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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

◆ 自由権規約第7回日本審査におけるゴメス委員の質問への日本政府回答(パラ23&パラ26)日本語訳

2022年10月20日 | 「日の丸・君が代」強制反対

 東京・教育の自由裁判をすすめる会 国際人権プロジェクトチームが提出した2項目のカウンターレポートを取り上げてくれたゴメス委員の質問に対する、日本政府代表の回答の文字起こしです。(花輪)

●イシュー23 日本政府代表(法務省)の回答(英語で回答:日本語は同時通訳から)

 ゴメス委員から質問いただき、感謝申し上げます。「公共の福祉」というのは、憲法に表現が出ているんですけど、これは違った利益を調整するためのものであるということです。例えば第22条におきまして、あらゆる人たちが住まいを替えることができる、それから職業についても替えることが出来るし、「公共の福祉」に反しなければ、ということで言われています。
 これは人権間の調整と言うことで、日本の憲法だけが使っているわけではありません。たとえば、自由権規約におきましても、限られた分野ではありますけど、制限が課されると言うことがあります。例えば、「公の秩序」などが、第19条で言及されております。
 さらに人権に対する制限というのは「公共の福祉」と両立可能なのかということについてですが、それは目的による、必要性による、それから内容による、ということです。それからどういった権利が制限されるか、ということにもよりますし、もしくは、どれくらいの程度制限されるのかということにもよります。そういった基準が出来ておりまして、これは判決が累積することによって、具体化してきております。
 新しい判例というのは、出すことが出来ずに、2012年以降は、特にお出しできるものがないんですけど、それでも部分的に懸念に対するお答えになりましたでしょうか。こういった基準を共有することによりまして、これで「公共の福祉」概念のについてある程度のお答えになったことを期待します。以上です。

※感想
①問題のすり替え

 委員会が第3回審査から繰り返し問題にしているのは、「公共の福祉」概念「あいまいで制限がない」(→あらゆる人権を制約しかねない)という問題である。政府代表が引用したような22条「経済的自由」については、歴史上最初に「公共の福祉」を用いたワイマール憲法以来、誰かに無制限に認めると他者の人権を著しく侵害しかねないから社会全体の安定を優先して特定個人の自由を制限する概念として用いられてきた。
 だから日本国憲法の22条(居住・移転・職業選択の自由)や29条(財産権)という「経済的自由」条項は全く問題が無いのであって、問題は12条(自由及び権利)、13条(個人の尊重)、という権利一般に対する規定の中に「公共の福祉」が使われていることが問題なのだ。それには、何も答えていない。
 これではいつまでも話が前に進まない。「公共の福祉」をこんな使い方している国は、世界中他にないし、規約の「公の秩序」(public order)と憲法の「公共の福祉」(public welfare)は全く違った概念なのに。

②日本に、「公共の福祉」で人権を制約した新しい判例がない、ことの意味

 委員から、2012年以降の最高裁判例に「公共の福祉」が用いられている例を求められたのに対し、日本政府(法務省)の回答は、例がない、とのことだった。2011年頃までは、板橋高校卒業式事件、立川テント村事件、葛飾ビラ入れ事件など、最高裁は「公共の福祉」概念による自由権制約を乱発していた。
 ところが、どうやらその後日本では、最高裁判例で「公共の福祉」は用いられていないらしい。
 10年以上も続く判例がないいうことは、日本の司法界に「公共の福祉」で人権を制約することに慎重な姿勢が生じているということかもしれない。つまり、政府は、勧告に「法的拘束力」はない、表向き素直に従おうとしていないが、案外意識していて、裏では「公共の福祉」名目の人権制約は抑制しているのではないか。だとしたら、「勧告」はあながち無意味ではないし、そのことを国際社会に訴え続けてきた我々の「カウンターレポート」も無駄ではなかったと言えるのかも知れない。


● イシュー26 日本政府代表(文科省)の回答(日本語で回答)

 委員ご指摘の、東京都が発出した通知を含む国歌の指導についてお答えいたします。
 学校における児童生徒に対する国旗国歌の指導は、憲法19条及び自由権規約18条に反するものではないと考えております。
 『学習指導要領』で、入学式や卒業式等においては、「その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」等と規定されていることに基づき、実施されているものです。
 地方公務員である教職員は、『地方公務員法』に基づき、全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務するため、法令や上司の職務命令に従って教育指導を行う職務上の責務を負うものとなっております。
 上司である校長が、『学校教育法』及び『同法施行規則』の規定の上に基づいて定められた、教育課程の基準である『学習指導要領』に則り、入学式等の式典において国旗及び国歌の指導を行うよう当該教職員に命ずる場合、これに従う職務上の責務を負うものであるとされています。
 当該職務命令は、地方公務員の地位の性質及びこの職務の公共性を踏まえ、教育上の行事にふさわしい秩序の確保を図るものであると言え、当該教職員の思想及び良心の自由についての「間接的な制約」となる面はあるものの、当該制約を許容しうる程度の必要性及び合理性が認められるもの、というべきであり、そして最高裁判所も判示をしてところでございます。
 こちら『学習指導要領』に基づいて指導する立場にある教師が起立をしないと言うことがありますと、適切に児童生徒に教えられないということからも、合理性があると考えております。
サンキュー

※感想
 元々のList of Issuesパラ26では、「10・23通達」が規約18条3項の「厳格な条件」との整合性を問うていたのに、政府文書回答ではその問いには答えずに最高裁判例を長々と引用してお茶を濁していた。
 そこをゴメス委員が法律の専門家らしく、「教員が教育当局が定めた学習プラン(おそらく学習指導要領のこと)に従うこと」と「教員自身の敬意表明行為」との間には異なる法的措置がありうるのではないか、と鋭く斬り込んだのであった。
 しかし政府代表(文科省)は、従来と同じ最高裁判例の「間接的制約論」を持ち出して繰り返すしか能が無く、この場で提起された新たな切り口については何も答えることが出来ていない。

ゴメス委員の質問(和訳)は、こちらでご覧下さい


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