《被処分者の会通信から》
◆ 今どき高校生と平和教育
もう被処分者の多くは退職、もしくはまもなく定年を迎え、代わって新規採用の先生たちが毎年のようにやってくる。「10・23通達」に基づく職務命令や人事考課制度の下にあっても、若い人がたくさんいるという、そのことだけで、いま都立高校はある種の活気に満ちている。
私の職場の日本史の先生もそんな若手の一人で、大学院を出てから都立高校に採用されるまで、数年間講師をしていたという。帰宅ルートが途中まで一緒なので、よく電車の中でおしゃべりをするのだが、ある日、私学で教えていた生徒のことを話してくれた。
その学校の社会科では、東大の二次試験対策を意識して定期考査にわりと面倒な論述問題を出していたそうだが、採点を終えて社会科一同がっかりしたという。先の戦争についての考えを問うた問題に、戦争肯定の解答が書かれていたのだ。
「俺たちが5年間かけてやってきた平和教育は一体何だったんだ!」と。
「日本は資源がないから」という理由が書かれていたそうだが、「そういって戦争した結果があれなんですよね。戦場に送られてひどい目に遭ったり、死んだりするのは君たちなんだよって思うんですけどねえ。」と嘆く彼に、「どうしてそうなっちゃうんだろうね」と訊くと、「あの子たちって、上から目線なんですよね。」と言う。
それを聞いて、二つのことを思った。
一つは、都立高校の卒業式に「日の丸・君が代」強制反対のビラまきを続けてきた人たちが、卒入対策本部の集会で「進学校の生徒はビラの受け取りが悪い」と報告していたことを思い出したのだ。
同世代の中では比較的頭の回転のいい子たちである。彼らは自分を取り巻く社会のメインストリームから自らのスタンスを見定めるのではないだろうか。
もう一つは、その「上から目線」の中身、というか、どういう目線に立ってものを考えるかということだ。
それは、自分がどうなるかではなく「日本がどうなるか」という、自分という個人が視野から抜け落ちたときに生まれてくる発想なのではないかと思う。
翻って、今の生徒たちは人権には敏感だ。プライバシーが侵されることを極端に嫌うし、LGBTについての感性も悪くない。
実は、その先生が「橋のない川」を授業で取り上げたという。
中学生のとき読んで涙した、ある少女が部落の少年の手を握ってあらぬ偏見に満ちた噂の真相を確かめる場面を紹介したところ、「それは痛いよね」と生徒が言ったと教えてくれた。
少女には何の悪気もないだけに、社会に存在する差別性が浮き上がる場面だ。それは、少女と少年の人格を介して初めて生まれる伝達力なのではないかと感じる。
顔の見える場面での反応はいいセンスをしている。それが、国と国との関係を持ち出され、「日本」とか「日本人」という言葉が出てきた途端、自分が見えなくなるような印象がある。
来年の夏には東京オリンピックが開催される。
「ガンバレ、ニッポン!」の合言葉と共に、「日の丸」の小旗を振り、日本選手がいくつ金メダルを取るか、固唾を飲んで見守るように仕向けられる。スポーツに罪はないが、そのイベントが国家と個々の国民を同一視することに使われるとしたら見過ごしにはできない。
しかし、現場の一教員としてどう向き合うか、裁判より難しいかもしれない。
※ ベンネーム小噺:今秋、自己申告の中間面接になって、突然管理職が「4つの言葉を入れてほしい」と書ってきた。“コンプライアンス”“個人情報”“いじめ”“体罰”の4つだ。
曰く「いくら言ってもも服務事故が減らないから」
おいおい!というわけで、書くだけの“compliance”ヨロシクです(笑)
『被処分者の会通信 第125号』(2019.9.24)
◆ 今どき高校生と平和教育
Compliance
もう被処分者の多くは退職、もしくはまもなく定年を迎え、代わって新規採用の先生たちが毎年のようにやってくる。「10・23通達」に基づく職務命令や人事考課制度の下にあっても、若い人がたくさんいるという、そのことだけで、いま都立高校はある種の活気に満ちている。
私の職場の日本史の先生もそんな若手の一人で、大学院を出てから都立高校に採用されるまで、数年間講師をしていたという。帰宅ルートが途中まで一緒なので、よく電車の中でおしゃべりをするのだが、ある日、私学で教えていた生徒のことを話してくれた。
その学校の社会科では、東大の二次試験対策を意識して定期考査にわりと面倒な論述問題を出していたそうだが、採点を終えて社会科一同がっかりしたという。先の戦争についての考えを問うた問題に、戦争肯定の解答が書かれていたのだ。
「俺たちが5年間かけてやってきた平和教育は一体何だったんだ!」と。
「日本は資源がないから」という理由が書かれていたそうだが、「そういって戦争した結果があれなんですよね。戦場に送られてひどい目に遭ったり、死んだりするのは君たちなんだよって思うんですけどねえ。」と嘆く彼に、「どうしてそうなっちゃうんだろうね」と訊くと、「あの子たちって、上から目線なんですよね。」と言う。
それを聞いて、二つのことを思った。
一つは、都立高校の卒業式に「日の丸・君が代」強制反対のビラまきを続けてきた人たちが、卒入対策本部の集会で「進学校の生徒はビラの受け取りが悪い」と報告していたことを思い出したのだ。
同世代の中では比較的頭の回転のいい子たちである。彼らは自分を取り巻く社会のメインストリームから自らのスタンスを見定めるのではないだろうか。
もう一つは、その「上から目線」の中身、というか、どういう目線に立ってものを考えるかということだ。
それは、自分がどうなるかではなく「日本がどうなるか」という、自分という個人が視野から抜け落ちたときに生まれてくる発想なのではないかと思う。
翻って、今の生徒たちは人権には敏感だ。プライバシーが侵されることを極端に嫌うし、LGBTについての感性も悪くない。
実は、その先生が「橋のない川」を授業で取り上げたという。
中学生のとき読んで涙した、ある少女が部落の少年の手を握ってあらぬ偏見に満ちた噂の真相を確かめる場面を紹介したところ、「それは痛いよね」と生徒が言ったと教えてくれた。
少女には何の悪気もないだけに、社会に存在する差別性が浮き上がる場面だ。それは、少女と少年の人格を介して初めて生まれる伝達力なのではないかと感じる。
顔の見える場面での反応はいいセンスをしている。それが、国と国との関係を持ち出され、「日本」とか「日本人」という言葉が出てきた途端、自分が見えなくなるような印象がある。
来年の夏には東京オリンピックが開催される。
「ガンバレ、ニッポン!」の合言葉と共に、「日の丸」の小旗を振り、日本選手がいくつ金メダルを取るか、固唾を飲んで見守るように仕向けられる。スポーツに罪はないが、そのイベントが国家と個々の国民を同一視することに使われるとしたら見過ごしにはできない。
しかし、現場の一教員としてどう向き合うか、裁判より難しいかもしれない。
※ ベンネーム小噺:今秋、自己申告の中間面接になって、突然管理職が「4つの言葉を入れてほしい」と書ってきた。“コンプライアンス”“個人情報”“いじめ”“体罰”の4つだ。
曰く「いくら言ってもも服務事故が減らないから」
おいおい!というわけで、書くだけの“compliance”ヨロシクです(笑)
『被処分者の会通信 第125号』(2019.9.24)
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