8月ってこんなに涼しかっただろうか。
まだ夏の肌掛け布団だけで寝ているけれど、冷えると眠りが浅くなることがよくわかる。
覚醒してしまうほどではないけれど、快適な眠りが続かない。
寝付くときは良くても、きちんと防寒せねばと思う。
それにしても、8月に「防寒」を考えるとは。
こんなことを言って結構人から引かれていたが、去年の冬、外に出ないのであればお風呂、と言っても年中シャワーだけだけれど、に入らない日が度々あった。
真冬は週に5回くらいだったと思う。
逆に真夏は1日1回以上入っていることもよくあった。
つい1,2週間前は汗をかきながら仕事をして、気晴らしにシャワーをざっと浴びることもあったのに、もう1日くらい入らなくてもいいかという気分になっている。
だいたい朝に寝て昼に起きるというサイクルをしているが、諸々の事情でそうでない日もあって、となると所謂「ごはんの時間」も「お風呂の時間」も日によって変わってくる。
回数にしてもタイミングにしても、いよいよ決まりがなくなってきた。
例えば朝まで飲んでいたとすると、2日で3食、ということにもなったりもする。
結果、私は1年前より少し痩せたけれど、痩せてなお全く問題ない体重だし、健康レベルで言うと今のところほとんど問題はない。
何が積み重なって将来どうなるかは誰にも何も分からないけれど、固定概念上の生活リズムを取り払って生活してみると、自分が欲しているものがよく分かるようになる。
今まで悪いと思っていなかったことさえも、良くはなかったのだと知ることもある。
例えば会社にいれば、いくらランチタイムが自由だったとしても、食べたいものを選べないことも多々あるし、本当は食べたくないことに気付けないほどその時間になるとお腹が空いた気がしてしまうのだ。
そんなときの分厚いピザがいかに肉体的にも精神的にも重荷だったかに、気付けなかったのだ。
これで私が病気になろうものなら、それ見たことかと言われるかもしれないけれど、私はこの生活のせいだというふうには思わないだろう。
私自身の実感の上では、前よりもよほど体の声を聞けている気がするからだ。
納得と実感を得たのなら、私にとって常識があるべき理由はなくなる。
日常レベルの行動を壊すことは、もうほとんど抵抗がない。
まああとは走ってみるとか、外食を増やすとか、日常レベルではそういう新しいことを盛り込んでいけばいい。
明日は1か月以上遅れのけいこの誕生日パーティー。
立派な高級中華に行くのだが、お腹の具合の照準を合わせるには今日何時にどのくらい食べれば良いのだろうか。
そういうことに捕らわれて食べなければいけないのは嫌だということを書いたばかりだが、おいしいものは好きである。
合意した楽しみは、最大値で取りに行きたい。
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まだ夏の肌掛け布団だけで寝ているけれど、冷えると眠りが浅くなることがよくわかる。
覚醒してしまうほどではないけれど、快適な眠りが続かない。
寝付くときは良くても、きちんと防寒せねばと思う。
それにしても、8月に「防寒」を考えるとは。
こんなことを言って結構人から引かれていたが、去年の冬、外に出ないのであればお風呂、と言っても年中シャワーだけだけれど、に入らない日が度々あった。
真冬は週に5回くらいだったと思う。
逆に真夏は1日1回以上入っていることもよくあった。
つい1,2週間前は汗をかきながら仕事をして、気晴らしにシャワーをざっと浴びることもあったのに、もう1日くらい入らなくてもいいかという気分になっている。
だいたい朝に寝て昼に起きるというサイクルをしているが、諸々の事情でそうでない日もあって、となると所謂「ごはんの時間」も「お風呂の時間」も日によって変わってくる。
回数にしてもタイミングにしても、いよいよ決まりがなくなってきた。
例えば朝まで飲んでいたとすると、2日で3食、ということにもなったりもする。
結果、私は1年前より少し痩せたけれど、痩せてなお全く問題ない体重だし、健康レベルで言うと今のところほとんど問題はない。
何が積み重なって将来どうなるかは誰にも何も分からないけれど、固定概念上の生活リズムを取り払って生活してみると、自分が欲しているものがよく分かるようになる。
今まで悪いと思っていなかったことさえも、良くはなかったのだと知ることもある。
例えば会社にいれば、いくらランチタイムが自由だったとしても、食べたいものを選べないことも多々あるし、本当は食べたくないことに気付けないほどその時間になるとお腹が空いた気がしてしまうのだ。
そんなときの分厚いピザがいかに肉体的にも精神的にも重荷だったかに、気付けなかったのだ。
これで私が病気になろうものなら、それ見たことかと言われるかもしれないけれど、私はこの生活のせいだというふうには思わないだろう。
私自身の実感の上では、前よりもよほど体の声を聞けている気がするからだ。
納得と実感を得たのなら、私にとって常識があるべき理由はなくなる。
日常レベルの行動を壊すことは、もうほとんど抵抗がない。
まああとは走ってみるとか、外食を増やすとか、日常レベルではそういう新しいことを盛り込んでいけばいい。
明日は1か月以上遅れのけいこの誕生日パーティー。
立派な高級中華に行くのだが、お腹の具合の照準を合わせるには今日何時にどのくらい食べれば良いのだろうか。
そういうことに捕らわれて食べなければいけないのは嫌だということを書いたばかりだが、おいしいものは好きである。
合意した楽しみは、最大値で取りに行きたい。
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