感動が生まれた。
コントラストが強くなって、本物以上に可愛くなったり、不気味になったり、インパクトが出たりする。
私は元々コントラストの強さに惹かれる傾向がある。

実物は実物で十分に可愛くて瑞々しいのだから良いとして、写真は写真で良い方がいい。
書道でもそうだけれど、“自分が好きなそんな感じ”にすることが最も重要である。
二度書きしてようが、わざと汚そうが、完成品の見た目が良い方が良い。
生に勝るものはない、わけではない。

私がこのことで言いたいのは、加工することへの言い訳を連ねることではなくて、不可解なポリシーなら捨ててしまえということだ。

今回加工に手が伸びたのは、以前よりも花を写真に収めることへの興味が薄れたからであって、なんだかつまらなくなってしまっていたことがそうさせた。
花を買うことも、撮ることも、止めてしまえばいいけれど、そこまでは飽きていない。はずだ。
最近はブログの更新に写真が足りなくなることがあるので、惰性で撮っていることもあるにはあるけれど。

自分で見返して、わぁきれい、とどきどきしたくて、それを「こんなもの撮ったよ!」と謙虚に大胆に露出する場としてブログはある。
SNSなどと比べて圧倒的に孤独性の高いブログでそうしたいのは、他人への露出ありきではなくて、自分の欲求が先に立つものでありたいからだ。

今日載せている向日葵も彩度を高めている。

もうそんな季節。
冬よ早く終われと思っていた時期から、今までにないほど、異様に時が経つのが早い、と感じている。