〔週刊 本の発見〕第297回(レイバーネット日本)
☆ 『武器としての国際人権~日本の貧困・報道・差別』
(藤田早苗・著、集英社新書、1,100円+税、2022年12月)
評者:黒鉄好(2023/5/4)
日本が人権後進国と言われるようになって久しい。しかし本書を読むと、ニッポンの人権後進国ぶりはそんな生やさしいレベルではすまないことがわかる。
レイバーネットを日常的に読んでいる人なら、人権は生まれながらにして誰もが持ち、それを保障する義務を政府が負っていると理解しているだろう。
しかし日本人の大部分が人権を思いやりと同レベルで捉えていることに、藤田さんは警鐘を鳴らす。人権は国家と個人の関係だが、思いやりは私人同士の私的関係に過ぎないからだ。
特定秘密保護法をめぐって、国連特別報告者デイビッド・ケイ氏による訪日調査が2016年に行われたが、この過程では日本政府が一度は日程まで決まった調査受け入れを直前でキャンセルするという暴挙に出た。
「日程まで決まっていてキャンセルするのは独裁国家くらいだ」と聞かされた藤田さんは「日本はもう放っておけない大変な国になりつつある」(本書P.71)との国際社会の雰囲気を忖度なく伝えている。
人権問題を審査する第三者機関や、人権侵害に関する通報制度も、先進国なら存在して当然だが日本だけ設置していないと聞けば、たいていの日本人は驚くに違いない。
このような日本の残念な状態を改善するため、藤田さんは国際法をもっと使うよう読者に助言する。
日本が批准した条約に政府を従わせるだけでなく、国連機関や特別報告者に働きかけて勧告や報告を出させるなど、有形無形の圧力をかけ、日本政府が国際社会の意思に従わざるを得なくなるよう包囲していくことの重要性を説いている。
法を犯す者を物理的に従わせるため、国家は軍隊や警察などの「暴力装置」を持つ。だが国連はそうした物理的な力を持たないことから、ウクライナを侵略したロシアのような国際法違反の国家に対して「お気持ち表明」しかできない――国際法に対してはこうした否定的な声も多い。
だが、「暴力装置」のない状態で国際間紛争を平和的に解決する事例を積み上げていくことは、国際紛争を解決する手段として武力の行使を永久に放棄し、またそのための戦力も持たないと定めた憲法9条を持つ日本にとって責務でもある。
多国籍企業のビジネスに伴う人権侵害に対する国際社会の目も厳しさを増しており、2022年には日本企業に対策を促す経産省のガイドラインも策定されている。国際法がここ数年、急速に注目度を増してきたことは喜ばしいが、私には別の側面も見える。
反人権的な自民党による単独政権が70年近く続いた結果、日本の国内法はあらかた改悪され尽くし、もはや市民にとって戦える国内法はほぼ残っていない。
使えるのは自民党の手の届かないところで決められる国際法くらい――そのような経過をたどった上での「脚光」だとしたら、素直に喜んでばかりもいられないのではないだろうか。
著者の藤田さんは、英エセックス大学修士課程在学中に国際法に触れたことがこの道に進むきっかけとなった。究極の人権侵害である戦争・戦場を連想させる「武器」という単語をタイトルに入れることに難色を示したが、インパクトのある単語を入れたほうが売れると主張する出版社側に押し切られたと聞く。本書のタイトルをめぐっても、ビジネスと人権との間で水面下の激しい攻防があったことは、付記しておきたい。
『レイバーネット日本』(2023-05-07)
http://www.labornetjp.org/news/2023/hon297
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