春から夏にかけて、随分と私の部屋の緑が増えた。
100円ショップで買ったテーブルやしも1.3倍ほどの大きさになっているし、名がわからぬ植物も一時元気を失いたくさんの葉を枯らしてしまったけれど、少し日当たりの良い場所に移動させたらめきめきと新緑を芽吹いてきた。
ポトスもクワズイモも相変わらず生命力激しく伸び続けているし、植え替えたパキラもゆっくりながらその幹を太く伸ばしている。
水差しにしているいくつかの緑も、髭みたいな根っこを水の中で生やし続けている。
玄関のところに置いた緑は、出かけるときも帰ってくるときも、必ず目に留まる。
あぁ大きくなったなあと毎度胸がきゅっとなる。
3~4日に1回、合計10個ほどの植物に、水をあげたり水を替えたり。
少し乾き気味の土に、じわっと水が染み込んでいくところを眺めて、必要な分だけ吸ってね、と心の中で呼びかける。
お米を洗うときはとぎ汁をあげるようにしているけれど、どうやらこれはあまり効果はないように思う。
植物は代謝してもほとんど汚れない。
それは私が動物を育てる気がない理由なのかもしれない。
アコースティックギターのせいで、左手の指先がものすごく痛い。
一旦皮が分厚くなって痛くなくなったのだけれど、皮が剥け始めてそれをひっぱったら赤くなるところまで剥けてしまって、もうこうなると弦を押さえられないくらいに痛い。
私はもともと手の皮が丈夫な方ではなく、手荒れを起こしやすい。
そんな手に強い力で針金を押し付けたりこすったりしているのだから、痛くなるのは必然だ。
あるいは押さえ方とかに問題があるのかもしれないけれど。
そんなに痛いのならやめればいいのに、とも思うけれど、それでも弾きたいという気持ちはあって、しかしながらその気持ちについていかないくらい上達しないのが悲しい。
まあいつも同じことをやっているだけだから上達しようがないのも分かっている。
ギターの先生が弦の高さを調整してくれると言っていたから、またレッスンを受けに行こうかなと思う。
ついでにエレキギターの弦もいい加減張り直したいのだけれど、2つのギターは持ち運べない。
ギターを背負って自転車に乗るのは難しいことではないのだけれど、姿的には滑稽である。
新しい曲、奥田民生の「息子」と荒井由実の「ひこうき雲」のコード譜と、Mr.Bigの「To Be With You」のギターソロをpptに貼り付ける。
この用途以外にも、家にプリンターが欲しいと思うことが増えた。
2泊3日の帰省から帰還して、自由感を携えて東京ドームの横を自転車で走る。
おじいちゃん、おばあちゃん、私は東京が大好きなんだよ。
コンビニでスイカを買って食べると、とっても甘くて、とっても瑞々しい。
滴るだけにとどまらないのスイカの水分は、火照った身体ごと潤してくれる。
実家で食べた一口サイズに切ったみんなで食べるスイカもおいしかったけれど、喉が渇いたタイミングでひとり大きなスイカを切り分けて食べる方がおいしい。
実家にいて辛いことのひとつは、食べるものとそのタイミングを自由に選べないことだ。
けいこがもてなしをほとんどしないから、豪勢なものが次々出てくるということは全くないのだけれど、それでも時間になればごはんを食べねばならない。
お腹が空いていなくてもごはんがあると普通に食べてしまうのは私の問題だけれど。
十分にお腹が空いた状態を作りたいのだ。
それは私の場合、3食という食事の回数には多くの場合ならない。
食べない、という選択はできなくはないけれど、しかしその後でお腹が空いても食べるものが何もなかったりする。
寝るのも起きるのもお風呂に入るのも、精いっぱい勝手にはしているけれど、それでも全く勝手にはできない。
共同生活の暗黙の掟には、もう全然従えない。
なぜか椅子に座った状態で首の筋を違えてしまった。
100円ショップで買ったテーブルやしも1.3倍ほどの大きさになっているし、名がわからぬ植物も一時元気を失いたくさんの葉を枯らしてしまったけれど、少し日当たりの良い場所に移動させたらめきめきと新緑を芽吹いてきた。
ポトスもクワズイモも相変わらず生命力激しく伸び続けているし、植え替えたパキラもゆっくりながらその幹を太く伸ばしている。
水差しにしているいくつかの緑も、髭みたいな根っこを水の中で生やし続けている。
玄関のところに置いた緑は、出かけるときも帰ってくるときも、必ず目に留まる。
あぁ大きくなったなあと毎度胸がきゅっとなる。
3~4日に1回、合計10個ほどの植物に、水をあげたり水を替えたり。
少し乾き気味の土に、じわっと水が染み込んでいくところを眺めて、必要な分だけ吸ってね、と心の中で呼びかける。
お米を洗うときはとぎ汁をあげるようにしているけれど、どうやらこれはあまり効果はないように思う。
植物は代謝してもほとんど汚れない。
それは私が動物を育てる気がない理由なのかもしれない。
アコースティックギターのせいで、左手の指先がものすごく痛い。
一旦皮が分厚くなって痛くなくなったのだけれど、皮が剥け始めてそれをひっぱったら赤くなるところまで剥けてしまって、もうこうなると弦を押さえられないくらいに痛い。
私はもともと手の皮が丈夫な方ではなく、手荒れを起こしやすい。
そんな手に強い力で針金を押し付けたりこすったりしているのだから、痛くなるのは必然だ。
あるいは押さえ方とかに問題があるのかもしれないけれど。
そんなに痛いのならやめればいいのに、とも思うけれど、それでも弾きたいという気持ちはあって、しかしながらその気持ちについていかないくらい上達しないのが悲しい。
まあいつも同じことをやっているだけだから上達しようがないのも分かっている。
ギターの先生が弦の高さを調整してくれると言っていたから、またレッスンを受けに行こうかなと思う。
ついでにエレキギターの弦もいい加減張り直したいのだけれど、2つのギターは持ち運べない。
ギターを背負って自転車に乗るのは難しいことではないのだけれど、姿的には滑稽である。
新しい曲、奥田民生の「息子」と荒井由実の「ひこうき雲」のコード譜と、Mr.Bigの「To Be With You」のギターソロをpptに貼り付ける。
この用途以外にも、家にプリンターが欲しいと思うことが増えた。
2泊3日の帰省から帰還して、自由感を携えて東京ドームの横を自転車で走る。
おじいちゃん、おばあちゃん、私は東京が大好きなんだよ。
コンビニでスイカを買って食べると、とっても甘くて、とっても瑞々しい。
滴るだけにとどまらないのスイカの水分は、火照った身体ごと潤してくれる。
実家で食べた一口サイズに切ったみんなで食べるスイカもおいしかったけれど、喉が渇いたタイミングでひとり大きなスイカを切り分けて食べる方がおいしい。
実家にいて辛いことのひとつは、食べるものとそのタイミングを自由に選べないことだ。
けいこがもてなしをほとんどしないから、豪勢なものが次々出てくるということは全くないのだけれど、それでも時間になればごはんを食べねばならない。
お腹が空いていなくてもごはんがあると普通に食べてしまうのは私の問題だけれど。
十分にお腹が空いた状態を作りたいのだ。
それは私の場合、3食という食事の回数には多くの場合ならない。
食べない、という選択はできなくはないけれど、しかしその後でお腹が空いても食べるものが何もなかったりする。
寝るのも起きるのもお風呂に入るのも、精いっぱい勝手にはしているけれど、それでも全く勝手にはできない。
共同生活の暗黙の掟には、もう全然従えない。
なぜか椅子に座った状態で首の筋を違えてしまった。