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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

アベを倒そう!(106)<江戸時代の朱子学?批判と三浦梅園の『敢語』(その8、最終)>

2016年05月04日 | 日の丸・君が代関連ニュース
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 今回は▲ 『敢語』紹介の最終回です。
 「(7)人間諸関係における中国及び日本思想の簡潔な総括」

 これまで紹介したことから明らかなように、梅園はこの書で、単に
  <(1)「昔の王の道」の立場からの儒教批判>を展開しているだけではなく、
  <(2)気一元論」の立場からの儒教(朱子学)批判>を展開しています。
 しかも、それまで中国や日本でもあまり語られることのなかった
  <(3)大胆な孔子批判>
  <(4)女性の立場に対する理解と擁護>
  <(5)「利」の積極的評価>
  <(6)復讐についての柳子厚(柳宗元)の見解に対する高い評価>
 などをも展開していました。

 ところで、この『敢語』を読めば梅園がいかに中国の制度や思想に通じていたかがわかります。
 また、彼が若い時に書いた『夢記』を読めば、日本の思想にもいかに通じていたかがわかります。
 この『敢語』は、梅園の<条理学>が基本的に確立した頃に書かれたものです。
 したがって、この『敢語』はその<条理学>を、人間諸関係に適用したものであると言えます。
 それゆえ、『敢語』は、それまでの中国、日本の人間諸関係に対する思想(政治・道徳思想)を批判・総括したものともなっています。
 梅園は主著『玄語』「例示」の中で次のように述べています。
 「(古代の)聖人の天下を治めるは、能く衆情を抱容しつつ、しかも模範(鋳型)にいれて陶治する」。
 しかしその「先王の道が衰えると」、いわゆる諸子百家、さらに仏老(仏教・道教)も出てきて党派的論争が起きてきた。
 だがそれは、「(周公が)天下を治めたやり方とは全然ちがうし、天下化育の道とも異なる。」
 そのうえで、具体的に何人かの「諸士」を取りあげ次のように批評しています。
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 老・墨・申・韓がつぎつぎに起こり、
 相い抗し相い攻め、議論を以って諸家に勝たんとするや、
 いきおい先王の道と異ならざるを得なくなった。
 孔子は乱世に彷徨(ほうこう)し、
 東周を(現実の政治に)再現しようと志して天下をめぐったが、
 誰も帰依するものがなかったので、
 結局、(現実政治の方は断念し)先王の道を修めて伝えた。
 かくの如きが孔子であった。
 孟子は戦国の権謀術数の時代に起こり、覇道を排撃して王道を主張した。
 それはやはり彼の新生面であったが、君臣の義を論ずる点に至っては、
 孔子と合しなかったのである。
 荘子はなげやりな人物であったが、
 しかし殷の湯王・周の武王を論じては孟子に劣るものではなかったのであるから、
 諸子とはいいながら、廃することはできないのである。
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 ところで、『敢語』の基本となった<条理学>について、梅園は『多賀墨卿君にこたふる書』の中で次のように述べています。
 少し難しいのですが、ゆっくり読めばわかります。
 また、少し長いのですが、省略せずに紹介します。
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 条理の(秘)訣は、
 『反観合一、捨心之所執(しゃしんのしょしゅう)、依徴於正(いちょうおせい)』のみに候(そうろう)。
 捨心之所執とは習気を離るゝ事にして、
 依徴於正とは徴と見えながら徴にあらざる徴あり。
 たとへば、日月は慥(たしか)に西にゆくの徴あれども、其の実は東に行く。
 水は正しく火の讎(あだ)と見ゆるれども、火は水によってなるごとし。
 天地の道は?昜(いんよう:こざと偏をとった陰陽)にして、
 ?昜の体は対して相反す。反するに因(より)て、一に合す
 天地のなる処(ところ)なり。
 反して一なるものあるによりて、我、これを反して観、合わせて観て、
 其の本然(ほんねん)を求むるにて候。
 此の故に、条理は、則ち一有二、二開一
 二なるが故に燦立(さんりつ)して条理を示し、
 一なるが故に混成して罅縫(かほう:ぬい目)を越没す。
 反観合一は則ちこれを繹(たず)ぬるの術にして、
 反観合一する事能(あた)はざれば、?昜の面目をみる事能はず。
 未だ?昜の面目を見る事能はずんば、博識多覧・聡明穎悟(えいご)の人といふとも、
 天地の室(しつ)をうかがい見ることは、得(え)あるまじく候。
 此の故に、条理を天門の鎖鑰(さやく:かんぬき)とも申し候。
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 これが、彼がそれまでの「陰陽五行説」を打破し確立した<条理学>の核心です。
 ですから、梅園は、これまでの「五行説」と結びついた「陰陽」では自分の<条理学>が正しく表されないとして「?昜」という文字を使ったのです。
 彼はこのことについても、『贅語』「陰陽帙 余論第一」の<?昜の字義>で次のように述べています。
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 そもそも、?昜という名称は『易』ではじめてあらわれました。
 けれども、そのいうところは、或いは道といい、或いは儀といい、
 或いは爻(こう)というのであって、易を説くにはいいかもしれませんが、
 天地を考えるについては、靴の上からかゆい所をかく感があります。
 阜、こざとへんをつけて、陰陽として、土地の日なた日かげで呼ぶのでは、
 本義以外のものを借りてつい別の意味を生じさせてしまうので、
 これにかかわってはなりません。
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 また、中国の著名な唯物論者である戴震(1723~1777、梅園(1723~1789)とほぼ同時代)でも、結局「陰陽五行説」の枠を打破することはできませんでした。
 「気一元論」に基づく梅園の<条理学>は、現代の言葉でいえば<唯物弁証法>と言えるでしょう。
 (弁証法の核心は「対立物の統一」であり、梅園の「反観合一」と通じます。)
 これを体系的に論述したのが梅園の主著『玄語』です。
 これはヘーゲル(1770~1831)の『大論理学』以前に出ています。

 最後に梅園の以下の言葉を紹介しておきます。
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 一元気と云事は誰が云い初(はじめ)たる事にや。
 未考(いまだかんがえず)。『漢書(かんじょ)』律歴(りつれき)志(し)にも出でたれば、
 漢の時は専(もっぱら)云いたるなるべし。もっともよき名なり。
 扨(さて)是(この)輩より陰陽と云(いう)字、盛に云ならして云(いう)事なれども、
 陰陽と云字の正しき解(かい)も見へず。
 うわすべりに世に通用して、
 復(また)は『左伝』なども陰陽・風雨・晦明(かいめい)(夜と昼)などと云いて
 風雨・晦明と並べても云たり。
 陰陽と云者はいかなる物ぞと人、とへども、火じゃの水じゃの夏じゃの冬じゃのと、
 物によそへてのみ云いて、其のよせ物をのけて聞きたしと云へば、ひとりも知る人なし。
 書物にも見へず。我、幼稚の時より尋(たずね)思ふてよせ物をのぞき、
 天地に徴し、始て其の解をつくれり。
 大凡(おおよそ)、陰陽と云物をまる裸にして、其面目云い出せる、
 書籍(しょじゃく)有りてより以来、
 「自我作古(われよりいにしえをなす)」と覚へたり。(『洞仙(梅園の別号)先生口授』より)
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 ご愛読ありがとうございました。
 なお、『敢語』と梅園哲学の評価について関心のある方は私までご連絡下さい。

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