つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

小さなペリー

2014-08-04 13:55:37 | 日記
ゴーヤとナスがあと3日でもうだめかもしれない、という風にしなっとなっている。
急遽それを全部刻んで、豆腐と卵を入れてゴーヤチャンプルーを作る。

豚肉が欲しかったけれど、冷蔵庫にある豚肉は生ハムしかなかった。
まあいいかと出来上がったゴーヤチャンプルーに生ハムを乗せて食べる。
一応生ハムの塩気を考慮に入れた味付けにしたのは良かったけれど、食材各々の水切りが甘かったようで、ゴーヤチャンプルー自体が水っぽくなってしまった。

サラダもお浸しも野菜炒めも、水っぽいのはだめだ。
瑞々しいのと水っぽいのは、水分がたっぷりという点で似ているけれど全然違う。
味はふやけてはいけない、塩梅も水分量も“ピタリ”でないといけない。


結構久しぶりに筆を持った。
こんなに期間が空いたのは、会社を辞めてから初めてかもしれない。

必要に迫られることもなく、何かに触れたいわけでもなく、体調が悪いということもなく、書く時間がないほど忙しいということもない。
しかし何だか食指が動かなかった。
他のことに私の食指が動いているということもある。
しかしながら、それにとても精力的かというと全然そんなこともない。

久しぶりだからと、墨を磨る。
墨を磨るのは肩が凝る。
なぜ磨り墨を売ってくれないのだろうと思うのだけれど、たぶんそのままでは腐ってしまうし、防腐剤などを入れたら色がでなくなってしまうのだろう。
それだけ技術が追い付いていないというか、そういう技術を開発する人がいないのかもしれない。

「あさぎり」という細筆を買ったので、それを試してみる。
細筆は墨をほんの少量しか含まないので、続けて文字を書くことができない。
かと言って、掠れさすほどの毛量もないから“遊び”を付けづらい。

しかしこれならば、七夕の短冊ほどの大きさの紙にも体よく書けそうである。
百人一首を個人的に半紙に書いていたけれど、百首全部をどのような形であれ統一した形で書いて提出しなければならなくなったので、今回は小さいものでやってみようかなと思う。
紙も墨も少なくて済むし、紙も筆も違えば今までとは違う何かが見えるだろう。


“そのそれ”自体には全然飽きないけれど、“そのそれ”への過程は何度も触れていると飽きてしまう。
使い過ぎて擦れてしまう。
ただ“そのそれ”の軌跡を持っておきたいから、「ノーゲームノーライフ」の今出ている全6巻を、借りた人に返したにも関わらず、買ってしまった。

「心の燃費が悪い」とある人に言われて、とても納得しているけれど、最近輪をかけて心の燃費が悪い気がする。