つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

グロテスクじゃない他人丼

2014-08-21 14:11:47 | 日記
ビートルズの全詩集の分厚い本を結構前に買っていて、ぱらぱらと見ただけで本棚に入れてしまっていた。
確かそのとき、ジョンレノンもポールマッカートニーも割と陰鬱な恋愛ソングが多いなという印象だった。

私が好きな、真心ブラザーズの「拝啓、ジョンレノン」という曲の最後に、
Strawberry Fields Forever
Don't Let Me Down
I'm Only Sleeping
I Am The Walrus
I've Got A Feeling
というところがあって、ストロベリーフィールズフォーエバーがビートルズの曲名ということは知っていたけれど、あとは何を言っているのか分からなかった。
そうして調べてみると、続きもビートルズの曲名であった。

私はものすごく打ち抜かれた曲か、音楽の教科書に載っているレベルの有名曲か、誰かに1曲単品で教えてもらったものしか、どんなに有名なロックミュージックでも、洋楽は曲名を知らない。
“だいたいあんな感じの音楽”という“ビートルズな感じ”“オアシスな感じ”“イーグルスな感じ”というばっくりとした音景での捉え方をしている。

だいたい英語の曲は、和訳の信用性も疑わしいし、微細なニュアンスはたぶんずっとわからないと思っているので、私はオアシスが大好きだけれど、5,6曲くらいしか歌詞の意味を知らないし、あまりそれを掘ろうと思ったことがない。
まあそれも本質的なところの“感じ”は、ロックであっても絵画であっても書であっても、詞以外に漏れ出でてしまって感じられるものだと思っているけれど。

というわけなのだけれど、「拝啓、ジョンレノン」をきっかけに再度本棚から分厚い詩集を取り出して、曲を聴きながら詞を見てみる。
もちろん、英語とその対訳。
そういえば「Revolution 9」の訳は当然のようになかった。

まず、ビートルズの曲って音が面白いんだな、という印象。
何を今さら、という話だけれども、1曲が1曲として独立感があるのである。
もちろん“ビートルズ感”、もしくは“ジョンレっぽい”“ポールっぽい”というのはあったとしても。

言ってみれば、たとえばブルーハーツも奥田民生も、曲から描かれる音景というのはかなりの一貫性がある。
それしか描けないのかもしれないし、それが彼らのまさに表現したいことなのかもしれないし、そのブランドで食べているということなのかもしれない。
しかしビートルズの曲は、よく言われるように、音楽への探究心に満ちていて、それが曲ごとの音景に反映されている。

ということが、やっと私の中で腑に落ちた気がする。
ちなみに、「音景」という言葉はさっき知ったのだが、とてもしっくりくる言葉なので使ってみた。
おそらく一般に正しい言葉ではなく、「サウンドスケープ」と訳される造語のようだけれど。

そして、詞の感じも今ならもう少し分かるような気がした。
恋愛ソングの体をとった、個人的な憂鬱と個人的な愉悦と、体制への批判。
まあ体制への批判においては、「そんなことでもないんだ」という感じもするけれど。
あと単純な身勝手さとお茶目さについても、彼らの曲の中に見れた気がした。

今まで、ビートルズの偉大さについて、あなたが言うならそうなんでしょうね、と誰かが言ったことを興味深くだけ聞いて、私の中でいまいちピンと来ずにいた。
実際に自分で体感する、ということなしに、理解する納得する腑に落ちる、ということはないのである。

私が音楽に対して「分からない」というレッテルを貼り続けていると、音楽のことや音楽を創る人のことがもう今以上には何もわからないかもしれない。
それはなんだか、私が好きなものに対する敬意も足りないし、私自身もとても悲しい。

自然に分かるまでストックしておいてもいいけれど、分かりたいと一歩ずつでも向かっていかないとなとも思う。