初めて寄席を観た。
マーシーは寄席が好きで、柳家三三さんと春風亭一之輔さんの寄席のゲストとして来るなんて言うものだから、もう是非とも行きたかった。
チケットを入手するために、発売の時間から私も電話をかけていたけれど全然つながらなくて、結局友人のお母さんが1時間くらい電話かけ続けて2枚のチケットを取ってくれた。
この寄席は、三三さんのファンも一之輔さんのファンもチケットを取れなかったであろうと思う。
集まった人々は、いつもライブ会場で見る感じの人たちばかりだった。
いつもはライブTシャツを着ている人たちが、今日は寄席だからとおめかしをして来ている感じがちょっとくすぐったい。
ちなみに、「好きな人が同じ」という、「趣味が同じで話が合いそうな」人たちが何度会してもファン同士の交流というのはほとんどないと思われる。
私は元々どこに行っても、そういう場で社交的ではないからしないけれど、熱狂的なファンというのは「私の方が好きだ、私の方が理解している」という張り合いをしてしまいがちなので自ずと避けるのだと思う。
「ロックミュージックが好き」という人とは友達になって話したいけれど、「ヒロトやマーシーが好き」という人とは、事が繊細過ぎてまた大きすぎて私は一人の友人以外にはしたくない。
こちらが一方的に話すなら良いけれど。
今マーシーを追いかけてライブやらトークやらを見に来る人たちは、「ロックミュージックが好き」ということをよりも「マーシーが好き」ということが先に立ってしまう。
だからマーシーの出演にそわそわしてしまうし、ついゲストのマーシーに「マーシー」と叫んでしまう。
会場は寄席が行われるのにほぼマーシーのファンで埋め尽くされてしまったけれど、それでも、好きな人を通して異文化を知れるというのは貴いことだ。
好きな人が好きなものや、影響を受けたものは知りたい。
そこから、それが自分にとってどうかを自分で判断すればよい。
チケットについていたワンドリンクのビールで、私は酔っぱらってしまって、一之輔さんの話が全然分からなかった。
話の途中で、何度もなんでその話になっているのだ?とぼわんとする頭で一人考えて、周りの人の笑い声を聞いていた。
友人に「ところどころ難しいね」と言うと、「え?」という顔をされた。
友人曰く、全然難しい話ではなかったらしい。
酔いが冷めてから聞いた三三さんの話は、一之輔さんの話よりは分かった。
しかし、初めて寄席を聞いた感想は、本を流しながら速読しているよう、だった。
私は本を読んでいるとき、字面だけを追っていて内容が頭に入ってこず、ある地点で巻き戻して読むことがある。
また、ある地点のフレーズなどが気になって派生して違うことを考え始めてしまったりする。
自分で読んでいるのなら、巻き戻しも停止もできるからいいけれど、他人に、しかも速読してもらっているとそれを止めることができない。
だから、途中で文脈が途切れてしまって迷子になってしまう。
挙げ句、噺を置き去りにして、こんなに早口で延々30分も芝居をしながら話し続ける芸当はどのように訓練されていくのだろうとか考え始めてしまう。
集中力がないのである。
しかしおそらく、寄席の素養を身に付けたりスピード感に慣れることによって、噺そのものや寄席自体をもっと楽しめるようになる気がする。
技術を知ることで、敬意も大きくなる。
家に着くと、百合の花が大輪を咲かせていた。
部屋中に白い花の艶めかしい香りが満ちている。
マーシーは寄席が好きで、柳家三三さんと春風亭一之輔さんの寄席のゲストとして来るなんて言うものだから、もう是非とも行きたかった。
チケットを入手するために、発売の時間から私も電話をかけていたけれど全然つながらなくて、結局友人のお母さんが1時間くらい電話かけ続けて2枚のチケットを取ってくれた。
この寄席は、三三さんのファンも一之輔さんのファンもチケットを取れなかったであろうと思う。
集まった人々は、いつもライブ会場で見る感じの人たちばかりだった。
いつもはライブTシャツを着ている人たちが、今日は寄席だからとおめかしをして来ている感じがちょっとくすぐったい。
ちなみに、「好きな人が同じ」という、「趣味が同じで話が合いそうな」人たちが何度会してもファン同士の交流というのはほとんどないと思われる。
私は元々どこに行っても、そういう場で社交的ではないからしないけれど、熱狂的なファンというのは「私の方が好きだ、私の方が理解している」という張り合いをしてしまいがちなので自ずと避けるのだと思う。
「ロックミュージックが好き」という人とは友達になって話したいけれど、「ヒロトやマーシーが好き」という人とは、事が繊細過ぎてまた大きすぎて私は一人の友人以外にはしたくない。
こちらが一方的に話すなら良いけれど。
今マーシーを追いかけてライブやらトークやらを見に来る人たちは、「ロックミュージックが好き」ということをよりも「マーシーが好き」ということが先に立ってしまう。
だからマーシーの出演にそわそわしてしまうし、ついゲストのマーシーに「マーシー」と叫んでしまう。
会場は寄席が行われるのにほぼマーシーのファンで埋め尽くされてしまったけれど、それでも、好きな人を通して異文化を知れるというのは貴いことだ。
好きな人が好きなものや、影響を受けたものは知りたい。
そこから、それが自分にとってどうかを自分で判断すればよい。
チケットについていたワンドリンクのビールで、私は酔っぱらってしまって、一之輔さんの話が全然分からなかった。
話の途中で、何度もなんでその話になっているのだ?とぼわんとする頭で一人考えて、周りの人の笑い声を聞いていた。
友人に「ところどころ難しいね」と言うと、「え?」という顔をされた。
友人曰く、全然難しい話ではなかったらしい。
酔いが冷めてから聞いた三三さんの話は、一之輔さんの話よりは分かった。
しかし、初めて寄席を聞いた感想は、本を流しながら速読しているよう、だった。
私は本を読んでいるとき、字面だけを追っていて内容が頭に入ってこず、ある地点で巻き戻して読むことがある。
また、ある地点のフレーズなどが気になって派生して違うことを考え始めてしまったりする。
自分で読んでいるのなら、巻き戻しも停止もできるからいいけれど、他人に、しかも速読してもらっているとそれを止めることができない。
だから、途中で文脈が途切れてしまって迷子になってしまう。
挙げ句、噺を置き去りにして、こんなに早口で延々30分も芝居をしながら話し続ける芸当はどのように訓練されていくのだろうとか考え始めてしまう。
集中力がないのである。
しかしおそらく、寄席の素養を身に付けたりスピード感に慣れることによって、噺そのものや寄席自体をもっと楽しめるようになる気がする。
技術を知ることで、敬意も大きくなる。
家に着くと、百合の花が大輪を咲かせていた。
部屋中に白い花の艶めかしい香りが満ちている。