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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

大阪「教職員の評価・育成システム」に関するアンケート調査「府教委まとめ」のデタラメ(3)

2018年09月26日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ★ 過重労働のエンジンとしての評価・育成システム (新勤評制度はいらない!全国交流会ニュース)
― 私はこのアンケートに「過重労働の抑制」の観点が無いのが気になった。私の周囲では働く意欲の無い人は居ない。むしろ、働く意欲や責任感がありすぎて、過重労働になり、心身に不調を起こしたり、家庭をないがしろにする人が多い。
 多く残業をした結果、成果が出るのは当たり前である。無理な残業をしてまで結果を出すことが本当に求められているのか疑問である。
 ・・・「たくさん」頑張った人が素晴らしいという風潮はどこかで歯止めをかけないといけないと考える。・・・我々独身で20代の教員は、今なら要求される水準まで働くことができるものの、この忙しさのまま結婚し、子を育て、自分の人生をより豊かにしていくという未来のイメージが沸かないのである。・・・(高10~20代)
 ★ 自己を監視する労働
 自己申告票作成や面談が負担だという回答が多い。

 そのために割く時間だけならそれほどのことではないのではないか、と思われるかもしれないが、その背後には、それだけでさえも大きな負担になる現場の状況がある。
 2017年4月28日文科省「教員勤務実態調査(速報値)」によれば、中学教諭の約6割が週60時間以上勤務しており、過労死の目安とされる水準を超過している。もともとの仕事だけですでに限界に達している(あるいは超えている)のだ。
― 評価シートを作成する時間もとれないぐらい仕事が忙しいので、給料面より、仕事量や就業時間などについてもう少し改善策を考えてほしい。(小30代)
― こんなことをする時間があれば授業の準備がしたいし、学校で起きた問題を解決したいし、学年で話し合いたい。毎回、夜の9時、10時になって育成シート書く先生もいっぱいいます。土、日に出勤して書いている先生もいます。こんな状況でいいのでしょうか?評価育成だけが悪いわけではありませんが、このシステムが教員の時間を奪っていることは確実だと思います。(中30代)
― 本システムは、確かに育成者と被育成者が「話す機会」とはなるが、その「機会」を勤務時間内に持つことが難しい多忙な現場実態では、多忙感に拍車をかけることとなる。(小校長)
 特に、この「(被)評価のための仕事=自己監視の労働」は、「本来の仕事」とは異質な、付加されたものであり、それは、「本来の仕事」よりもずっと多くの負担を与え、単に事務作業の時間というにとどまらないストレスを引き起こす。
― ・・・本来の業務とは別のところで余計な負荷を与えられているように感じます。(中10~20代)
― 教員の業務が多忙になる中、書類の作成や面談に大きな負担感を覚える。書類作成の巧拙が、評価に直接反映され、意味のない業務へのストレスを感じている。(高50代)
― 純粋に子ども達のことに関わること以タト、これ以上仕事が増えないで欲しい、というのが希望である。(支10~20代)
 ★ 「自発的」な過重労働
 評価制(給与反映)のために、「評価を上げたい・下げたくない」という意識が働き、職員は、長時間勤務、過重労働を「自発的」に行わざるを得ない状態に追いやられる。
― 当たり前のことをしててもダメで、それ以上求められている。成果で評価が上がるなら、身体を酷使して、働く事で給料が上がるのか?だんだん、エスカレートしていくのではと心配もある。私たちでは働きやすい職場で生徒にとって勉強の環境が整えられる学校ではダメなのか?(高40代)
― よい評価を得るためには定数減に苦しんでいる門真市では減った人数での業務の煩雑化が大きい問題であるのにもっと超勤をして働けといわれているようで、頑張る以外すべがなく、しんどいです。それがわかってもらえているのかどうかが疑問です。(小50代)
― 常に評価を気にしてしまい精神的負担である。(小10~20代)
 人件費の全体枠を増やすことなく、その内部で評価によって差を付けることにより、「自発的に」より多くの労働をさせようというのが「評価・育成システム」の設計だ。
 「システム」は不払い労働を拡大する
 ― ・・・それは、敢えて定時までに業務が終わらないようにしているのと同義であり、教員へのボランティアの強要とも受け取れる。本来は発生すべきである人件費の搾取でしかない。労働者のモデルであるべき公務員がブラックだと囁かれる所以がここにあると思う。・・・結果の出ないようなシステムの構築をして、職員に追い討ちをかけるような取り組みを推進することにつながるのであれば、今後は無くしたいシステムである。(支30代)
― どの教職員も時間外労働までして、子どものたあにと頑張っているのに、それをサポートしうるシステムとは到底思えない。心身を病んでも、結局その人のせいになる風潮があるが、働き方(働かせ方が)が間違っているのだと思う。もっと現場の声に耳を傾けてほしい。(小10~20代)
 職員のなかには、評価をポジティブに受け止め、「意欲を持って」超過労働に取り組む方もいよう。
 しかし、自己抑制装置(「しんどいからやめとこ」)が取り外されたときには、更に悲惨な結果になりかねない。
 ★ 新たな種類の業務

 労働者のパフォーマンスを査定し、また本質的に数量化に対して抵抗性を持つ労働様式を測定しようとする欲求によって、マネージメントと官僚主義のさらなる重層化が否応なく必要とされてきた。そこでは、労働者間のパフォーマンスやその成果が直接的に比較されるのではなく、むしろ、監査された(audited)パフォーマンスやその成果の表象が比較されるのだ。・・・実際の仕事の内容は、仕事の公式の目標の達成ではなく、それらしき表象を生み出しそして操作していくことに変容する。(Mark Fisher“Capitalist Realism”)
 評価制に連動して、主としてPR的な性格を持った新たな種類の業務が導入され、その方向に労働をシフトさせる。
― 管理職や首席の先生方がこのシステムで毎年計画を立てそれを実現して評価をもらうために、新しい行事の立ち上げやプロジェクトの新設奪ど、必ずしも要るとは思えない「校内改革」を毎年矢継ぎ早に計画し、校内の反対を押し切って拙速に実行するという弊害も見えます。いわゆる「改革のための改革」というもので、バランスが取れて順調な現場に混乱を招いたことも、過去数年間で何度もあったように思えます。(高40代)
― 評価育成システムは個々の評価に重点を置きすぎており、評価のためのスタンドプレーも多く結果的に学校全体の疲弊を生んでいるように感じられる。評価ありきでどんどんと目新しいことを増やして、取捨選択をせずに職務を増大させるなど愚の骨頂である。(高40代)
― 管理職は評価を得んがために「○○メソド」とか「○○方式」と銘打って、カリスマ校長たらんとする輩が多すぎる。評価されてもされなくても、地道に学校や児:童あるいは教職員のために地道に汗水たらしていた以前の管理職が懐かしい。それは一般教員も同じこと。「私はこんなに素晴らしい計画でこんなに成果をあげました」といきまくプレゼン好きが増えてきた。企業的な「評価」をすることによって、教師本来のまじめで地味な努力が打ち捨てられるようになった。(小50代)
 「評価システム」は、在来業務を限界を超えて過乗化させ、そのうえに「自己監視の労働」と「PRのための業務」を添加する。加重労働のエンジン(駆動装置)としての機能を果たしているのである。
 ※ <新勤評制はいらない!全国交流会ウェブサイト>
http://www7b.biglobe.ne.jp/~kinpyo-saiban/
 府教委に対する公開質問書(9月5日付)だけでなく、府教委の「まとめ」、昨年実施のアンケート本文、結果と全教職員、校長・教育長の回答、自由記述を見ることができます。
『新勤評制度はいらない!全国交流会ニュース 第16号』(2018.9.14)

 (完)

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