日の丸・君が代訴訟(6)─予防訴訟
T・O記
2005年9月12日、国歌斉唱義務不存在確認等訴訟(予防訴訟)の口頭弁論がありました。この日も、多くの原告・支援者が傍聴に訪れ、傍聴席はすべて埋まりました。
(略)
お昼休みを挟み、午後も引き続いて二人の証人尋問が行われました。まず、蒲田高校の嘱託である福井祥さんが、都立高校の自治に関して、職員会議を中心に証言しました。
福井さんは、1967年に都立高校の教員となりました。当時の高校は活気に満ちており、その活力の源泉が職員会議だった、といいます。そして、その職員会議では、学校運営・学校行事・生徒指導等、学校教育全般にわたって熱心な議論が行われていたそうです。
都立高校の職員会議は、校長・教頭を含めた教職員の「協議・合意・意志決定の場」であって、学校によっては「最高決議機関」「意志決定機関」などと「校内規定」上明記されている学校もあり、それ以外の学校でも「審議する」との文言はほぼ全学校にあり、多くの学校で実質的な最高機関と位置づけられていたそうです。
職員会議と校長の関係についてですが、福井さんが言うには、通常、校長は、報告事項以外のことについてはほとんど発言せず、採決結果に対して疑義をさしはさむこともほとんどなかったそうです。しかし、1989年に、指導要領で「国旗・国歌を指導するものとする」とされてから、卒業式・入学式にかかわる「日の丸」掲揚については、掲揚しないという採決結果に対して、異議をさしはさむ校長も現れ、時には、掲揚を強行することもあったそうです。
さらに、1998年3月の「都立学校等あり方検討委員会」、いわゆる「あり方検」の報告をうけて、都教委が各校長に対し実施通達を出して以降、各校長による職員会議への介入は、さらに強まったといいます。この「あり方検」は、「職員会議の多数決による決定に、校長は事実上拘束されている」とし、それが大いに問題であるので、職員会議を校長の補助機関とすべきだ、としました。それに基づいて、都教委は、都学校管理規則を改定して、職員会議を校長の補助機関としました。それにより校長の介入が強まり、職員会議をしにくくなったため、管理職を除く教職員での会議を開催して対応をするなど、効率の悪い学校運営を強いられたそうです。
福井さんが勤めていた大崎高校では、2003年3月の卒業式、つまり10.23通達が出される前の、最後の卒業式では、生徒に「内心の自由」についての説明がなされ、卒業式当日は、不起立だった生徒も数多くいたそうです。しかし、10.23通達以後の卒業式では、壇上正面に「日の丸」が掲揚され、卒業生・教職員とも緊張を強いられ、異様な雰囲気となってしまい、卒業を祝い、卒業生の未来に思いを馳せる気持ちとは全くかけ離れた卒業式になってしまったそうです。
福井さんは、10.23通達以降、職員会議が形骸化し、議論や発言が減ってしまい、都立高校の自治が弱められた、と指摘します。しかし、現場の職員たちは、職員会議を自治の中心にしようと努力しているそうです。福井さんは、最後に、「あり方検」と10.23通達が、民主主義・教育・学校とは相容れないことを指摘して、証言を終えました。
(略)
一部を引用しましたが、この◆「法学館憲法研究所」のHPは、現在進行中の裁判の傍聴記録が充実しており、記録内容も詳細且つ正確で、とても参考になります。
T・O記
2005年9月12日、国歌斉唱義務不存在確認等訴訟(予防訴訟)の口頭弁論がありました。この日も、多くの原告・支援者が傍聴に訪れ、傍聴席はすべて埋まりました。
(略)
お昼休みを挟み、午後も引き続いて二人の証人尋問が行われました。まず、蒲田高校の嘱託である福井祥さんが、都立高校の自治に関して、職員会議を中心に証言しました。
福井さんは、1967年に都立高校の教員となりました。当時の高校は活気に満ちており、その活力の源泉が職員会議だった、といいます。そして、その職員会議では、学校運営・学校行事・生徒指導等、学校教育全般にわたって熱心な議論が行われていたそうです。
都立高校の職員会議は、校長・教頭を含めた教職員の「協議・合意・意志決定の場」であって、学校によっては「最高決議機関」「意志決定機関」などと「校内規定」上明記されている学校もあり、それ以外の学校でも「審議する」との文言はほぼ全学校にあり、多くの学校で実質的な最高機関と位置づけられていたそうです。
職員会議と校長の関係についてですが、福井さんが言うには、通常、校長は、報告事項以外のことについてはほとんど発言せず、採決結果に対して疑義をさしはさむこともほとんどなかったそうです。しかし、1989年に、指導要領で「国旗・国歌を指導するものとする」とされてから、卒業式・入学式にかかわる「日の丸」掲揚については、掲揚しないという採決結果に対して、異議をさしはさむ校長も現れ、時には、掲揚を強行することもあったそうです。
さらに、1998年3月の「都立学校等あり方検討委員会」、いわゆる「あり方検」の報告をうけて、都教委が各校長に対し実施通達を出して以降、各校長による職員会議への介入は、さらに強まったといいます。この「あり方検」は、「職員会議の多数決による決定に、校長は事実上拘束されている」とし、それが大いに問題であるので、職員会議を校長の補助機関とすべきだ、としました。それに基づいて、都教委は、都学校管理規則を改定して、職員会議を校長の補助機関としました。それにより校長の介入が強まり、職員会議をしにくくなったため、管理職を除く教職員での会議を開催して対応をするなど、効率の悪い学校運営を強いられたそうです。
福井さんが勤めていた大崎高校では、2003年3月の卒業式、つまり10.23通達が出される前の、最後の卒業式では、生徒に「内心の自由」についての説明がなされ、卒業式当日は、不起立だった生徒も数多くいたそうです。しかし、10.23通達以後の卒業式では、壇上正面に「日の丸」が掲揚され、卒業生・教職員とも緊張を強いられ、異様な雰囲気となってしまい、卒業を祝い、卒業生の未来に思いを馳せる気持ちとは全くかけ離れた卒業式になってしまったそうです。
福井さんは、10.23通達以降、職員会議が形骸化し、議論や発言が減ってしまい、都立高校の自治が弱められた、と指摘します。しかし、現場の職員たちは、職員会議を自治の中心にしようと努力しているそうです。福井さんは、最後に、「あり方検」と10.23通達が、民主主義・教育・学校とは相容れないことを指摘して、証言を終えました。
(略)
一部を引用しましたが、この◆「法学館憲法研究所」のHPは、現在進行中の裁判の傍聴記録が充実しており、記録内容も詳細且つ正確で、とても参考になります。
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