つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

効果が分からなくて美味しくないもの

2014-11-04 22:29:25 | 日記
ゴミの日にゴミを出し損ねると、とても落胆する。
ティッシュをポケットに入れて洗濯機を回してしまったときくらいに。
3日後にまたゴミの日になるけれど、翌日に自転車で近隣の地域のゴミ置き場に出しに行こうと思うくらいに。
汚いけれど、言いようもない残便感を感じずにはいられない。

前まで13時頃の燃えるゴミの収集がなぜだか少し早まったらしく、12時に出そうとしたらゴミ置き場のこみ達がもう忽然とない。
実際には何時になっているのかが分からない。

マンションのゴミ室がない場所に住んで1年半。
ゴミがいつでも出せないストレスはさほど感じなくなったものの、こういうことがあると、もう本当に深い深いため息を漏らしたくなる。


総入れ替えをしたiPod shuffle。
新曲はいいんだと入れたクロマニヨンズの「キスまでいける」と「突風野郎~愛のテーマ~」
不意のヒロトの声に、抱きしめられたような気がして泣きそうになる。
初めて聞いたのではない。

彼らから「卒業しかけている」のようなことを言いながら、私自身、自分に向けて「なんだよ・・・」と思った。
まだそこにいるのと、人は笑うかもしれないけれど、私にとってこれだけは迷えないのだなと思う。

「ちゃんと戦いなさい、ちゃんと負けなさい」とある人から現実に言われ続けて、その意味が分かるようで分からないようで分かるようで。
私が抱いている根深すぎる恐怖心と羞恥心。
それをちゃんと乗り越えなさいと、14歳の少年に言うような意味合いで、ヒロトにも言われたような心持ちがしたのだった。


美容室で俳句を考えていた。
元々美容室の会話は好まないけれど、特に放っておいて欲しかった。

私は表現について、真意の凝縮が最高、というような考えがどこかにあったのだけれど、そして今でももちろんその節が全くなしの表現が響くとは思っていないけれど、案外真意の凝縮なんてこともないんだなと思ったりする。
真意の凝縮の上澄みだったり、むしろ真意と逆の描き方だったり(まあそれは真意の凝縮といっても良いと思うが)、真意に色んなものを巻き込んで複雑化された何かだったり、洗練された技術の公開だったり、単なる言葉遊びやギャグだったり、そのとき思いついたことだったり。

当然と言えば当然のことだし、私の過去の書作や俳句ですら軽い気持ちや妥協ももちろん含んでいる。
というか、そもそも“真意”って何、という話からすれば、端からおかしな話でもある。
そしてそう言って尚、少なくともそのときの私にとって“真意の凝縮のようなこと”ができればなとも思うのだけれど。

何はともあれ、俳句は色々と私にちょうど良くて、少し日常に食い込ませて考えられているので「やる」と宣言して良かったなと思っている。
不定期更新なのもちょうどいい。
何より、楽しいのである。

しかし、私の句にはカタカナが出てきがちなのだが、書にするときカタカナは非常にやりづらい。
表情が付けづらいし、表情を付けようとすると字を逸してしまう。


冬支度パンチパーマのトイプードル