つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

もうないかな

2014-11-12 15:34:57 | 日記
私は漫画を読むのが苦手なので、かれこれ1年以上「賭博黙示録カイジ」を勧められ続けても聞き流してきた。
小説などの字ばかりのものは借りたら読むけれど、漫画は全然慣れられない。

しかしあまりによく話に出てくる「カイジ」と「ジョジョの奇妙な冒険」。
ならばと、違うものであることを十分に認識しつつアニメの「カイジ」を観てみることにする。

第1シーズンのオープニングテーマが「未来は僕らの手の中」であったことにまず引っ張られる。
ブルーハーツが歌っているものではなく誰かのカバーだったけれど。

「カイジ」を勧めてくれた人との会話の中に、「途へ傍へ」「クズ」「指示待ち人間」「愉悦」「ベットする」「強制労働施設」「矜持(プライドでなく)」という単語が、ごく普通にとてもよく出てくる。
今でこそ耳慣れてしまったのでいいけれど、私はこれらの単語を最初耳慣れないと思って聞いていた。
これらの言葉は私の辞書で開かれることはほとんどなく、少なくとも自ら自ずと発したことはないかとても少ないと思う。

特に「クズ」という言葉は多分今までに私から発したことはほぼないと思うけれど、その人から私に向けられることがあって、それをその人から言われる分には何か光栄にすら感じている節がある。
「クズ」とか「底辺」とかはネット界ではよく使われる言葉であるが、私は自分のことを「クズ」とか「底辺」であると考えたことが本当になくて、全くもって自分には該当しないものだと思ってきた。
しかしこれらには言葉そのもののニュアンスと異なるニュアンスを持つ余白があって、その人が使うと文脈によっては敬意や愛情を含み得ることがある。
しかしまた、ストレートな意味で「クズ」であるとも言っているだろうし、私自身も最近は少なからずその自覚があったりもする。

「カイジ」を観ているとこれらの単語が頻出していて、もはや「カイジ」を抜けてその人の言葉に昇華されてはいるけれど、元は「カイジ」のものだったのかととても合点がいった。
それだけその人は「カイジ」に影響を受けているのだろう。
それに、「カイジ」で使われている言葉は一般口語とは少しずれていて、それでいてとても的を射て洗練されているので耳に残りやすい。

その人が漫画や何かから拾っているのは、おそらく言葉そのものではなくて、日常レベルの人生哲学における概念を射抜く言葉、あるいは概念そのもの、である。
他にも「敬意」は「ジョジョ」から来ているのだろうし、「東洋哲学的・西洋哲学的な理解」は飲茶さんの本から来ているのだろう。
私はその人のことを、常々変わった語彙や難解な言い回しをチョイスする人だと思っていたけれど、そういう言葉づかいの2割くらいは納得がいった気がする。

もちろん人は誰かや何かの影響を受け、その組み合わせで喋っていて、人それぞれよく使う言葉に多少の差はあると思う。
しかし、だいたい一般的に使われる単語と言うのはおよそ幅・範疇が限られていて、それからはみ出た言葉を一時的でなく多用されるのはその人を印象付けるのに十分である。

言葉の話になってしまったが、「カイジ」のストーリーもとても面白い。
象徴的な擬態語である「ざわ、ざわ」とかはアニメではああするしかないのだろうが、いただけないなと思いつつも。
ビルとビルに架けられた鉄骨を渡っているときの孤独の話には泣きそうになってしまった。


iPod shuffleを入れ替えるようになって、最近いろいろと聴いている。
掃除のときも料理のときも書道のときも聴くけれど、やっぱり外出中のiPod shuffleが一番聴きやすい。
凝り固まったものばかり聞いて満足し、新しいものが取り入れられないなとずっと思っていたのだけれど、こうやって聞けば良かったのだなと思う。

iTunesにはビートルズのアルバムが10数枚入っていて、ビートルズだけは神話のように入れ替えても違うアルバムを入れるようにしている。
なぜだか今日は有名すぎる「Let it be」がとても響いて、何度リプレイしたことだろう。
ギターソロはこんなにかっこ良かったのか。

パティスミスの曲は全体的に灰が降っているみたいである。
Blurはいつ何のタイミングで入れたのか覚えていないが、やはりあまり好みでない。
結局クラッシュのような王道パンクは大好物。
ユーミンの歌も沁みる。
ビルエヴァンスという人のジャズもとても人がそこにいる感じがして良い。
キリンジは夜の絵本をめくっているようである。
AC/DCはちょっと奥田民生のような感じが香ることがある。順序的には逆だろうけど。


冬近し紅いコートを脱ぐ準備