【談話】2014年度中学校教科書の検定について
◎ 政府の見解を一方的に教科書に強制する検定制度は廃止すべきである
文部科学省は、2015年4月6日、14年度中学校教科書の検定について公開した。この教科書は、2008年3月に改訂告示された学習指導要領にもとづく教科書の2回目の検定である。今回の検定には、社会科歴史分野で新たに「学び舎」が検定を申請した。学び舎は、現場の教員などが中心になって組織した「子どもと学ぶ歴史教科書の会」が設立した出版社である。
今回の検定は、2014年1月に政府見解に基づいて書くなど3点にわたって改悪された検定基準、同年3月に改悪された検定審査要項(検定審議会内規)によって行われた。この制度改悪が、今回の申請図書や検定結果にも大きな影響をもたらしている。
今回の検定では自由社と学び舎の歴史の申請図書が最初の審査で不合格となり、指摘された欠陥箇所などを修正して再提出して合格した。
なお、自由社は公民教科書の検定申請を行わず、現行本を見本本として採択に臨むとしている。今回合格した教科書は前述のように改定された検定制度の下で行われ、自由社の公民教科書は旧検定制度による検定合格本であり、新制度の検定を受けていないので、それを見本にはできないという疑義があるが、文科省は「問題ない」としているということである。
以下、社会科教科書に限定して今回の検定についての問題点を指摘する。
1.新検定基準にもとづき政府見解を教科書に強要する検定
(1)「学び舎」版に対する不合格理由とされた「欠陥箇所」の一つに「慰安婦」問題に関する記述がある。
「欠陥」と指摘された記述は「朝鮮・台湾の若い女性たちのなかには、『慰安婦』として戦地に送りこまれた人たちがいた。女性たちは、日本軍とともに移動させられて、自分の意思で行動できなかった」という237ページの記述と、279ページの「日本政府も『慰安所』の設置と運営に軍が関与していたことを認め、お詫びと反省の意を表し」たこと、政府は「賠償は国家間で解決済みで」「個人への補償は行わない」としていること、そのため「女性のためのアジア平和国民基金」を発足させたこと、この問題は「国連の人権委員会やアメリカ議会などでも取り上げられ、戦争中の女性への暴力の責任が問われるようになって」いることなどの客観的事実を述べた記述である。
その「指摘事由」は「政府の統一的な見解に基づいた記述がされていない」ということであり、文科省の説明によれば、ここでいう「政府の統一的な見解」とは、「河野談話」発表までに政府が発見した資料の中には「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」とする辻元清美議員への答弁書(平成19年3月16日閣議決定)と、クマラスワミ報告書について「重大な懸念を示す観点から留保を付す旨表明している」とする片山さつき議員への答弁書(平成24年9月11日閣議決定)であるという。
この「欠陥箇所」指摘の結果、不合格後に再提出された「学び舎」版では、資料として掲載された「河野談話」中の用語を除き「慰安婦」の用語はすべて削除された。
しかし、ここで「指摘事由」とされた政府見解については、専門研究者や「河野談話」の直接の関係者などから数多くの異論が提出されている。すなわち、「河野談話」自体が残された公式文書によるだけでなく被害者からの聞き取りなどを総合して強制性を認めたものであること、「河野談話」発表時においても、その後発見された資料等によっても文字通りの強制連行の事例やだまして連行した事例が数多くみられること、日本軍「慰安婦」の強制性の問題は連行時における強制だけが問題なのではなく、「慰安所」に収容された後の移動や逃亡の自由が奪われたもとでの性暴力の強制こそが問題であること、などである。
これらの異論をまったく無視して、政府見解のみが唯一の正しい結論であるとして、政府見解のみを教科書に書かせ、それのみを子どもたちに教え込もうとすることは、民主主義社会ではあり得ない暴挙であり、愚行である。
そもそも歴史的事実の認定は歴史研究者の研究と議論を通して確定されてゆくべきものであり、歴史の専門的研究を行う立場ではなく一定の政治的主張をもって政治活動を行う政治権力者が、たとえば「慰安婦」に関する歴史的事実を決定すること、かつそれを子どもたちに教えることを強制するなどということは、考えられない非常識な行為であり、重大問題である。
2013年第68回国連総会において,歴史教科書に特に焦点を定めて出された報告(A/68/296)の中でも、歴史教科書の内容は歴史研究者の選択に任されるべきで政治家が介入すべきではないとしているが、これが国際社会の常識である。
このようなことを押し通し、検定によって「慰安婦」記述が削除されたことが明らかになれば、国際社会からも激しい批判をあびることは必定である。このような検定行為はただちに撤回すべきである。
また、昨年の検定基準の改定で政府見解にもとづいて記述することを求める一項を設けたことがこのような結果をもたらしたのであるから、昨年新設したこの検定基準は直ちに廃止すべきである。
(2)政府見解を押し付ける教科書づくりは、領土問題でも顕著である。
これに関しては、検定以前に、昨年1月に行われた社会科の「学習指導要領解説」の改訂による出版社側の自主規制が大きく働いている。歴史教科書は現行本では1社のみが領土問題を扱っていたが、2016年度用ではほぼ全社が取り上げ、2ページの大型コラムを設けたのが3社あり、その他にも小コラムで扱うなどしている。
地理や公民では領土問題の記述を軒並み増やし、政府見解通りに、北方領土・竹島・尖閣諸島は「日本の固有の領土」、北方領土はロシアが、竹島は韓国が「不法に占拠」と横並びに書き、尖閣諸島には領有権問題は存在しないと政府見解を丸写ししている。そのなかで韓国や中国の主張にもふれたものはない。
なお、領土問題について、育鵬社は歴史で「竹島は、遅くとも17世紀半ばには江戸幕府によって完全に治められていました。」と書いたが、検定意見で「竹島は、遅くとも17世紀半ばには我が国の領有権が確立していたと考えられます。」に修正した。
ところが清水書院の歴史の「竹島については江戸時代中期から日本が領有権を確立していた」という記述が検定意見で「竹島については、江戸時代からその存在が知られていた」と修正している。きわめて矛盾したご都合主義・恣意的な検定である。
政府が政治問題・外交問題で一定の見解をもつのは当然としても、政府の決定には誤りがある可能性が常に存在する。民主主義社会の主権者たる国民は、政府とは異なる見解をも学びながら自主的判断力を備えていくことが求められる。
憲法26条1項ないし教育基本法16条(「不当な支配」の禁止)に違反しないためには、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような内容を含まないこと、一方的な観念や見解を教え込むように強制するものではないこと等の条件を満たす必要がある(旭川学力テスト事件最高裁大法廷判決)。政府見解を一方的に教科書に書き込ませるのは子どもの学習権に対する重大な侵害になる恐れが強く、子どもの権利条約にも違反するといえる。その意味で、政府見解のみを教科書に書かせる愚挙は直ちにとりやめ、(1)でも述べたように関係する検定基準は直ちに廃止すべきである。
2.「通説」にかかわる新検定基準にもとづく検定
通説がないときは通説がない旨を明記せよとの新設された検定基準が文字通り適用されたのが、清水書院の関東大震災における朝鮮人虐殺事件についての記述である。
「警察・軍隊・自警団によって殺害された朝鮮人は数千人にものぼった」との現行本記述をそのまま検定提出したのに対して、通説的な見解がないことが明示されていないとの検定意見が付され、「自警団によって殺害された朝鮮人について当時の司法省は230名あまりと発表した。軍隊や警察によって殺害されたものや司法省の報告に記載のない地域の虐殺を含めるとその数は数千人になるともいわれるが、人数については通説はない。」との必要以上に詳細な記述に変更された。
著者・出版社がこのような検定に抵抗しようとすれば、バランスを欠くほどに詳細な記述にせざるをえなくなる。教科書の記述は歴史研究のおよその到達点を簡潔に記述すれば足りるのであって、歴史資料が必ずしも完全な形で残存しているわけではないことを利用してことさらに戦争の被害や加害の事実を小さく見せようとする意図的・政治的なねらいのために、教科書記述を不必要に歪めることがあってはならない。このような検定意見を生み出す検定基準改定も撤回廃止すべきである。
3.「正確性」を重視するという理由で歴史をわい曲する検定
文科省は、今回の検定はこれまで以上に正確性を重視したと説明している。その一例がアイヌについての次の検定で、申請図書の「政府は、1899年に北海道旧土人保護法(「保護法」)を制定し、狩猟採集中心のアイヌの人々の土地を取り上げて、農業を営むようにすすめました。」という記述に「生徒が誤解する恐れのある表現」という前回検定(2010年度)合格の現行本と同じ記述に、検定意見をつけて「政府は、1899年に北海道旧土人保護法(「保護法」)を制定し、狩猟や漁労中心のアイヌの人々に土地をあたえて、農業中心の生活に変えようとしました。」と修正させた。
文科省は、「旧土人保護法」の文言は「土地を与える」となっていることを検定基準の理由にしている。しかし、「旧土人保護法」制定当時、アイヌの土地を取り上げたということは、歴史研究では通説となっているものであり(他社教科書では「土地を奪われた」などが検定合格している)、「土地を与えた」というのは明白な歴史のわい曲である。
1997年に制定された「アイヌ文化振興法」によって「旧土人保護法」の内容は否定されているし、これは、2007年の国連総会で採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」(日本の衆参両院でこの内容が決議された)にも反するものである。「正確性」を理由に歴史の事実をゆがめ、逆に不正確にして歴史わい曲の検定である。
4.教科書を政権の道具にすることは許されない
以上に例示したように、今回の検定では昨年度の検定基準改定と「学習指導要領解説」の改訂が、検定の在り方に大きな歪みをもたらしていることが明らかになった。
従来の検定に対しても私たちは「書かせる検定」だと批判してきたが、今回の検定基準改定によって「政府見解」という新たな明確な基準に基づいて書かせる検定という性格があらわになり、歴史でさえ政府見解に基づいて書かせるという驚くべき段階に達したといわなければならない。それは安倍右翼政権がめざす「戦争する国」づくり、「大企業が最も利益を上げる国」づくりのために教育・教科書を最大限に利用しようとしていることを示している。
5.侵略戦争と植民地支配を美化する育鵬社版・自由社版の本質
育鵬社版・自由社版については、それぞれの編集発行の母体が、侵略戦争と植民地支配のさらなる美化をねらったと思われるが、国内外の批判的世論の前で内容の枠組みを戦争美化の方向へ大きく変えるまでにはいたらず、検定意見による修正も含め基本的には現行版の枠組みを維持している。
そのことは同時に、育鵬社版・自由社版が、神話と神武天皇の扱いにおける歴史歪曲、近代日本が行った侵略戦争と植民地支配の美化、韓国併合の美化、天皇制賛美、日本国憲法の敵視と歪曲等々の点で、これまでと本質的に全く変わらないことを示している。
育鵬社版公民教科書は現行版同様に「江戸しぐさ」を全く同じ内容で載せている。この「江戸しぐさ」は70年代に考案されたもので江戸時代には存在しなかったことが明らかになっている。明らかな歴史の偽造であり、それをそのまま載せたのに対して、何らの検定意見もつけないで合格させた文科省の検定は歴史修正主義に加担する重大な問題である。
自由社版歴史教科書は南京事件の記述を無くした。現行本では側注で南京事件を書いていたがこれを削除し、逆に通州事件の側注を詳しく3倍にした。
文科省はこれについて検定意見をつけていない。1984年版の全中学校歴史教科書に南京事件が記載され、扶桑社・育鵬社・自由社版にもこれまでは何とか記述されてきた。戦後70年の今年、南京事件を削除したのは「南京事件はでっち上げ」という彼らの主張を露骨に表現したものであるが、それを許した文科省は検定基準の近隣諸国条項に違反するものであり重大である。
育鵬社版・自由社版教科書については、今後、さらに内容を精査して、もっと詳しい見解を諸団体による「共同アピール」として発表する予定である。
6.安倍政権の教科書変質政策は全面的には貫徹していない
一方、それ以外の教科書も、2001年の扶桑社版の検定合格以来、戦争の事実をあいまいにする方向に変質してきた。そのなかでたとえば「慰安婦」や「強制連行」などの用語が中学校教科書から消え、南京事件などの顕著な事件について犠牲者数を明記しなくなるなどの残念な変化が進んできた。
今回の改訂でも、東京書籍が南京事件の注記で東京裁判でその事実が明らかになったという記述を削除する、教育出版が日露戦争の項で新たに東郷平八郎を評価する説明とともに写真を掲載する、太平洋戦争開始の項でABCD包囲網を打ち破るために開戦の必要を説く論議をあえて紹介する、沖縄戦における日本軍による住民殺害を削除する、1945年の箇所で「解放の日の朝鮮」の写真を「玉音放送を聞く人」に差し替えるなどの自主訂正による変化がおこっている。
しかしその反面、改善された記述もいくつかみられ、全体としては、私たちが危惧していたほどには育鵬社版・自由社版に大きく近づいたといえるような顕著な変化はみられなかった。
その意味で、教科書検定制度を改悪してまで、安倍政権とそれをささえる右翼勢力がねらってきたような、すべての教科書を戦争美化の方向へ変質させるという企ては、全面的には貫徹できなかったといえよう。これは安倍政権の暴走に対する批判的世論の高まりと、著者・出版社の努力に負うものであろう。
7.育鵬社版・自由社版採択を許さない取り組みをよびかける
したがって、依然として、育鵬社版・自由社版と他社版との違いは歴然と存在している。そのことを広く訴えて、いま安倍政権・自民党・日本会議などが教育の全面的な右翼的政治支配を貫徹するための当面の最大目標として総力をあげてとりくんでいる育鵬社版・自由社版の採択を、全国すべての地域で阻止し、「戦争する国」づくりへ痛打をあびせるために、全力をあげることを表明する。
◎ 政府の見解を一方的に教科書に強制する検定制度は廃止すべきである
2015年4月6日 俵 義文(子どもと教科書全国ネット21事務局長)
文部科学省は、2015年4月6日、14年度中学校教科書の検定について公開した。この教科書は、2008年3月に改訂告示された学習指導要領にもとづく教科書の2回目の検定である。今回の検定には、社会科歴史分野で新たに「学び舎」が検定を申請した。学び舎は、現場の教員などが中心になって組織した「子どもと学ぶ歴史教科書の会」が設立した出版社である。
今回の検定は、2014年1月に政府見解に基づいて書くなど3点にわたって改悪された検定基準、同年3月に改悪された検定審査要項(検定審議会内規)によって行われた。この制度改悪が、今回の申請図書や検定結果にも大きな影響をもたらしている。
今回の検定では自由社と学び舎の歴史の申請図書が最初の審査で不合格となり、指摘された欠陥箇所などを修正して再提出して合格した。
なお、自由社は公民教科書の検定申請を行わず、現行本を見本本として採択に臨むとしている。今回合格した教科書は前述のように改定された検定制度の下で行われ、自由社の公民教科書は旧検定制度による検定合格本であり、新制度の検定を受けていないので、それを見本にはできないという疑義があるが、文科省は「問題ない」としているということである。
以下、社会科教科書に限定して今回の検定についての問題点を指摘する。
1.新検定基準にもとづき政府見解を教科書に強要する検定
(1)「学び舎」版に対する不合格理由とされた「欠陥箇所」の一つに「慰安婦」問題に関する記述がある。
「欠陥」と指摘された記述は「朝鮮・台湾の若い女性たちのなかには、『慰安婦』として戦地に送りこまれた人たちがいた。女性たちは、日本軍とともに移動させられて、自分の意思で行動できなかった」という237ページの記述と、279ページの「日本政府も『慰安所』の設置と運営に軍が関与していたことを認め、お詫びと反省の意を表し」たこと、政府は「賠償は国家間で解決済みで」「個人への補償は行わない」としていること、そのため「女性のためのアジア平和国民基金」を発足させたこと、この問題は「国連の人権委員会やアメリカ議会などでも取り上げられ、戦争中の女性への暴力の責任が問われるようになって」いることなどの客観的事実を述べた記述である。
その「指摘事由」は「政府の統一的な見解に基づいた記述がされていない」ということであり、文科省の説明によれば、ここでいう「政府の統一的な見解」とは、「河野談話」発表までに政府が発見した資料の中には「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」とする辻元清美議員への答弁書(平成19年3月16日閣議決定)と、クマラスワミ報告書について「重大な懸念を示す観点から留保を付す旨表明している」とする片山さつき議員への答弁書(平成24年9月11日閣議決定)であるという。
この「欠陥箇所」指摘の結果、不合格後に再提出された「学び舎」版では、資料として掲載された「河野談話」中の用語を除き「慰安婦」の用語はすべて削除された。
しかし、ここで「指摘事由」とされた政府見解については、専門研究者や「河野談話」の直接の関係者などから数多くの異論が提出されている。すなわち、「河野談話」自体が残された公式文書によるだけでなく被害者からの聞き取りなどを総合して強制性を認めたものであること、「河野談話」発表時においても、その後発見された資料等によっても文字通りの強制連行の事例やだまして連行した事例が数多くみられること、日本軍「慰安婦」の強制性の問題は連行時における強制だけが問題なのではなく、「慰安所」に収容された後の移動や逃亡の自由が奪われたもとでの性暴力の強制こそが問題であること、などである。
これらの異論をまったく無視して、政府見解のみが唯一の正しい結論であるとして、政府見解のみを教科書に書かせ、それのみを子どもたちに教え込もうとすることは、民主主義社会ではあり得ない暴挙であり、愚行である。
そもそも歴史的事実の認定は歴史研究者の研究と議論を通して確定されてゆくべきものであり、歴史の専門的研究を行う立場ではなく一定の政治的主張をもって政治活動を行う政治権力者が、たとえば「慰安婦」に関する歴史的事実を決定すること、かつそれを子どもたちに教えることを強制するなどということは、考えられない非常識な行為であり、重大問題である。
2013年第68回国連総会において,歴史教科書に特に焦点を定めて出された報告(A/68/296)の中でも、歴史教科書の内容は歴史研究者の選択に任されるべきで政治家が介入すべきではないとしているが、これが国際社会の常識である。
このようなことを押し通し、検定によって「慰安婦」記述が削除されたことが明らかになれば、国際社会からも激しい批判をあびることは必定である。このような検定行為はただちに撤回すべきである。
また、昨年の検定基準の改定で政府見解にもとづいて記述することを求める一項を設けたことがこのような結果をもたらしたのであるから、昨年新設したこの検定基準は直ちに廃止すべきである。
(2)政府見解を押し付ける教科書づくりは、領土問題でも顕著である。
これに関しては、検定以前に、昨年1月に行われた社会科の「学習指導要領解説」の改訂による出版社側の自主規制が大きく働いている。歴史教科書は現行本では1社のみが領土問題を扱っていたが、2016年度用ではほぼ全社が取り上げ、2ページの大型コラムを設けたのが3社あり、その他にも小コラムで扱うなどしている。
地理や公民では領土問題の記述を軒並み増やし、政府見解通りに、北方領土・竹島・尖閣諸島は「日本の固有の領土」、北方領土はロシアが、竹島は韓国が「不法に占拠」と横並びに書き、尖閣諸島には領有権問題は存在しないと政府見解を丸写ししている。そのなかで韓国や中国の主張にもふれたものはない。
なお、領土問題について、育鵬社は歴史で「竹島は、遅くとも17世紀半ばには江戸幕府によって完全に治められていました。」と書いたが、検定意見で「竹島は、遅くとも17世紀半ばには我が国の領有権が確立していたと考えられます。」に修正した。
ところが清水書院の歴史の「竹島については江戸時代中期から日本が領有権を確立していた」という記述が検定意見で「竹島については、江戸時代からその存在が知られていた」と修正している。きわめて矛盾したご都合主義・恣意的な検定である。
政府が政治問題・外交問題で一定の見解をもつのは当然としても、政府の決定には誤りがある可能性が常に存在する。民主主義社会の主権者たる国民は、政府とは異なる見解をも学びながら自主的判断力を備えていくことが求められる。
憲法26条1項ないし教育基本法16条(「不当な支配」の禁止)に違反しないためには、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような内容を含まないこと、一方的な観念や見解を教え込むように強制するものではないこと等の条件を満たす必要がある(旭川学力テスト事件最高裁大法廷判決)。政府見解を一方的に教科書に書き込ませるのは子どもの学習権に対する重大な侵害になる恐れが強く、子どもの権利条約にも違反するといえる。その意味で、政府見解のみを教科書に書かせる愚挙は直ちにとりやめ、(1)でも述べたように関係する検定基準は直ちに廃止すべきである。
2.「通説」にかかわる新検定基準にもとづく検定
通説がないときは通説がない旨を明記せよとの新設された検定基準が文字通り適用されたのが、清水書院の関東大震災における朝鮮人虐殺事件についての記述である。
「警察・軍隊・自警団によって殺害された朝鮮人は数千人にものぼった」との現行本記述をそのまま検定提出したのに対して、通説的な見解がないことが明示されていないとの検定意見が付され、「自警団によって殺害された朝鮮人について当時の司法省は230名あまりと発表した。軍隊や警察によって殺害されたものや司法省の報告に記載のない地域の虐殺を含めるとその数は数千人になるともいわれるが、人数については通説はない。」との必要以上に詳細な記述に変更された。
著者・出版社がこのような検定に抵抗しようとすれば、バランスを欠くほどに詳細な記述にせざるをえなくなる。教科書の記述は歴史研究のおよその到達点を簡潔に記述すれば足りるのであって、歴史資料が必ずしも完全な形で残存しているわけではないことを利用してことさらに戦争の被害や加害の事実を小さく見せようとする意図的・政治的なねらいのために、教科書記述を不必要に歪めることがあってはならない。このような検定意見を生み出す検定基準改定も撤回廃止すべきである。
3.「正確性」を重視するという理由で歴史をわい曲する検定
文科省は、今回の検定はこれまで以上に正確性を重視したと説明している。その一例がアイヌについての次の検定で、申請図書の「政府は、1899年に北海道旧土人保護法(「保護法」)を制定し、狩猟採集中心のアイヌの人々の土地を取り上げて、農業を営むようにすすめました。」という記述に「生徒が誤解する恐れのある表現」という前回検定(2010年度)合格の現行本と同じ記述に、検定意見をつけて「政府は、1899年に北海道旧土人保護法(「保護法」)を制定し、狩猟や漁労中心のアイヌの人々に土地をあたえて、農業中心の生活に変えようとしました。」と修正させた。
文科省は、「旧土人保護法」の文言は「土地を与える」となっていることを検定基準の理由にしている。しかし、「旧土人保護法」制定当時、アイヌの土地を取り上げたということは、歴史研究では通説となっているものであり(他社教科書では「土地を奪われた」などが検定合格している)、「土地を与えた」というのは明白な歴史のわい曲である。
1997年に制定された「アイヌ文化振興法」によって「旧土人保護法」の内容は否定されているし、これは、2007年の国連総会で採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」(日本の衆参両院でこの内容が決議された)にも反するものである。「正確性」を理由に歴史の事実をゆがめ、逆に不正確にして歴史わい曲の検定である。
4.教科書を政権の道具にすることは許されない
以上に例示したように、今回の検定では昨年度の検定基準改定と「学習指導要領解説」の改訂が、検定の在り方に大きな歪みをもたらしていることが明らかになった。
従来の検定に対しても私たちは「書かせる検定」だと批判してきたが、今回の検定基準改定によって「政府見解」という新たな明確な基準に基づいて書かせる検定という性格があらわになり、歴史でさえ政府見解に基づいて書かせるという驚くべき段階に達したといわなければならない。それは安倍右翼政権がめざす「戦争する国」づくり、「大企業が最も利益を上げる国」づくりのために教育・教科書を最大限に利用しようとしていることを示している。
5.侵略戦争と植民地支配を美化する育鵬社版・自由社版の本質
育鵬社版・自由社版については、それぞれの編集発行の母体が、侵略戦争と植民地支配のさらなる美化をねらったと思われるが、国内外の批判的世論の前で内容の枠組みを戦争美化の方向へ大きく変えるまでにはいたらず、検定意見による修正も含め基本的には現行版の枠組みを維持している。
そのことは同時に、育鵬社版・自由社版が、神話と神武天皇の扱いにおける歴史歪曲、近代日本が行った侵略戦争と植民地支配の美化、韓国併合の美化、天皇制賛美、日本国憲法の敵視と歪曲等々の点で、これまでと本質的に全く変わらないことを示している。
育鵬社版公民教科書は現行版同様に「江戸しぐさ」を全く同じ内容で載せている。この「江戸しぐさ」は70年代に考案されたもので江戸時代には存在しなかったことが明らかになっている。明らかな歴史の偽造であり、それをそのまま載せたのに対して、何らの検定意見もつけないで合格させた文科省の検定は歴史修正主義に加担する重大な問題である。
自由社版歴史教科書は南京事件の記述を無くした。現行本では側注で南京事件を書いていたがこれを削除し、逆に通州事件の側注を詳しく3倍にした。
文科省はこれについて検定意見をつけていない。1984年版の全中学校歴史教科書に南京事件が記載され、扶桑社・育鵬社・自由社版にもこれまでは何とか記述されてきた。戦後70年の今年、南京事件を削除したのは「南京事件はでっち上げ」という彼らの主張を露骨に表現したものであるが、それを許した文科省は検定基準の近隣諸国条項に違反するものであり重大である。
育鵬社版・自由社版教科書については、今後、さらに内容を精査して、もっと詳しい見解を諸団体による「共同アピール」として発表する予定である。
6.安倍政権の教科書変質政策は全面的には貫徹していない
一方、それ以外の教科書も、2001年の扶桑社版の検定合格以来、戦争の事実をあいまいにする方向に変質してきた。そのなかでたとえば「慰安婦」や「強制連行」などの用語が中学校教科書から消え、南京事件などの顕著な事件について犠牲者数を明記しなくなるなどの残念な変化が進んできた。
今回の改訂でも、東京書籍が南京事件の注記で東京裁判でその事実が明らかになったという記述を削除する、教育出版が日露戦争の項で新たに東郷平八郎を評価する説明とともに写真を掲載する、太平洋戦争開始の項でABCD包囲網を打ち破るために開戦の必要を説く論議をあえて紹介する、沖縄戦における日本軍による住民殺害を削除する、1945年の箇所で「解放の日の朝鮮」の写真を「玉音放送を聞く人」に差し替えるなどの自主訂正による変化がおこっている。
しかしその反面、改善された記述もいくつかみられ、全体としては、私たちが危惧していたほどには育鵬社版・自由社版に大きく近づいたといえるような顕著な変化はみられなかった。
その意味で、教科書検定制度を改悪してまで、安倍政権とそれをささえる右翼勢力がねらってきたような、すべての教科書を戦争美化の方向へ変質させるという企ては、全面的には貫徹できなかったといえよう。これは安倍政権の暴走に対する批判的世論の高まりと、著者・出版社の努力に負うものであろう。
7.育鵬社版・自由社版採択を許さない取り組みをよびかける
したがって、依然として、育鵬社版・自由社版と他社版との違いは歴然と存在している。そのことを広く訴えて、いま安倍政権・自民党・日本会議などが教育の全面的な右翼的政治支配を貫徹するための当面の最大目標として総力をあげてとりくんでいる育鵬社版・自由社版の採択を、全国すべての地域で阻止し、「戦争する国」づくりへ痛打をあびせるために、全力をあげることを表明する。
以上。
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