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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

かわむらひさこの憲法手帳雑記

2007年03月03日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 かわむらひさこの憲法手帳雑記

◆3月1日(木)


 月のはじめに、今月の板橋での超大事な集会予定のみお知らせいたします。

■3月18日(日)午後1時半~ 藤田先生の控訴審勝利にむけて 板橋文化会館4階
■3月31日(土)午後2時~  「日の丸・君が代」強制に反対 映画と講演 板橋のつどい2007 板橋文化会館4階
                ☆「君が代不起立」 ビデオプレス製作
                ☆講演 「日の丸・君が代」強制をどうしたら阻止できるか
                    講師 大森直樹先生(東京学芸大)
■同上 午後6時~ かわむらひさこの春一番コンサート 会場も上記と同じ


 春の「新社会号外」をつくらなくては。相変わらずの毎日です。そうそう常盤台の交番の巡査さんの殉死では、連日新聞で報道されているような事態になっています。交番前に記念碑(銅像らしい)を建てたいと町会有志のご発案だそうです。地元人の願いは、どのような事情にせよ、人命が大事。警官も、彼が救おうとした精神を病む人もです。今日も、どこかのプレスでしょうか、踏み切り脇から撮影をしていましたが、この職務のためにみずからの命を投げ出した巡査のその行為を褒め称えるだけでは、このような気の毒な事故の再発は防げません。何度もいうようですが、鉄道事故、特に人身事故では、特に運転手さんもおおきなトラウマが残るといいます。そうしたことと銅像を建てることの間に、なにかこう脈絡のなさを感じています。モニュメントを建てるなら、踏切脇に見張り番をおいて欲しいものです。それにしても「日本人の誇り」とまで言われると、一般の人の何か事故に遭遇したときの身の処し方にまで影響が出るのではないでしょうか。

 普段はあまり思い出さないことですが、今日3・1という日は南北朝鮮では特別な日です。

 「抗日独立運動記念日」です。巷間知られているように1919年3月1日、「万歳(マンセイ)!」を叫んで30万を超える民衆がデモをし、その多くが日本軍(朝鮮総督府)によって即刻捕らえられ無残に処刑されたのですが、その発端は1月に李太王が急死したことが毒殺ではないかという疑惑をもたれたからです。それは日韓「併合」(1910)の3年前、ハーグの万国平和会議に密使を送って日本の支配の悪辣さを訴えて退位させられた国王だったからです。「併合」で立法や行政、土地、そして人民の命をと、すべてを収奪させられてきた民衆の鬱積した怒りが爆発したのです。
 さらに、4年後、1923年に日本で関東大震災の折に起こった流言蜚語「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」というのは、当時の日本人の意識の底に、「併合」下の朝鮮の状況を知るが故に、朝鮮人の報復を恐れる気持ちがあったからだと言われています。でも、それで、すぐ隣に住んでいる朝鮮人を「殺す」というところまで駆り立てられる心理、(群集心理)と言っていますが、とうてい理解できるものではありません。しかも大震災という極限状況でです。逆に言えば、そのような極限の状況にあってさえ、当時の日本が極めて冷酷に冷静に口実を見つけては朝鮮人を排除してきたのだと思えてなりません。

 なぜ、こんなことを書いているかと言いますと、この「3・1」の集会で朝鮮総連が日比谷公園の使用申請を出していたところ申請却下になったことで裁判所では却下取消しの判断が出たのですが、東京都が抗告するという。その理由は「反対する(右翼)人たちの存在」です。まったく石原都知事の無恥ぶりにはあきれて言葉もない。3・1、さらにさかのぼれば日韓「併合」からの「日帝36年」の歴史にこそ、現在の「拉致問題」の解決ができない大きな理由があるのだと思います。

 今月はHPの更新もままなりません。2月でよくわかりました。でも、ときどきおいでください。

★『かわむらひさこのHP』★
http://www.sinsyakaibunka.com/

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