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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

大阪「君が代」不起立戒告処分撤回共同訴訟、最高裁要請行動報告(10)

2019年10月25日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 最高裁判所第三小法廷裁判官の皆様
2019年10月11日
河原井さん・根津さんらの「君が代」解雇をさせない会
連絡先:国分寺市内藤2-37-4-101多摩島嶼教職員組合

◎ 戒告処分取消等請求上告及び上告受理申立事件に関する要請書

 上告人7人の原審判決は同種裁判の判例に沿って、「君が代」の起立斉唱は「慣例上の儀礼的所作」でありこれを求めたとしても思想良心の自由を直ちには制約しない、また、「日の丸」や『君が代』に否定的な評価を持つ者にとっては、起立を求める職務命令はこれらの者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となるとしたうえで、職務命令は違憲違法ではなく、戒告は適法であるとした。
 上告人らの起立拒否はいわゆる非行・非違行為とは次元を異にするにもかかわらず、それを単なる「職務命令→拒否」の図式に落とし込むことで、国家権力の政治的意図を見えなくさせ、審理では、上告人らの起立拒否行為がどのような気持から行われたのかを解明しなかった。
 したがって、公平・公正・慎重な審理が尽くされたとは、到底言い難い。

 ここで、①「君が代」の起立斉唱は「慣例上の儀礼的所作」だとすることについて、②思想及び良心の自由についての間接的な制約だとすることについての誤りを指摘する。
 ①「君が代」の起立斉唱は「慣例上の儀礼的所作」だとすることについて

 国家権力(大阪府教委)が強制力を背景に起立斉唱を実施するときに、これを「儀礼」と評するのは不可能である。
 そもそも、もしそれが本当に儀礼なのであれば、強制力は不要のはずである。強制力を用いなければならないところに、政治性が露見する。国家権力が学校教育において国旗や国歌をかつぎだすのは、国民を「統合」するという政治目的からにほかならない。
 そして、「日の丸」「君が代」に対する「敬意の表明」を国家権力が強制するときに、「統合」と切り離された意味での「敬意」などというものは観念しえない。国家権力がそこで求めるものは、「敬意」を表するという態度以外の何物でもないのである。
 原判決は「教員らが国旗及び国歌として定められたものを尊重する態度を示すことにより、児童生徒らにも同様の態度が涵養される」とも判じた。「涵養」とは、教育勅語で使われた言葉である。教育の場で子どもたちから考える力を奪い、態度を「涵養」=刷り込むことはあってはならないことである。
 ② 思想及び良心の自由についての間接的な制約だとすることについて

 大阪府職員基本条例は、「同一の職務命令違反3回で免職」と明記する。ということは、不起立1回による戒告処分は免職へ1/3向かった、不起立2回による戒告処分は、次は免職と胸中穏やかでいられるはずがない。上告人たちはそうした地点に立たされたのである。これを「間接的な制約」と言って済ますことができようか。
 たとえ、大阪府教委が免職を目的としなくとも、それはまさしく、思想及び良心の自由についての直接的制約となる。
 東京高裁の須藤典明裁判長(当時)が「ついには免職処分を受けることにならざるを得ない事態に至って、…自らの思想や心情を捨てるか、それとも教職員としての身分を捨てるかの二者択一の選択を迫られることとなり、そのような事態は、…思想及び良心の自由に対する実質的な侵害につながる」(東京高裁14民事部2015年5月28日判決言い渡し)と判じ、最高裁第三小法廷はこれを決定した(2016年5月31日)。
 上告人らの戒告処分は、須藤判決が言うように、「実質的な侵害につながる」=直接的侵害なのである。
 なお、上告人のなかには、2017年に60歳定年となり再雇用を希望していたにもかかわらず、それを拒否された者もいる。60歳になっても年金は支給されない世代なのに、である。これについても、間接的侵害とどうしていえようか。
 ところで、「君が代」ピアノ伴奏事件最高裁判決(2007年2月27日)で藤田宙靖裁判官は次のように意見した。
 「本件における真の問題は、…『歴史観ないし世界観』の有無についての告白を強要することになるかどうかというところにあるのではなく…、ピアノ伴奏をすることは、自らの信条に照らし上告人にとって極めて苦痛なことであり、それにもかかわらずそれを強制することが許されるかどうかという点にこそあるように思われる。そうであるとすると、本件において問題とされるべき上告人の『思想及び良心』としては、このように「『君が代』が果たしてきた役割に対する否定的評価という歴史観ないし世界観』それ自体」もさることながら、それに加えて更に、「『君が代』の斉唱をめぐり、学校の入学式のような公的儀式の場で、公的機関が参加にその意思に反してでも一律に行動すべく強制することに対する否定的評価(したがってまた、このような行動に自分は参加しては成らないという信念ないし信条)」といった側面が含まれている可能性があるのであり、また、後者の側面こそが、本件では重要なのではなのではないかと考える。」(下線は筆者)
 藤田意見が指摘するように、まずは、公的機関が、しかも、「公正な判断力」(学校教育法中学校)、「健全な批判力」(同高校)を育てるべき学校が「一律に行動すべく強制する」ことの是非について、慎重に審査していただきたい。
 教員が職務命令に従ってしまえば、児童生徒はそれを刷り込まされるのであるから。そのうえで、上告人らの不起立行為について公平・公正・慎重に審理していただきたい。
以上


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