私がどうにも仕事で食らった打撃から抜け出せなくて、唇を噛み締めていたら、私の尊敬する人はこう言った。
「仕事なんてな、好きか嫌いかなんだ。お前が好きか嫌いかで選べばいいんだ。俺はこの会社を嫌いなことをやらせる会社でありたくないんだ。いいか、好きなことでないと責任なんて持てないだろう?」
私がトラブルの渦中にいたそのことの事実を、問題点と解決策を瞬時に見出してそれはそれとまとめ上げたのち、私の思いを聞いてくる。
挙句、「お前がやりたくないこと、やめよう。この案件がもうできないっていうならもうやめればいい。やめるか?」とまで言う。
「嫌いなことはやらなくてもいい、その代わり、好きなことには責任を負え」
そして、私のコミュニケーションの問題点までやんわりと指摘してくれた。
もちろん、実際のところ私の会社が好きなことを皆がやっているかと言ったら全然違う。
というか、好きを仕事にする概念が皆にあるでもない。
ただ、「やらされている」のではなく、色んな場合があれ、「自分で選んでやっている」という考えを持っている人が多そうだ、というくらいである。
こういうことを言ったのは、私にこのように言えば伝わりやすいという判断からだと思う。
でも、冗談ではなく、たぶん私が本気で「嫌です、もうできません」と言ったらこの案件は消えていたと思う。
それくらいの覚悟を持っている人だ。
私は一応、仕事は仕事だと思っていて、世間はそんなに甘いものではないと一応思っているし、今回私が怒られたミスについては何も反論ができないから、怒られたその打撃だけの消化と今後の恐怖についての憂鬱が抜けなかっただけである。
取引先に怒られたから辞めたいです、だなんて、甚だおかしいと思う。
フロントに立って営業する人がいること一つ取っても、会社の利益を考えても、おかしいに決まっている。
ただ、私が萎縮してしまう相手とやり続けないといけないこと、もう一つ言い訳を上塗りするならば萎縮してさらに失敗する可能性が高まることを私は経験上知っているから、たぶん私はこれに耐えられなくなるだろうという気はしていた。
単純な打撃で心がはち切れそうになっていた私は、「誰もいないときに最初にうちに来ると決めてくれた子が脱皮にもがいている時に、それをサポートしないような生き方は僕の人生にはありません。」という言葉で会社のデスクでぶわっと涙が滲んでしまった。
嬉しかった。
そして改めて、特殊な職場環境だと思う。
でも、そんなふうに言ってくれて、この時に私が感じたことは、私自身が一番意外だった。
こういう人の下で働き、こういう人についていきたい、この人のために今の仕事を精一杯頑張ろうと、私はそう思うはずだった。
その人は、マネジメントに長けた人であるし、私の性格も心得ているから、ある程度私をマインドコントロールすることはできると思う。
本当の意図をもって、敢えて振れ幅の大きいことを言ったのだと思う。
それに私はこの人になら仕事において、ある程度マインドコントロールされたいとさえ思っていた。
しかし私が思ったことは、それでもたぶん、私は近からず遠からずいつかこの会社を去るだろうということで、それは今の場所に私が近づきたい何かに近しい何かが存在するとは思えないということだった。
それならば、何が何かも分からなくても、手当たり次第でもなんでも、たとえ滅多切りにされても、大きな意味で仕事の中身も好きでいたいと思うようになったということだ。
「その人のために働きたい」だなんて、私はその人にも自分にもに失礼だと今は思う。
と、それもさておき、明日が楽しみでならない。
何せ好きなことに大接近できるのだから。
「仕事なんてな、好きか嫌いかなんだ。お前が好きか嫌いかで選べばいいんだ。俺はこの会社を嫌いなことをやらせる会社でありたくないんだ。いいか、好きなことでないと責任なんて持てないだろう?」
私がトラブルの渦中にいたそのことの事実を、問題点と解決策を瞬時に見出してそれはそれとまとめ上げたのち、私の思いを聞いてくる。
挙句、「お前がやりたくないこと、やめよう。この案件がもうできないっていうならもうやめればいい。やめるか?」とまで言う。
「嫌いなことはやらなくてもいい、その代わり、好きなことには責任を負え」
そして、私のコミュニケーションの問題点までやんわりと指摘してくれた。
もちろん、実際のところ私の会社が好きなことを皆がやっているかと言ったら全然違う。
というか、好きを仕事にする概念が皆にあるでもない。
ただ、「やらされている」のではなく、色んな場合があれ、「自分で選んでやっている」という考えを持っている人が多そうだ、というくらいである。
こういうことを言ったのは、私にこのように言えば伝わりやすいという判断からだと思う。
でも、冗談ではなく、たぶん私が本気で「嫌です、もうできません」と言ったらこの案件は消えていたと思う。
それくらいの覚悟を持っている人だ。
私は一応、仕事は仕事だと思っていて、世間はそんなに甘いものではないと一応思っているし、今回私が怒られたミスについては何も反論ができないから、怒られたその打撃だけの消化と今後の恐怖についての憂鬱が抜けなかっただけである。
取引先に怒られたから辞めたいです、だなんて、甚だおかしいと思う。
フロントに立って営業する人がいること一つ取っても、会社の利益を考えても、おかしいに決まっている。
ただ、私が萎縮してしまう相手とやり続けないといけないこと、もう一つ言い訳を上塗りするならば萎縮してさらに失敗する可能性が高まることを私は経験上知っているから、たぶん私はこれに耐えられなくなるだろうという気はしていた。
単純な打撃で心がはち切れそうになっていた私は、「誰もいないときに最初にうちに来ると決めてくれた子が脱皮にもがいている時に、それをサポートしないような生き方は僕の人生にはありません。」という言葉で会社のデスクでぶわっと涙が滲んでしまった。
嬉しかった。
そして改めて、特殊な職場環境だと思う。
でも、そんなふうに言ってくれて、この時に私が感じたことは、私自身が一番意外だった。
こういう人の下で働き、こういう人についていきたい、この人のために今の仕事を精一杯頑張ろうと、私はそう思うはずだった。
その人は、マネジメントに長けた人であるし、私の性格も心得ているから、ある程度私をマインドコントロールすることはできると思う。
本当の意図をもって、敢えて振れ幅の大きいことを言ったのだと思う。
それに私はこの人になら仕事において、ある程度マインドコントロールされたいとさえ思っていた。
しかし私が思ったことは、それでもたぶん、私は近からず遠からずいつかこの会社を去るだろうということで、それは今の場所に私が近づきたい何かに近しい何かが存在するとは思えないということだった。
それならば、何が何かも分からなくても、手当たり次第でもなんでも、たとえ滅多切りにされても、大きな意味で仕事の中身も好きでいたいと思うようになったということだ。
「その人のために働きたい」だなんて、私はその人にも自分にもに失礼だと今は思う。
と、それもさておき、明日が楽しみでならない。
何せ好きなことに大接近できるのだから。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/6b/c08256d294ea97d522ca9b6919b96ee4.jpg)