<東京「君が代」第3次訴訟結審>
◎ 職務命令は愛国心を刷り込む目的には合理的で効果的な手段
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/71/a30d84e8dba796f39fe48113b8e06b8c.jpg)
「報告集会」 《撮影:gamou》
【最終準備書面第3、30~40P、教師の専門職上の自由の侵害】
原告らは、訴状67乃至77頁において、入学式・卒業式における君が代の起立・斉唱を命じる10・23通達及びそれに基づく職務命令が、教師の専門職上の自由を侵害する違法なものであると主張しましたが、教師の専門職上の自由には、私的領域における教育の自由のほかに、公教育における内在的限界を超える公権力の行使に歯止めをかける職責としての「道具的権利としての教師の教育の自由」があります。
国家の象徴である国旗や国歌は、人間の理性ではなく感性に訴えかけるもので、歴史的に国民を統合するための安易な手法として用いられてきました。しかも、入学式や卒業式はまさに「教育上の特に重要な節目となる儀式的行事」で、保護者や来賓も出席するなど、日常的な学校生活とは異なる緊張感があり、このようなただならぬ雰囲気において、起立斉唱を式次第に組み入れることは、生徒との関係では強制でないとしても、生徒に同調圧力を生じさせます。
まして、学校生活における「指導」者である教師が一律に起立斉唱することは、同調圧力を高めるのであり、それは生徒に対する「指導」ではなく、生徒の判断を介在させない「刷り込み」にほかなりません。
原告Gが勤務していた都立H高校定時制で2005年3月10日に行われた卒業式において、君が代斉唱の際に生徒たちが座ったとき、当時のO教頭は自分の席を立って生徒たちのところまで行って、彼らの体を揺すりながら起立するように促したとのことであり、さらに、2006年3月13日付で東京都教育庁は生徒の起立を徹底させるために新たな通達を出し、以後、都立高校で卒業式の進行台本に「起立しない生徒がいたら、再度起立を促す」旨が記載されるようになりました。これらの事実も、10・23通達の真の目的が生徒への刷り込み式愛国心教育であることを証明しています。
結局、10・23通達及びそれに基づく本件職務命令の真の目的は、「国旗及び国歌に対する敬意の表明」を、教員を媒介として、本来強制しえない生徒に、「自然な」ものとして刷り込むこと、ひいては、国旗及び国家によって象徴される国家それ自体に対する敬意を「自然な」ものとして刷り込むという「刷り込み式愛国心教育」にあります。それは、公教育における公権力の内在的限界を超えるものとして本来禁止されているものであり、原告ら教員の不起立不斉唱・ピアノ不伴奏は、教育公務員の職責として都教委の違法な公権力の行使に歯止めをかける行為なのです。
刷り込み式愛国心教育は、公教育における公権力の内在的限界を超えるものとして憲法上禁止されています。起立斉唱訴訟の問題の本質は、まさしく教育公務員であるがゆえに、公教育における違法な公権力の行使に歯止めをかけるという、公的領域の限界事例の問題であり、これを思想・良心の自由に対する侵害として再構成したものが、道具的権利としての「教師の教育の自由」です。
旭川学テ判決も、「国民各自が、一個の人間として、また、一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有する」と述べ、「一市民として成長、発達」するために必要な学習権が保障され、それに対応した公教育が要請されると論じています。さらに同判決は、公教育が党派的な政治的影響が深く入り込む危険があることを指摘し、国家の介入に対し歯止めをかけています。このように、最高裁判決は、公教育が公共財としての性格を併有することを認める一方、公教育の内容に対する国家介入の歯止め、すなわち公教育における国家権力の内在的限界として反全体主義原理を示し、それをチェックするためのいわば道具的権利として、教師の教育の自由を位置づけているものと解されます。
【最終準備書面第6、44~57P、10・23通達の真の目的】
最終準備書面第6では、10・23通達の真の目的が国旗・国歌に対する敬意の刷り込みであるということについて、巻意見書を補足する形式で主張しています。
10・23通達には、目的を支える立法事実が存在しません。巻意見書(甲B93号証)において「学校の卒業式や入学式等という教育上の特に重要な節目となる儀式的行事においては、生徒などへの配慮を含め、教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ることが必要であるという目的はそれ自体としては正当であるとしても、上記目的の合理性を支える社会的事実があるかどうか疑わしい。」との記載があります。巻意見書は、従来の同種裁判の判決において、特段の検証の形跡もなく認められてきた都教委の主張する10・23通達の目的について、その正当性、合理性を支える社会的事実の欠如という点からアプローチしています。10・23通達発出の直前までは、国旗及び国歌については実施率、すなわち卒業式等を含む式典において「国歌を斉唱したか」「国旗を掲揚したか」という点のみについて報告がなされていました。要するに、起立斉唱については何ら問題になっておらず、そのことは都教委も認識していたのです。被告は、国旗国歌の実施状況や教育の状況について様々な問題があったかのように主張していますが、卒業式等に問題が発生していなかったこと、都教委が問題と認識されていなかったことは、このような10・23通達発出前の経緯から明らかです。
次に、10・23通達の結果から裏付けられる「真の目的」が刷り込み式愛国心教育にあることを述べます。巻意見書によれば、『10・23通達は、起立斉唱行為の「要素」として「一般的、客観的に」認められる「国旗及び国歌に対する敬意の表明」、ひいては国旗、国歌によって象徴される国家それ自体に対する敬意の表明を、教員を媒介して、本来強制しえない生徒に対し、実質的に逆らえないものとして強制すること、あるいはそもそも「自然な」ものとして刷り込むという目的にとっては、まさに合理的で効果的な手段である。』としています。さらに、その真の目的が刷り込み式愛国心教育にあることは、以下の事実からも明らかです。
すなわち、10・23通達以後の都教委の対応や施策により画一的な実施によって、生徒に判断の余地がなくなったこと、内心の自由の説明の禁止されたこと、通達が職務命令という形式をとったこと、特別支援学校に対しても裁量の余地を認めなかった事、生徒の不起立に対する実質的な指導として、内心の自由を説明した教員らに厳重注意、注意、指導を行ったこと、画一的な刷り込みを行うため、反対教員の処分ありきで通達を発出しており、式当日、式場内の教職員はすべて事前に座席を指定され、国歌斉唱時はその席について起立し斉唱することとされ、音楽教員は国歌斉唱時にピアノ伴奏することなどの事実です。また、10・23通達の発出の経緯として、当時の東京都の政治を担っていた政治家らの強い影響でなされているという点があげられます。
以上から、巻意見書の述べるとおり、「10・23通達の真の目的」が刷り込み方式の愛国心教育にあり、「学校の卒業式や入学式等という教育上の特に重要な節目となる儀式的行事においては、生徒などへの配慮を含め、教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ることが必要である」というものではないことは、明らかです。
すなわち、都教委の真の目的は、憲法上強制が許されない生徒に対して、国旗・国歌ひいてはそれらによって象徴される国家に対する敬愛を「刷り込む」ということにあるのです。
◎ 職務命令は愛国心を刷り込む目的には合理的で効果的な手段
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/71/a30d84e8dba796f39fe48113b8e06b8c.jpg)
「報告集会」 《撮影:gamou》
【最終準備書面第3、30~40P、教師の専門職上の自由の侵害】
原告らは、訴状67乃至77頁において、入学式・卒業式における君が代の起立・斉唱を命じる10・23通達及びそれに基づく職務命令が、教師の専門職上の自由を侵害する違法なものであると主張しましたが、教師の専門職上の自由には、私的領域における教育の自由のほかに、公教育における内在的限界を超える公権力の行使に歯止めをかける職責としての「道具的権利としての教師の教育の自由」があります。
国家の象徴である国旗や国歌は、人間の理性ではなく感性に訴えかけるもので、歴史的に国民を統合するための安易な手法として用いられてきました。しかも、入学式や卒業式はまさに「教育上の特に重要な節目となる儀式的行事」で、保護者や来賓も出席するなど、日常的な学校生活とは異なる緊張感があり、このようなただならぬ雰囲気において、起立斉唱を式次第に組み入れることは、生徒との関係では強制でないとしても、生徒に同調圧力を生じさせます。
まして、学校生活における「指導」者である教師が一律に起立斉唱することは、同調圧力を高めるのであり、それは生徒に対する「指導」ではなく、生徒の判断を介在させない「刷り込み」にほかなりません。
原告Gが勤務していた都立H高校定時制で2005年3月10日に行われた卒業式において、君が代斉唱の際に生徒たちが座ったとき、当時のO教頭は自分の席を立って生徒たちのところまで行って、彼らの体を揺すりながら起立するように促したとのことであり、さらに、2006年3月13日付で東京都教育庁は生徒の起立を徹底させるために新たな通達を出し、以後、都立高校で卒業式の進行台本に「起立しない生徒がいたら、再度起立を促す」旨が記載されるようになりました。これらの事実も、10・23通達の真の目的が生徒への刷り込み式愛国心教育であることを証明しています。
結局、10・23通達及びそれに基づく本件職務命令の真の目的は、「国旗及び国歌に対する敬意の表明」を、教員を媒介として、本来強制しえない生徒に、「自然な」ものとして刷り込むこと、ひいては、国旗及び国家によって象徴される国家それ自体に対する敬意を「自然な」ものとして刷り込むという「刷り込み式愛国心教育」にあります。それは、公教育における公権力の内在的限界を超えるものとして本来禁止されているものであり、原告ら教員の不起立不斉唱・ピアノ不伴奏は、教育公務員の職責として都教委の違法な公権力の行使に歯止めをかける行為なのです。
刷り込み式愛国心教育は、公教育における公権力の内在的限界を超えるものとして憲法上禁止されています。起立斉唱訴訟の問題の本質は、まさしく教育公務員であるがゆえに、公教育における違法な公権力の行使に歯止めをかけるという、公的領域の限界事例の問題であり、これを思想・良心の自由に対する侵害として再構成したものが、道具的権利としての「教師の教育の自由」です。
旭川学テ判決も、「国民各自が、一個の人間として、また、一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有する」と述べ、「一市民として成長、発達」するために必要な学習権が保障され、それに対応した公教育が要請されると論じています。さらに同判決は、公教育が党派的な政治的影響が深く入り込む危険があることを指摘し、国家の介入に対し歯止めをかけています。このように、最高裁判決は、公教育が公共財としての性格を併有することを認める一方、公教育の内容に対する国家介入の歯止め、すなわち公教育における国家権力の内在的限界として反全体主義原理を示し、それをチェックするためのいわば道具的権利として、教師の教育の自由を位置づけているものと解されます。
【最終準備書面第6、44~57P、10・23通達の真の目的】
最終準備書面第6では、10・23通達の真の目的が国旗・国歌に対する敬意の刷り込みであるということについて、巻意見書を補足する形式で主張しています。
10・23通達には、目的を支える立法事実が存在しません。巻意見書(甲B93号証)において「学校の卒業式や入学式等という教育上の特に重要な節目となる儀式的行事においては、生徒などへの配慮を含め、教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ることが必要であるという目的はそれ自体としては正当であるとしても、上記目的の合理性を支える社会的事実があるかどうか疑わしい。」との記載があります。巻意見書は、従来の同種裁判の判決において、特段の検証の形跡もなく認められてきた都教委の主張する10・23通達の目的について、その正当性、合理性を支える社会的事実の欠如という点からアプローチしています。10・23通達発出の直前までは、国旗及び国歌については実施率、すなわち卒業式等を含む式典において「国歌を斉唱したか」「国旗を掲揚したか」という点のみについて報告がなされていました。要するに、起立斉唱については何ら問題になっておらず、そのことは都教委も認識していたのです。被告は、国旗国歌の実施状況や教育の状況について様々な問題があったかのように主張していますが、卒業式等に問題が発生していなかったこと、都教委が問題と認識されていなかったことは、このような10・23通達発出前の経緯から明らかです。
次に、10・23通達の結果から裏付けられる「真の目的」が刷り込み式愛国心教育にあることを述べます。巻意見書によれば、『10・23通達は、起立斉唱行為の「要素」として「一般的、客観的に」認められる「国旗及び国歌に対する敬意の表明」、ひいては国旗、国歌によって象徴される国家それ自体に対する敬意の表明を、教員を媒介して、本来強制しえない生徒に対し、実質的に逆らえないものとして強制すること、あるいはそもそも「自然な」ものとして刷り込むという目的にとっては、まさに合理的で効果的な手段である。』としています。さらに、その真の目的が刷り込み式愛国心教育にあることは、以下の事実からも明らかです。
すなわち、10・23通達以後の都教委の対応や施策により画一的な実施によって、生徒に判断の余地がなくなったこと、内心の自由の説明の禁止されたこと、通達が職務命令という形式をとったこと、特別支援学校に対しても裁量の余地を認めなかった事、生徒の不起立に対する実質的な指導として、内心の自由を説明した教員らに厳重注意、注意、指導を行ったこと、画一的な刷り込みを行うため、反対教員の処分ありきで通達を発出しており、式当日、式場内の教職員はすべて事前に座席を指定され、国歌斉唱時はその席について起立し斉唱することとされ、音楽教員は国歌斉唱時にピアノ伴奏することなどの事実です。また、10・23通達の発出の経緯として、当時の東京都の政治を担っていた政治家らの強い影響でなされているという点があげられます。
以上から、巻意見書の述べるとおり、「10・23通達の真の目的」が刷り込み方式の愛国心教育にあり、「学校の卒業式や入学式等という教育上の特に重要な節目となる儀式的行事においては、生徒などへの配慮を含め、教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ることが必要である」というものではないことは、明らかです。
すなわち、都教委の真の目的は、憲法上強制が許されない生徒に対して、国旗・国歌ひいてはそれらによって象徴される国家に対する敬愛を「刷り込む」ということにあるのです。
以 上
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