《4・20全国集会資料から》 Tネット通信 号外 2014年4月20日
◆ 「君が代」不起立減給処分取消訴訟 第1回口頭弁論終わる
本年1月20日に提訴しました大阪「君が代」不起立辻谷減給処分取消訴訟第1回口頭弁論が、さる4月14日、大阪地方裁判所809号法廷で開催されました。
多くの方々に支援に駆けつけていただき本当にありがとうございました。法廷は40名しか傍聴できず、約30名に方々には法廷の外でお待ちいただくことになり申し訳ありませんでした。
法廷では、原告(辻谷博子)が冒頭陳述を行いました。(裏面参照)
始まったばかり本裁判には多くの期待と課題が寄せられています。
第1点は、これまでの「君が代」裁判を継承し、司法がいまだ理解を示さず捨て置かれたままになっている公教育の本質の理解を得ることです。
教育とはなにかを考えれば、命令で「君が代」起立斉唱を強制することはできず、一切の処分は無効であるはずです。司法が慣例上の儀礼的所作ゆえ許されるとした「君が代」起立斉唱職務命令を反転し、慣例上の儀礼的所作ゆえ参列者を思考停止に陥れ、「君が代」の身体への刷り込みが教育においてはいかに危険であるかを認定させることです。
第2点は、本裁判の労働裁判としての性格です。
職員基本条例は、実質的に3度の不起立で免職を可能とする規定が含まれています。教育労働者からそのような形で労働を奪う権限を、いかに任命権者とはいえ、地方公共団体が有しているのかという点です。
第3点は、これは大阪「君が代」訴訟の特質とも言えますが、「君が代」条例は、教職員に起立斉唱を義務づけることにより府民とりわけ子どもの愛国心の高揚に資することを目的と規定しています。つまり、愛国心教育のために「君が代」起立斉唱を行えと言っているのも同じです。ここでは思想教育の是非が問われなければなりません。
これら3点を憲法を通して訴えていくことが本裁判の改題とも言えます。それこそが、憲法に規定されている、我々自身が憲法を守る責任をはたすことになると考えています。
~みなさまへのお願い~
教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク(Tネット)の会員になって、裁判闘争を支援してください。よろしくお願いします。
※ 郵便振込:0950-6-209660 Tネット(年会費¥1000)
第2回口頭弁論を支援・傍聴してください。
◆2014年6月9日(月)午後1時10分
◆大阪地裁809号法廷
裁判官をはじめみなさまへ、
私がなぜ、「君が代」条例を憲法違反と訴えるのか、冒頭にあたり、そのことについて述べさせてください。
私の両親は、中国からの引揚者です。小さい頃から戦争中の話をよく聞かされました。
特に印象に残っているのは、母が戦地にいる兄に「どうかお国のために死んでください」と手紙を書いた話です。母は、天皇陛下のために死ぬことはあたりまえと思っていたそうです。教育っていうのは恐ろしいものだよ、と私は何度も聞かされました。
初めて「憲法」を教わったのは小学6年生の時でした。前文を暗唱しながらとても誇らしげな気持ちになりました。戦争を体験された先生の、「憲法」に寄せる情熱が、そのまま伝わって来ました。
さて、大阪府立高校の教員となり、人権教育を通して、憲法を教える立場になりました。いや「教える」というよりは、人権を守るために憲法があることを、生徒とともに確認する作業であったように思います。
1985年頃から、「日の丸」「君が代」を卒業式や入学式で行うことについて毎年議論をするようになりました。世の中全体では、「日の丸」「君が代」問題は、さほど顧みられなかったのですが、こと教育の場である学校で、私たちは、真剣な議論を積み重ねて来ました。1999年国旗国歌法が成立しましたが、「君が代」起立斉唱が命令されることはありませんでした。
ところが、2004年、四條畷高校において、担任する生徒が「なぜ、卒業式で『君が代』を歌わなければならないのか。嫌なら歌わなくてよいのか」と校長に質問をした際、私は彼女をサポートしたことにより、教員評価で「C」評価をくだされました。
大阪弁護士会に人権救済の申立をし、結果、弁護士会は教育委員会と校長に対し、評価は憲法19条に違反する人権侵害であるゆえ撤回するよう勧告しました。
しかし、教育委員会は従いませんでした。当時2年生の担任だった私は、異動させられ、以後、二度と担任は持たせてもらえませんでした。枚方なぎさ高校で、担任することが教科会議で決定していましたが、できませんでした。私は入学する7期生を前に憲法の話をし、残された3年間を人権教育に力を入れようと考えました。
2011年、「君が代」条例が、府議会において賛成59反対48で成立しました。そして翌年には、三度の不起立で免職と定める職員基本条例が施行されました。
30年近くにわたって、生徒や同僚、教育委員会と話し合ってきたことがすべて反故にされ、条例によって「君が代」起立斉唱が強制され、従わなければ免職になる―そんなことが許されるなら、話し合いなど一切必要がないことになってしまいます。
2012年、すべての教職員に職務命令が出、起立すると宣言しない教員は、入学式や卒業式から締め出されました。
2013年、私にとって最後の卒業式、私は卒業式を見届けなければならないと考えました。しかし、校長は認めませんでした。その時、私が選ぶことのできた道は二つ、一つは、卒業式を諦めること。もう一つは、それでも卒業式を見届けること。
私は卒業式に参列しました。「なぎさで学んだ3年間、何一つ無駄なことはなかった」という卒業生の言葉を聞いたとき、私は、諦めなくて本当によかったと思いました。「君が代」が嫌なら卒業式に出なければいいという声もあります。しかし、そもそも「君が代」条例がおかしいのです。それに目をつぶり、命令だからと言って従うことはできません。
裁判長、お願いします。全国で唯一、教職員に「君が代」起立斉唱を強制し、免職まで規定する大阪府条例は、民主主義国日本の最高法規「日本国憲法」に違反します。どうか、正しきご裁決を期待します。
Tネット通信 号外 2014年4月20日
教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク
◆ 「君が代」不起立減給処分取消訴訟 第1回口頭弁論終わる
本年1月20日に提訴しました大阪「君が代」不起立辻谷減給処分取消訴訟第1回口頭弁論が、さる4月14日、大阪地方裁判所809号法廷で開催されました。
多くの方々に支援に駆けつけていただき本当にありがとうございました。法廷は40名しか傍聴できず、約30名に方々には法廷の外でお待ちいただくことになり申し訳ありませんでした。
法廷では、原告(辻谷博子)が冒頭陳述を行いました。(裏面参照)
始まったばかり本裁判には多くの期待と課題が寄せられています。
第1点は、これまでの「君が代」裁判を継承し、司法がいまだ理解を示さず捨て置かれたままになっている公教育の本質の理解を得ることです。
教育とはなにかを考えれば、命令で「君が代」起立斉唱を強制することはできず、一切の処分は無効であるはずです。司法が慣例上の儀礼的所作ゆえ許されるとした「君が代」起立斉唱職務命令を反転し、慣例上の儀礼的所作ゆえ参列者を思考停止に陥れ、「君が代」の身体への刷り込みが教育においてはいかに危険であるかを認定させることです。
第2点は、本裁判の労働裁判としての性格です。
職員基本条例は、実質的に3度の不起立で免職を可能とする規定が含まれています。教育労働者からそのような形で労働を奪う権限を、いかに任命権者とはいえ、地方公共団体が有しているのかという点です。
第3点は、これは大阪「君が代」訴訟の特質とも言えますが、「君が代」条例は、教職員に起立斉唱を義務づけることにより府民とりわけ子どもの愛国心の高揚に資することを目的と規定しています。つまり、愛国心教育のために「君が代」起立斉唱を行えと言っているのも同じです。ここでは思想教育の是非が問われなければなりません。
これら3点を憲法を通して訴えていくことが本裁判の改題とも言えます。それこそが、憲法に規定されている、我々自身が憲法を守る責任をはたすことになると考えています。
~みなさまへのお願い~
教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク(Tネット)の会員になって、裁判闘争を支援してください。よろしくお願いします。
※ 郵便振込:0950-6-209660 Tネット(年会費¥1000)
第2回口頭弁論を支援・傍聴してください。
◆2014年6月9日(月)午後1時10分
◆大阪地裁809号法廷
◎ 陳 述 書
裁判官をはじめみなさまへ、
私がなぜ、「君が代」条例を憲法違反と訴えるのか、冒頭にあたり、そのことについて述べさせてください。
私の両親は、中国からの引揚者です。小さい頃から戦争中の話をよく聞かされました。
特に印象に残っているのは、母が戦地にいる兄に「どうかお国のために死んでください」と手紙を書いた話です。母は、天皇陛下のために死ぬことはあたりまえと思っていたそうです。教育っていうのは恐ろしいものだよ、と私は何度も聞かされました。
初めて「憲法」を教わったのは小学6年生の時でした。前文を暗唱しながらとても誇らしげな気持ちになりました。戦争を体験された先生の、「憲法」に寄せる情熱が、そのまま伝わって来ました。
さて、大阪府立高校の教員となり、人権教育を通して、憲法を教える立場になりました。いや「教える」というよりは、人権を守るために憲法があることを、生徒とともに確認する作業であったように思います。
1985年頃から、「日の丸」「君が代」を卒業式や入学式で行うことについて毎年議論をするようになりました。世の中全体では、「日の丸」「君が代」問題は、さほど顧みられなかったのですが、こと教育の場である学校で、私たちは、真剣な議論を積み重ねて来ました。1999年国旗国歌法が成立しましたが、「君が代」起立斉唱が命令されることはありませんでした。
ところが、2004年、四條畷高校において、担任する生徒が「なぜ、卒業式で『君が代』を歌わなければならないのか。嫌なら歌わなくてよいのか」と校長に質問をした際、私は彼女をサポートしたことにより、教員評価で「C」評価をくだされました。
大阪弁護士会に人権救済の申立をし、結果、弁護士会は教育委員会と校長に対し、評価は憲法19条に違反する人権侵害であるゆえ撤回するよう勧告しました。
しかし、教育委員会は従いませんでした。当時2年生の担任だった私は、異動させられ、以後、二度と担任は持たせてもらえませんでした。枚方なぎさ高校で、担任することが教科会議で決定していましたが、できませんでした。私は入学する7期生を前に憲法の話をし、残された3年間を人権教育に力を入れようと考えました。
2011年、「君が代」条例が、府議会において賛成59反対48で成立しました。そして翌年には、三度の不起立で免職と定める職員基本条例が施行されました。
30年近くにわたって、生徒や同僚、教育委員会と話し合ってきたことがすべて反故にされ、条例によって「君が代」起立斉唱が強制され、従わなければ免職になる―そんなことが許されるなら、話し合いなど一切必要がないことになってしまいます。
2012年、すべての教職員に職務命令が出、起立すると宣言しない教員は、入学式や卒業式から締め出されました。
2013年、私にとって最後の卒業式、私は卒業式を見届けなければならないと考えました。しかし、校長は認めませんでした。その時、私が選ぶことのできた道は二つ、一つは、卒業式を諦めること。もう一つは、それでも卒業式を見届けること。
私は卒業式に参列しました。「なぎさで学んだ3年間、何一つ無駄なことはなかった」という卒業生の言葉を聞いたとき、私は、諦めなくて本当によかったと思いました。「君が代」が嫌なら卒業式に出なければいいという声もあります。しかし、そもそも「君が代」条例がおかしいのです。それに目をつぶり、命令だからと言って従うことはできません。
裁判長、お願いします。全国で唯一、教職員に「君が代」起立斉唱を強制し、免職まで規定する大阪府条例は、民主主義国日本の最高法規「日本国憲法」に違反します。どうか、正しきご裁決を期待します。
Tネット通信 号外 2014年4月20日
教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク
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