◆ Tネット通信 2017年7月23日
みなさん、こんにちは。本日の集会に参加できませんので、この通信をもって報告させていただきます。
私は、元府立高校教員の辻谷博子といいます。「君が代」不起立により戒告処分、減給処分を受け、再任用も拒否されました。現在、処分撤回については裁判で、再任用拒否については人事委員会で、その不当性を訴えています。
今回、みなさんにお伝えしたいのは、減給処分取消控訴審に提出した西原博史さんの鑑定意見書「大阪府教育委員会による卒業式の国歌斉唱時における不起立を理由とする府立高校教員に対する減給処分は適法か?」です。
ここには、主な意見は3つあります。
1番目は、本件減給処分は裁量権の逸脱乱用にあたる、つまり減給処分は重すぎるということです。
2番目は、「君が代」条例とその処分条例ともいえる大阪府職員基本条例は、その成立過程や条文からみても明確な思想差別の意図があり、まさに憲法19条の直接的侵害にあたるということです。
3番目は、これまでの「君が代」最高裁判決批判ともいえるもので、なぜ、「君が代」起立斉唱職務命令が憲法違反と認定されてこなかったのか、いわゆる「間接的制約」説の問題点の指摘にも及んでいます。
ここでは紙面の都合がありますので、2番目のみを私なりの言葉で紹介させていただくことにします。
―思想・良心の自由に対する直接的侵害―
ご存じのように、「君が代」不起立裁判におけるこれまでの最高裁の枠組みは大きく2つあります。
そのひとつは2011年5月から6月にかけて一連の最高裁判決で、「君が代」起立斉唱命令および起立斉唱命令違反を理由とした懲戒処分は憲法19条に違反するものではない、つまり「君が代」起立斉唱命令は合憲、とされたことです。
その時最高裁が持ち出してきた論理は、「君が代」起立斉唱命令は、思想・良心の自由に対する直接的制約を生ぜしめるものではないとして、「間接的制約」の次元に置き、必要かつ合理的な場合には一定の制限が生じることはやむを得ないとし、「君が代」起立斉唱が慣例上の儀礼的所作である以上、職務命令は秩序維持のため制約を許容し得る程度の必要性及び合理性があると認定したことです。以下、最高裁判決から一部引用します。
すなわち、「君が代」条例および大阪府職員基本条例は、君が代不起立を理由に3回の処分を受けた教員に対しては免職処分が下される旨を定めており、これら条例の制定過程における議論等に鑑みても、大阪府における教員の国歌斉唱義務に関わる条例上の制度は、最高裁の起立命令合憲判決にいう「歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くもの」に該当することは疑う余地がありません。
もう少し詳しく述べましょう。
なぜ、大阪府職員基本条例に同一職務命令違反3回で免職という規定がなされたのか。そもそも職務命令違反はたびたび起こるものではありません。同一の職務命令に違反する事例は明らかに「君が代」起立斉唱職務命令違反を対象としたものであることがわかります。つまり、制定の経緯や当時知事であった大阪維新の会の橋下発言を踏まえると、「君が代」条例における教職員に対する無条件で国歌斉唱に参加する信条の強制と、大阪府職員基本条例27条2項における免職条項は一体として構想されたものであり、後者が前者の手段として位置づけられて成立したものであることは明らかなわけです。
国歌斉唱に参加することが自らの信条に照らして不可能であるとする教員を、その思想・信条のゆえに公立学校教員としての地位から排除しようとする権力的措置は、憲法19条の思想・良心の自由に対する直接的な侵害となります。
そうである以上、条例上の斉唱義務に基づく起立斉唱行為は、最高裁がいう「その性質の点から見て」当該教員の有する「歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付く」ものであり、それを義務づける「君が代」条例およびそれに基づく職務命令は当該教員に対して「上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するもの」に該当することになります。
すなわち、大阪府職員基本条例27条2項(免職規定)は、国歌斉唱に参加することが自らの信条に照らして不可能である教員に対する適用を予定している限りにおいて、一義的に憲法19で保障されているところの思想・良心の自由を直接的に侵害し無効ということです。いかに公務員とて基本的人権は有していることは言うまでもありません。
原審において、大阪地裁内藤裕之裁判長は、減給処分が「君が代」条例に基づき下されたものであることを認め、同条例を判決に引用しています。
大阪府職員基本条例においては、表面的には職務命令違反に関わる自動加重処分の枠組は明記されていません。しかし、実務において実際には自動加重的な発想が根底に置かれ、「君が代」不起立を行う教員に対して極めて強い非難あるいは排除の意図が感じ取れる制度として運用されていることは間違いありません。
職員基本条例によって想定されている標準的ともいえる1回目の戒告処分から1段階加重された減給処分が採用されたわけですから、これ自体が、最終すなわち3回目には免職によって特定思想の持ち主を公立学校から排除するための仕組みが本件においても作動していることを表す証左ともいえます。
職務命令と懲戒処分が一体となって、現実に公立学校教職員の一部の中に存在している世界観・歴史観・教育観などの思想・良心の内容を否定することそれ自体を目的として、あるいは否定する枠組として運用されている場合、思想・良心の自由に対する直接侵害性はいっそう明白であるといえます。
仮に職務命令の時点において、特定の世界観・歴史観・教育観などを否定する意味合いが確定しきれず、なおも憲法違反と判断するには十分な根拠がないとしても、大阪府職員基本条例27条2項の将来における適用を想定した2回目の職務命令違反に対する処分としてこのように1回目よりも加重された処分が選択されたことは、心の中の国旗国歌に対する教育上の考え方を理由に教員を排除することに向けたメカニズムが動き出したものと評価せざるを得ず、その時点において憲法19条違反の処分となっていることは否定できるものではありません。
その点において、本件減給処分は憲法に反し、有効に成立したものではないため、取り消しを免れないといえます。8月31日、大阪高裁によって日本国憲法の真の意味が示されるよう、期待してやみません。
※なお、西原鑑定意見書はブログ「教育条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク」で全文公開しています。
教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク(yamadak@nike.eonet.ne.jp)
みなさん、こんにちは。本日の集会に参加できませんので、この通信をもって報告させていただきます。
私は、元府立高校教員の辻谷博子といいます。「君が代」不起立により戒告処分、減給処分を受け、再任用も拒否されました。現在、処分撤回については裁判で、再任用拒否については人事委員会で、その不当性を訴えています。
今回、みなさんにお伝えしたいのは、減給処分取消控訴審に提出した西原博史さんの鑑定意見書「大阪府教育委員会による卒業式の国歌斉唱時における不起立を理由とする府立高校教員に対する減給処分は適法か?」です。
ここには、主な意見は3つあります。
1番目は、本件減給処分は裁量権の逸脱乱用にあたる、つまり減給処分は重すぎるということです。
2番目は、「君が代」条例とその処分条例ともいえる大阪府職員基本条例は、その成立過程や条文からみても明確な思想差別の意図があり、まさに憲法19条の直接的侵害にあたるということです。
3番目は、これまでの「君が代」最高裁判決批判ともいえるもので、なぜ、「君が代」起立斉唱職務命令が憲法違反と認定されてこなかったのか、いわゆる「間接的制約」説の問題点の指摘にも及んでいます。
ここでは紙面の都合がありますので、2番目のみを私なりの言葉で紹介させていただくことにします。
―思想・良心の自由に対する直接的侵害―
ご存じのように、「君が代」不起立裁判におけるこれまでの最高裁の枠組みは大きく2つあります。
そのひとつは2011年5月から6月にかけて一連の最高裁判決で、「君が代」起立斉唱命令および起立斉唱命令違反を理由とした懲戒処分は憲法19条に違反するものではない、つまり「君が代」起立斉唱命令は合憲、とされたことです。
その時最高裁が持ち出してきた論理は、「君が代」起立斉唱命令は、思想・良心の自由に対する直接的制約を生ぜしめるものではないとして、「間接的制約」の次元に置き、必要かつ合理的な場合には一定の制限が生じることはやむを得ないとし、「君が代」起立斉唱が慣例上の儀礼的所作である以上、職務命令は秩序維持のため制約を許容し得る程度の必要性及び合理性があると認定したことです。以下、最高裁判決から一部引用します。
「・・起立斉唱行為は、その性質の点から見て、上告人の有する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものとはいえず、上告人に対して上記の起立斉唱行為を求める本件職務命令は、上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできない。……本件職務命令は、特定の思想を持つことを強制したり、これに反する思想を持つことを禁止したりするものではなく、特定の思想の有無について告白することを強要するものということもできない。そうすると、本件職務命令は、これらの観点において、個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。」ところが、大阪府においては条例に基づく別種の規範構造が成立しています。
すなわち、「君が代」条例および大阪府職員基本条例は、君が代不起立を理由に3回の処分を受けた教員に対しては免職処分が下される旨を定めており、これら条例の制定過程における議論等に鑑みても、大阪府における教員の国歌斉唱義務に関わる条例上の制度は、最高裁の起立命令合憲判決にいう「歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くもの」に該当することは疑う余地がありません。
もう少し詳しく述べましょう。
なぜ、大阪府職員基本条例に同一職務命令違反3回で免職という規定がなされたのか。そもそも職務命令違反はたびたび起こるものではありません。同一の職務命令に違反する事例は明らかに「君が代」起立斉唱職務命令違反を対象としたものであることがわかります。つまり、制定の経緯や当時知事であった大阪維新の会の橋下発言を踏まえると、「君が代」条例における教職員に対する無条件で国歌斉唱に参加する信条の強制と、大阪府職員基本条例27条2項における免職条項は一体として構想されたものであり、後者が前者の手段として位置づけられて成立したものであることは明らかなわけです。
国歌斉唱に参加することが自らの信条に照らして不可能であるとする教員を、その思想・信条のゆえに公立学校教員としての地位から排除しようとする権力的措置は、憲法19条の思想・良心の自由に対する直接的な侵害となります。
そうである以上、条例上の斉唱義務に基づく起立斉唱行為は、最高裁がいう「その性質の点から見て」当該教員の有する「歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付く」ものであり、それを義務づける「君が代」条例およびそれに基づく職務命令は当該教員に対して「上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するもの」に該当することになります。
すなわち、大阪府職員基本条例27条2項(免職規定)は、国歌斉唱に参加することが自らの信条に照らして不可能である教員に対する適用を予定している限りにおいて、一義的に憲法19で保障されているところの思想・良心の自由を直接的に侵害し無効ということです。いかに公務員とて基本的人権は有していることは言うまでもありません。
原審において、大阪地裁内藤裕之裁判長は、減給処分が「君が代」条例に基づき下されたものであることを認め、同条例を判決に引用しています。
大阪府職員基本条例においては、表面的には職務命令違反に関わる自動加重処分の枠組は明記されていません。しかし、実務において実際には自動加重的な発想が根底に置かれ、「君が代」不起立を行う教員に対して極めて強い非難あるいは排除の意図が感じ取れる制度として運用されていることは間違いありません。
職員基本条例によって想定されている標準的ともいえる1回目の戒告処分から1段階加重された減給処分が採用されたわけですから、これ自体が、最終すなわち3回目には免職によって特定思想の持ち主を公立学校から排除するための仕組みが本件においても作動していることを表す証左ともいえます。
職務命令と懲戒処分が一体となって、現実に公立学校教職員の一部の中に存在している世界観・歴史観・教育観などの思想・良心の内容を否定することそれ自体を目的として、あるいは否定する枠組として運用されている場合、思想・良心の自由に対する直接侵害性はいっそう明白であるといえます。
仮に職務命令の時点において、特定の世界観・歴史観・教育観などを否定する意味合いが確定しきれず、なおも憲法違反と判断するには十分な根拠がないとしても、大阪府職員基本条例27条2項の将来における適用を想定した2回目の職務命令違反に対する処分としてこのように1回目よりも加重された処分が選択されたことは、心の中の国旗国歌に対する教育上の考え方を理由に教員を排除することに向けたメカニズムが動き出したものと評価せざるを得ず、その時点において憲法19条違反の処分となっていることは否定できるものではありません。
その点において、本件減給処分は憲法に反し、有効に成立したものではないため、取り消しを免れないといえます。8月31日、大阪高裁によって日本国憲法の真の意味が示されるよう、期待してやみません。
※なお、西原鑑定意見書はブログ「教育条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク」で全文公開しています。
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