パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

藤田の日記8/21~25

2006年09月04日 | 藤田の部屋
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2006年8月21日(月曜日)     パルタイ
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 大学に入学直後、同学年のK君が文学部旧校舎の一階の階段に座って熱心に話しかけてくれた。
 今で言う「オルグ」というのであろう。「パルタイ」の如何に駄目であるかについてである。まったく理解出来なかった。情けない限りであるが、その「パルタイ」とは何か、聞く勇気がなかったのだ。
 K君はその後京都へ行ってしまった。今は何処で何をしているのだろうか。分からないにしてもK君の熱誠にはまさに青春の一ページがあった。
 その後高校の先輩、構改派に引っ張られて何も分からぬまま一年間走り回った。新島のミサイル試射場反対闘争、授業料値上げ反対ストなどである。委員長らが停学となり誰もいなくなった。
 一人新校舎の自治会室に篭もっていた。二年になってブンドに自治会を取られてしまった。以後、家も出ていたのでアルバイト一筋の生活であった。まことに勉強不足、恥ずかしい限りである。


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2006年8月22日(火曜日)     パルタイ②
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 マルクス関係では「ドイツ・イデオロギー」一冊読んだのみ。あとはカミユの「反抗的人間」に何故か心情的に惹かれた。勤めて後は「神聖喜劇」。これは傑作であった。
 一年の時にきちんと勉強しそれなりに組織を作ったら自治会を守れたかもしれぬ。そうしたらあの文学部のZ支配を阻止しえたかも知れない。まこと詮無い感慨であるが、「パルタイ」も分からないんじゃどうしようもない。
 あの自治会室で川口君が殺されたニュースに接した時には何か一端の責任があるように思えて情けなかった。何にしても殺し合いはまったくの悪としか言いようがない。公安も両者の共倒れを狙って裏で煽っていたのであろうか。イデオロギー対立と言うより首領のへゲモニー争いではなかったのか。クロカンのエンカに対する嫉妬心というような動機が根底にあったとしたら犠牲者はまことに浮かばれない。
 「パルタイ」も分からぬアホであったことが陰惨な党派闘争の埒外にいられた因であったとしたらアホであったことをもって瞑すべきか。

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2006年8月23日(水曜日)     至難
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 相続というのは妙な観念だ。何処の国のどんな家庭に生まれたかによって金の有る無しが決まる。金鉱脈に生まれるか不毛の地に生まれるか人生大違いだ。戦後アメリカ映画を見て指を咥えていた。何たる生活があるのかと。生まれたときにもう病魔に冒されている場合も有る。こうなれば金の有無は関係ないが有るに越したことはない。
 相続という観念をすべて否定したらどうなるのか。すべては生前贈与ということになるか。税収が一挙に拡大するであろう。都会のささやかな土地が何千万、何億になっている。その結果、骨肉相食む様相を呈している。家・土地があったおかげでお互いが罵り合うというのだから皮肉なものだ。金のために人殺しさえするのだから金というのは恐ろしい。
 相続とか金について振り回されない人生こそが幸せなのかも知れない。食っていけるだけの経済的基盤と心身の健康、こう考えても人生落とし穴が無数にあって難しいものだ。

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2006年8月24日(木曜日)     秋
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 夕方、散々つくつくぼうしの鳴くのを聞いた。夜、インターネットでつくつくを検索したら鳴き声があった。深夜につくつくの大きな鳴き声が聞けるというのも妙なものだ。
 あの鳴き声を字で表すのは難しい。「ジー おーしんツクツク おーしんツクツク おーしんツクツク おーしんツクツク ふいよー ふいよー ジーーー」といった感じであろうか。
 すばしこい奴である。子供の頃、夏中蝉を追いかけていた。東京にはみんみんはいなかった。熱海に行ったらみんみんだらけなのでびっくりした。
 明大前の本願寺が縄張りであった。あぶらとにいにいも追ったが本命はつくつくとかなかなである。つくつくはあちこち飛び捲くるがかなかなはどういうわけか木の下の方にいる。
 寂しい鳴き声である。つくつくの勇壮さ軽薄さの欠片もない。つくつくが祭りに駆け付ける子供たちの喚声だとしたらかなかなは祭りの後に花街に売られていく少女の故郷を偲ぶ泣き声だ。悲しいと口に出せずにただかなかなかな・・・と言っている。
 宇宙の果てまでもその鳴き声は木霊していく。晩夏の夕焼け雲に吸い込まれていく。晩夏というよりはもう秋なのだ。

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2006年8月25日(金曜日)     K君
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 卒業生から便りが来た。何十年ぶりであろうか。カラー写真の葉書である。一面の青田の前にK君が長靴で座っている風景である。文面には、「宮城県で農業に従事することに致しました」とのみある。かっての太っていた姿はない。颯爽としている。
 彼は野球部にいた。真夏に部員が問題を起こし練習を中止した。キャプテンらとどうするか話した。結果ただただグランドを走ることとなった。直射日光のもと延々と何十人かが走り続けるのである。K君はふらふらしだした。顔が真っ赤になっている。止めるように言ったがなかなか止めない。ついに無理矢理引っ張り出して走るのを止めさせた。思うに馬鹿なことをしたものだ。炎天下に走らせるなんて。
 その問題を起こしたY君はキャッチャーだった。あるときピッチャーの速球をミットを突き出してパシッと捕ろうとした。何と硬球がミットの上を掠めてY君の額を直撃した。見ていてあっと思った。一瞬の静寂ののちY君は何事もなかったように球を拾いピッチャーに投げ返した。ラグビーも恐いが硬式野球もおっかない。よくまああんな硬い球でやっているものだ。
 K君には早速電話した。一関にいるのだという。これからは自給自足の時代が来る、農業を選択したのは最高の判断だと告げた。またまた無責任なことを言ったような気もする。
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