皆様へ、 日中友好と教育の自由のために〈中国通信1552〉を送ります。重複お許しください。ご意見ご批判をお願いします。転送OK。*記事の中国語原文については大幅に(略)しています。全文を読みたい方はご連絡ください。
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《社説 君が代「再雇用拒否」判決 行政の裁量広げすぎでは》
毎日新聞2018年7月22日
《君が代斉唱をめぐる処分の可否については決着がついている。最高裁は12年、「戒告より重い減給以上の処分を選択するには、慎重な考慮が必要だ」との判断を示した。この時は停職や減給の処分が一部取り消された。懲戒権者の処分に「行き過ぎ」がないよう一定の線引きをした。・・国旗・国歌法が成立したのは1999年だ。当時の小渕恵三首相は国会で、「国旗掲揚や国歌斉唱の義務づけは考えていない」と答弁し、個々人に強制しないと強調した。その精神は今後も尊重すべきであり、行政の慎重な対応が必要だ。》
*この社説は全体としては原告(被処分者)に好意的ではあるが、肝心の点で皮相な見方をしている。
まず、2012年最高裁判決は、減給・停職処分について歯止めをかけたようであるが、それ以後も減給処分は出されている。そもそもこの最高裁判決は《不起立前後の態度を含む過去の処分歴等》があれば減給・停職処分が是認されるという不当な「線引き」をしたのである。
また、1999年《国旗・国歌法》成立時の国会論議では、小渕首相・有馬文相・野中官房など閣僚は“強制しない”と答弁したが、矢野・御手洗など文部官僚は“職務命令が出されそれに違反したら懲戒処分する。”と明確に述べている。こうして都教委「10・23通達」に基づく職務命令が出され延べ400件以上の懲戒処分が行われてきたのである。このからくりを見抜けないとまんまと騙される。
なお、最高裁は今回3つの再雇用関連訴訟(東京再雇用2次・3次・大阪再任用拒否国賠訴訟)の判決・決定を一挙に行った。いずれも原告敗訴。(近藤)
7/22,100名以上が結集し集会・デモが行われた。
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《ここは桃の花が盛りのところ》
◆ 鴨緑江のそれぞれの橋
原文:中文導報2018年6月21日 作者:文馨
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米朝首脳会談は人を興奮させた。朝鮮のニュースを聞く度に我が故郷・丹東に多くの記者が集まり、鴨緑江あたりで実況放送する。
鴨緑江には4つの橋があるが、そのうち1つだけが使われている。
2つは、抗米援朝の時米軍の爆撃によって断たれた。
後の一つは、4年前、中国側は完成したが朝鮮側は今も工事は開始されていない。
これらの丹東の4つの橋からだけでも朝鮮半島のここ数十年の歴史がわかる。
丹東の最も上流にある橋は当時中国侵略した日本軍によって造られた石橋。
抗米援朝戦争時、彭徳懐元帥ここから鴨緑江を渡った。戦争中、米軍の爆撃で破壊された。
80年代によく知られた《あの桃の花盛りで》もまたここを背景としている。
5月には美しい花が咲き、天下で最もおいしい仙桃が食べられる。その他、鴨緑江の魚を鍋で煮込んでその周りにもちを貼り付ける。
この美味しさは日本で生まれた娘も絶賛する。
さらに明代に造られた万里の長城の東端、虎山長城がある。
もう一つの断たれた橋がある。それもまた米軍の爆撃を受けたのだ。
そしてそこから遠くないところに美しい鉄の橋、それは爆撃を逃れ丹東でただ一つ使用されている大橋、その名は中朝友好の道路・鉄道併用橋、毎日行き来が絶えず、賑わっている。
橋の両方から国際観光列車が通過する。
朝鮮の前2代の指導者(金日成・金正日)が中国を訪問するのに使った。
金日成が中国訪問するときは、付近の鉄道には軍隊警察が防衛し一般の民衆は立ち入ることができなかった。
大学4年の時、丹東から北京の国際列車に乗り、夕方4・5時に乗り、翌日朝8・9時に着く。いい時間だ。
中朝友好橋の下流10キロのところに、2014年中国方面で道路橋が竣工したが、残念ながらその計画は始まってすぐ朝鮮の消極的態度によって、今日まで竣工の形跡がない。
おそらく、この新橋が朝鮮で工事開始される時が、朝鮮の改革開放開始の日だろう。
願わくは、米朝首脳会談がその促進作用となってほしいものだ。
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《社説 君が代「再雇用拒否」判決 行政の裁量広げすぎでは》
毎日新聞2018年7月22日
《君が代斉唱をめぐる処分の可否については決着がついている。最高裁は12年、「戒告より重い減給以上の処分を選択するには、慎重な考慮が必要だ」との判断を示した。この時は停職や減給の処分が一部取り消された。懲戒権者の処分に「行き過ぎ」がないよう一定の線引きをした。・・国旗・国歌法が成立したのは1999年だ。当時の小渕恵三首相は国会で、「国旗掲揚や国歌斉唱の義務づけは考えていない」と答弁し、個々人に強制しないと強調した。その精神は今後も尊重すべきであり、行政の慎重な対応が必要だ。》
*この社説は全体としては原告(被処分者)に好意的ではあるが、肝心の点で皮相な見方をしている。
まず、2012年最高裁判決は、減給・停職処分について歯止めをかけたようであるが、それ以後も減給処分は出されている。そもそもこの最高裁判決は《不起立前後の態度を含む過去の処分歴等》があれば減給・停職処分が是認されるという不当な「線引き」をしたのである。
また、1999年《国旗・国歌法》成立時の国会論議では、小渕首相・有馬文相・野中官房など閣僚は“強制しない”と答弁したが、矢野・御手洗など文部官僚は“職務命令が出されそれに違反したら懲戒処分する。”と明確に述べている。こうして都教委「10・23通達」に基づく職務命令が出され延べ400件以上の懲戒処分が行われてきたのである。このからくりを見抜けないとまんまと騙される。
なお、最高裁は今回3つの再雇用関連訴訟(東京再雇用2次・3次・大阪再任用拒否国賠訴訟)の判決・決定を一挙に行った。いずれも原告敗訴。(近藤)
7/22,100名以上が結集し集会・デモが行われた。
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《ここは桃の花が盛りのところ》
◆ 鴨緑江のそれぞれの橋
原文:中文導報2018年6月21日 作者:文馨
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米朝首脳会談は人を興奮させた。朝鮮のニュースを聞く度に我が故郷・丹東に多くの記者が集まり、鴨緑江あたりで実況放送する。
鴨緑江には4つの橋があるが、そのうち1つだけが使われている。
2つは、抗米援朝の時米軍の爆撃によって断たれた。
後の一つは、4年前、中国側は完成したが朝鮮側は今も工事は開始されていない。
これらの丹東の4つの橋からだけでも朝鮮半島のここ数十年の歴史がわかる。
丹東の最も上流にある橋は当時中国侵略した日本軍によって造られた石橋。
抗米援朝戦争時、彭徳懐元帥ここから鴨緑江を渡った。戦争中、米軍の爆撃で破壊された。
80年代によく知られた《あの桃の花盛りで》もまたここを背景としている。
5月には美しい花が咲き、天下で最もおいしい仙桃が食べられる。その他、鴨緑江の魚を鍋で煮込んでその周りにもちを貼り付ける。
この美味しさは日本で生まれた娘も絶賛する。
さらに明代に造られた万里の長城の東端、虎山長城がある。
もう一つの断たれた橋がある。それもまた米軍の爆撃を受けたのだ。
そしてそこから遠くないところに美しい鉄の橋、それは爆撃を逃れ丹東でただ一つ使用されている大橋、その名は中朝友好の道路・鉄道併用橋、毎日行き来が絶えず、賑わっている。
橋の両方から国際観光列車が通過する。
朝鮮の前2代の指導者(金日成・金正日)が中国を訪問するのに使った。
金日成が中国訪問するときは、付近の鉄道には軍隊警察が防衛し一般の民衆は立ち入ることができなかった。
大学4年の時、丹東から北京の国際列車に乗り、夕方4・5時に乗り、翌日朝8・9時に着く。いい時間だ。
中朝友好橋の下流10キロのところに、2014年中国方面で道路橋が竣工したが、残念ながらその計画は始まってすぐ朝鮮の消極的態度によって、今日まで竣工の形跡がない。
おそらく、この新橋が朝鮮で工事開始される時が、朝鮮の改革開放開始の日だろう。
願わくは、米朝首脳会談がその促進作用となってほしいものだ。
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