つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

描いた一歩

2012-08-16 21:56:16 | 日記
蜷川実花の生む極彩色に埋もれたいのと彼女が撮る水原希子が観たくて、「ヘルタースケルター」を観に行く。
レディースデイにも関わらず、丸の内ピカデリーはシアターの真ん中あたりが女の人で埋まっているだけだった。

原作も読んではいないし、広告で出ていた予告を少し見ただけでストーリーは全然知らなかった。
観た後は、あぁえげつない、という感想だったのだが、今思い返すと壊されていくりりこについてはもっともっと汚くても良かったのではと思う。
色もうるさければ物語もうるさい。
そのうるささは2時間私を寝させなかったが、もう一度観たいとは今のところ思えない。

羽田ちゃんの欲望、みたいなところが私としては一番興味深かった。
解釈は色々だろうが、最後の羽田ちゃんのリークはりりこへの独占欲だったのではないだろうか。

お昼に会社の近くの神社に立ち寄る。
神楽坂は建物の密集した場所だけど、小高くて、その神社は風のよく通るところだ。

特に用はなくて、お参りするわけでもなくて、温室みたいに蒸された空気の中木陰に立って空を見上げる。
最近見上げる空は、晴れているのになぜか低くて。
今日は日本の空らしからぬ濃い空色だった。

今度の書道の展覧会は随分と先だけど、本当にブルーハーツかハイロウズの歌詞を書こうかと思う。
確か、何を題材にしてもいいはずだ。
しかしながら、さすがに書の世界で「くそったれ」だの「首つり台から」などということは止められるだろうから何ならいいだろうと考える。

ブルーハーツやハイロウズの歌詞はそういう一見下品下劣と思われる言葉や、攻撃的だったり破壊的だったりするフレーズも多い。
「君のことを笑う奴はトーフにぶつかって死んじまえ」なんて、こんなにも強く優しく、そして強く優しいのだけれど、背景を知らない人が見たら気違いじみていることもわかるから書けない。
「モンシロチョウ」もまずい。
「俺は俺の死を死にたい」も面白いけど、まずい。

となると、「TRAIN-TRAIN」か「月光陽光」あたりはパッと見も健全だろうか。
「夏の地図」とか「バームクーヘン」あたりのヒロトの描く絵日記みたいなものも書道と相性がいいかもしれない。

私はこれをどう書くつもりだろう。
書いていて入り過ぎてしまって、思い通りに表現できなくて、申し訳なくなって、こんなだったら出さないほうがいいと出品を取り消してしまったりするかもしれない。

ただやっぱり、書いてみたい。
考えるだけで、どきどきする。



前向きな変革

2012-08-15 13:40:33 | 日記
お盆だからと、お盆でなくてもしょっちゅう実家に帰る私は、また帰った。
新幹線は思ったほど混雑もしていなくて、降り立った地元の駅はいつものようにぱらぱらと人がいた。

ひと月半ほど前に生まれた姪を中心に、家は回っていた。
いもうとが授乳をしているのを見るのは不思議な気分で、新しい人間がここにいて、息づいていることもまた不思議でならなかった。

おっぱいに吸い付くその子はなんとも幸せで安心しきった顔をしている。
おっぱいに吸い付いたままあったかいことに気が抜けて、おかあさんの胸の中で夢うつつ。
よかったね、今しあわせなんだね。

いもうとが口にしたものをおっぱいとしてもらうことでこの子は生かされていて、ここにいることの疑いをただの少しも持っていない。
純粋無垢、とは、無知であり無邪気であり、その透明で青みがかった白目がそれを象徴的に表している。
その青さは、私の邪気みたいなところにすっと沁みてくる。

存在とは承認されるべきで、誰かにあからさまに大事にされることで自分の基盤を形成する。
それは過剰なくらいのあからさまでいい。
あからさまに愛してもらったらいい。

この子の人生はもう封を切られて、今は手足をばたばたとさせるだけで10cmと自分で移動をできない彼女は、じきに色んなことができるようになって自我を持つようになる。
赤ちゃんや子どもは、色んなことが自分の意志でできないという意味で、大人から見ると不自由だ。
その流れで、最近の私を虜にしているロックな音楽のことをふと考えると、びっくりするほど柔らかな赤ちゃんとロックは結びつかなくて、できれば聞かせたくないとさえ思う。
もしそれが必要なときには、自らほんの少し手を伸ばしてさえいれば出会えるから、それまでは知らなくていいんだよと。

ひと月半で丸々と太った姪を腕に抱くと、まだ私につかまることもできないから全体重を預けてくる。
ずっしりと重たいのにふわふわで、さっきまで眉間にしわを寄せて顔を“X”みたいにしてぐずっていたのに、ご機嫌そうな顔で私の顔を見ている。
いもうとと私の声は、電話で聞いたらわからないくらい似ているから、おかあさんと間違えている感じもする。

次に会うときには、彼女はもっと成長とともに動ける自由を手に入れて世界を広げているだろう。

それはそうと、姪がいようともいつものように一泊で東京に戻る。
私の体にはロックが必要で、新幹線の中でThe Strokesを聴きながらどんな花を買おうかと考える。
そして、またブルーハーツのDVDをかけながら、買った花の写真を撮る私の日常の楽しい部分。

DVDは3枚買って、繰り返しくりかえし、VHSだったら擦り切れてしまうくらい観ている。
ちょっとした一コマを何度も巻き戻してみたりもする。
よく飽きないね、と自分で言ってみるものの飽きるなんてことがあるだろうかと思うほど、毎日だって夜だって朝だって観られる。
これが観たくて早く家に帰りたいくらい。
自分と直接関わる人以外で、これまでの人生で出会えてよかったと思うものはいくつかあるけれど、最も出会えてよかったと思うものだ。

アルバム「DUG OUT」はマーシーの歌が特にすごい。

愛するあの娘のため
平和を守るために
死んだらそれでさようなら
不条理に不意打ちを食らわせられたらどうする?

やるか逃げるか、どうする?




奪われたトラットリア

2012-08-09 21:42:40 | 日記
一人でいるときにお酒が飲みたいと思うことはほとんどないのだが、それでも年に3回くらいはそういうことがあって、昨日がそれだった。
平日真っ只中にそういうことになってしまうと多少面倒だ。
一人でお店に入るという選択肢は今はまだない。
人を誘いたい気分でもない。

家で一人で飲むとお酒のまわりが早いので、結局のところビールなら缶1本、ワインなら2杯飲めない。
それでも足りなくてまた買いに出るのは嫌だからと缶ビールを2本買って帰る。
案の定、半分くらい飲んだところでビールの味に飽きてしまってその上酔っぱらっている感覚が激しい。
そのままブルーハーツのDVDを見ながら、また一人掛けソファの上で変な格好で寝てしまった。

誰かと飲んでいるとビールはこんな味がしないのは不思議だ。
美味しくないのだ。
いや、誰かと飲んでいるときに味を感じていないだけな気もする。

フジロックで飲んだ1杯のビールはとんでもなく美味しかった。
以前に比べてかなり飲めるようになったとは言え、ビール1杯で酔える便利な体。

お酒を飲んで寝ると泥のように眠れる。
でも、それは眠りが深いかというとそうではなく、寧ろ浅いというのはよく言われることで、それは朝の自分の体がよく教えてくれる。
お酒に酔うことが悪いなんて毛頭思わないけれど、本当に何かを飛ばしたいときは何かを体に入れるのではなく、自ら放出させる吐き出す方がいいのだと思う。
例えば走る、など身体をある限度まで自ら動かすことがそれに当たるのであろうと思う。
しかし、私は息が上がることをするのが好きではない、と今のところ思っている。


「え?」と一瞬疑ったり、「うっ」と胸に刺さるものを感じだり、「はっ」と瞬間的に気づかされたり、そんな心が動く瞬間がある。
それを生み出す人側の人はアーティストなんだと思う。

人生は自分のエクスタシーを追求するだけでもう本当に精いっぱいなものだと思うけれど、人に何かプラスの衝撃を与えられるようなことを私もいつかしてみたいと思う。

今なのか、過去なのか、時に取り残されてしまったかのような花。
置き去りの花びらはその水分だけが大気へと戻っていく。



不敵な人

2012-08-07 23:14:30 | 日記
思い出ではなくて、なんだかとても青くて力があって恥ずかしい曲がいっぱい入っているから、ブルーハーツとハイロウズから少し離れて気が向くと聴き漁る。
シャッフルして、あまり音を大きくせず別のことをやりながら聞いて、何で自分が反応するのかを自分の体でよく試している。
それはほとんどロック、それもパンクロック。
ヒップホップが流れると飛ばしてしまう。

The Strokes、THE CLASHをレンタルして、今日一番良かったTHE (INTERNATIONAL) NOISE CONSPIRACYをレンタルしようと思ったら取扱いがなかった。
有名ではないのだろうか。
と思って調べてみると、私が借りようとしていた「A NEW MORNING, CHANGING WEATHER」というアルバムは既に廃盤だった。
それでも諦められなかったので、Amazonで中古を買った。
The HivesとJetもたぶんそのうち借りるか買うかするだろう。
今日はネット上で「ガレージ・ロック」という言葉がよく出てくる。

1、2曲だけ聞いて良かったもののアルバムを借りてはまらない場合も多い。
The Apples in Stereoは私にとってすごく当たりだった。
あと、Mando Diaoもすごく当たりだった。

中学生の頃、どういう成行きが忘れたがGREEN DAYだけは聴いていて、あのときはなんとなく聞いていたけれどやっぱり良くて、懐かしくて懐かしくない。
私はどうやらGREEN DAYの音も好きだけれど、ボーカルの声が響いているらしい。
シャッフルした中から突如現れると、自分の体が本当にびくっと反応するから面白い。

世界中でいろんな人がバンドを組んで、音を組み立てている。
生むことは決して容易くないはずだけれど、それに勝った欲望で生み出されていく。
尊いなあと思う。

「コピーバンドは演奏を真似するんじゃないんだよ、演奏している奴の心をコピーするんだ」
といつかのインタビューでヒロトが言っていた。
「ロックンロールは始めた瞬間がピークなんだ。経験なんてクソにもならない。あとは落ちるかキープかどっちか」
ともいつかのインタビューでヒロトが言っていた。

やっぱり私にとっての一番は変わられることはないだろう。
もし上回るものが現れたとしたら、それもそれでそんなことがあっていいのだろうかと言うほどの幸せかもしれないからあるならあってもいいけれど。

「音楽が好きで」と人が言っているのをよく聞く。
どういう風に音楽が好きなのだろう。
何をもって音楽が好きなのだろう。

自分の感覚が見え始めた今、人のそんなことが気になる。


雨の日の百合。
白肌についたこの滴は、ほんのり甘い。



地球の裏側

2012-08-06 14:03:32 | 日記
2年ほど前にたくさん映画を観ていた。
DMMで月に8本、ギンレイホールで月に4本、足りない分をGEOBOXと新作は映画館で。
状況は変わって今は、DMMで月4本、ギンレイホールの年間パスは切れ、GEOBOXは数か月前に撤去された。
新作は時々、映画館で。

それ以前は、日本のテレビドラマや海外ドラマ以外はそれほど見なかったし、特に好きでもなかった。
今でも2時間とか2時間半を続けて観ることはあまりなく、やっぱり途中で寝てしまうけど。

2年前に観て、観返したいと思う作品を、「カーネーション」の新作が来ないから、立て続けに借りる。
あれほど「カーネーション、カーネーション」と言っていた私だが、最近はすっかり忘れていた。
脳梗塞気味のPCを買い換えたらfuluに加入しようと思っているものの、PCを新調する予定が立たない。

「17歳のカルテ」
「あの頃ペニー・レインと」

音楽も青いものが好きなら、今は映画も青いものが観たい。
先日の「グッドウィルハンティング」に続き。
ただ、音は正を求めるけれど、映画はそんな感じでもなく寧ろ響くところに触られたい。
というか、映画の場合、その長さゆえにストーリーには起伏がないと成り立たないから、青くて且つずっと正の物語というのは逆に難しい。

2回目だからか、感覚が変わったからか、とても共感というか登場人物の痛みやもどかしさが入ってくる。
ウィノナ・ライダーの怖いくらいに透明で底なしに思える存在感や、それを食うアンジェリーナ・ジョリーの頽廃した存在感。
浮き彫りになるのは、他の理由は在れど、愛情不足。

青年期までの子ども時代というのは、感情優位でいいときはいいが、抑圧されることも多くまたそれを打破したり流したり攻略したりする術も知らない。
本当に大変だなあと思う。
「子どもの頃に戻りたい」とは時々聞くセリフであるが、私はたぶん一度も言ったことはない。

今なら、以前どうしてもよく分からなかったペドロ・アルモドバル監督の作品も何かが見えるだろうか。


携帯カメラにもセピアやモノクロで撮ることが可能なことは知っていた。
しかし、私は色を写したいのでモノクロでは撮らない、となんとなく決めていた。
でもスプレー薔薇のマットな花びらの質感が、モノクロにすると際立ちそうな気がして、なんの意味もない自分ルールを破った。
目に映る色ではないけれど、白も黒も、色だ、という言い訳の下。
モノクロの影はいつもの影よりも色濃くて闇深い。

それに、私の撮る写真はもうマンネリだし、新しさを簡単に取り入れたいという思いもあった。
花を接写できて、コントラストが強く映るようなカメラのことを友人に聞いた。
パソコンの新調する前に、私はカメラの方が欲しい。
フローリングやテレビや布団などが写り込んでしまうことを嫌い、書道用紙を敷いて撮ってみたりする。

「私の今までは“WANT”で成り立ってきました」
と自己紹介で言っていた人のことを思い出す。
「WANT」は、一画一画異なる色で書かれていた。
印象的だった。

私の小さな「WANT」に誰の許可も要らない。
やればいいじゃん、と一言に尽きる。

前にも増して、ヒロトの声が響く、マーシーの声が響く。
ブルーハーツとハイロウズを行き来しながら、そればかりを欲する。

8月の終わりの予定が入ったりして、もう夏の終わりが見える。
夜7時の暗さに、季節の進みを思う。

昨日は読むもの 明日は書くもの

6月と9月にはさまれたのが夏じゃない
宝物の地図 胸のポケットに入ったなら